今日は、中学生の時の話です。
人権作文を書く宿題が出されたことがありました。
授業では、や江戸時代の差別などを学んでいた覚えがあります。
僕は差別はいけないことだと思う反面、こういった事実を子どもに教えなければ、
そもそも差別なんて忘れ去られていくのではないかと思っていました。
だって、そもそも例えばの出身だと友達に聞いたって、別にそんなの関係ないじゃんって
そう言えるって信じていたからです。
僕は差別について何故学ぶ必要があるのか、作文に書きました。
そんなことを、自信満々に夕食の準備中のお母さんに話していると、
お母さんが背中越しに言いました。
「うちは、やで」
僕はゾッとしました。そして落ち込みました。
何故落ち込んだのか分かりませんが、落ち込みました。
そして
「うそ、うちは違うよ。」
とお母さんが言って、僕は肩をなでおろしました。
さっきまで、だからって関係ないって思っていた自分。
だけど、お母さんにそう言われて、理由もなく落ち込んでショックを受けた自分。
ショックを受けて、「違う」と言われて、安心している自分が一番ショックでした。
その時に「人の気持ちを知る」とは難しいことなんだって僕は気付いた気がします。
他人事だと思っていたのだと思います。
そして今は、「思いやり」や「いたわり」といった気持ち、
感動して泣いたりするいわゆる感受性は、
生まれたときから持ち合わせていたものではなく、
学ぶものであり気づくものなのかもしれないと、思っています。
や差別の歴史を知るということは、
そういった感受性を身につけるということ。
僕はそう現段階では思っています。
僕はえらそうにCSRや障害者雇用についてブログに書いたり、
地域のこれからについて考える時に、正直ドキドキしています。
いつ、どこぞの誰かに「なめるなよ!」と言われるか、怯えている部分があります。
小さい頃に僕は色々な昆虫をいたずらに殺めてきました。
きっとどんな子供だって、平気でアリをふんずけたり、嫌いな昆虫を殺めてきたことでしょう。
ただ、それが今簡単にできないのは、それを命と認識しているからだと思うのです。
自分にとっては、この虫は沢山いても、
この命という存在は世界にこの一つしかいない。
そういった気持ちに気付くことができたからだと思います。
人の痛みに気付くために、学びは必要です。
学びとはストーリーを知ることです。
ストーリーとは軌跡です。歩いてきた道なのです。
「差別されていた」という結果だけでは人は気付くことはできません。
何故差別されてきたのか、どういう思いで彼らは生きてきたのか、どうしてそうなってしまったのか。
未熟な心の中では、そこに至る経緯を知らなければ、思いやることはできないのです。
僕が大学2年生の春。
車椅子に乗ってやってきた新入生をバスに乗せるために担いだときから、
僕の障害者雇用という課題はあったのだと今は思います。
CSRは守られるべきです。
だけど、一方で僕は会社の社長ではありません。
障害者雇用は推進されるべきです。
だけど、僕は障害者手帳をもっていません。
だけど、そこに寄り添って、僕にしかできない。
僕の立場だからこそできることがきっとあると信じて。
それがこの街のこれからにつながっていくと信じています。
そう思えることが、自分というストーリーを組み立てていくことであり、
誇らしい人生と向き合える生き方なのではないかと思っています。
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