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ロシア軍艦対馬占領事件

2011年02月13日 03時59分41秒 | 美保関事件

ロシア軍艦対馬占領事件    http://ameblo.jp/kataribe55/entry-10799318819.html

日ロ 平和条約締結へ努力確認

日本国政府は、ロシア連邦が自国領土だとして占領・実効支配している北方領土について、返還を求めている。1945年昭和20年)8月14日に日本がポツダム宣言の受諾を決定した後、1945年8月28日から9月5日にかけて赤軍(ソ連軍)は北方領土に上陸し占領した。北方領土は現在に至るまでソ連およびそれを継承したロシアが実効支配を継続している。ロシアによる事実上の領有状態のため、日本政府が領有権を主張しているものの、一切の施政権は及んでいない。北方領土は、地理的には南千島に属するが、色丹島及び歯舞群島については北海道本島の属島という見方もある。アイヌ民族が先住していた。太平洋戦争後、現在に至るまで、ソ連ロシア連邦占領・実効支配されており、日本は固有の領土としてその返還を求めている。現在、日本国民の北方領土関係者およびロシア人北方領土居住者に対して、ビザなし渡航が日露双方に一部認められている。

日本国政府はロシア連邦政府及び・その国民の性質を更に知っておかなくてはならない。



友鶴事件

2010年12月28日 02時20分38秒 | 美保関事件

友鶴事件

友鶴事件(ともづるじけん)とは、1934年昭和9年)3月12日に水雷戦隊の演習中に佐世保港外において発生した大日本帝國海軍(日本海軍)の千鳥型水雷艇3番艦「友鶴」の転覆事故、及びそれに続く一連の海難事故のことである。翌年に発生した第四艦隊事件とともに日本海軍を震撼させ、その艦艇設計に大きな影響を与えた。


水雷艇は、計算上、90~110度程度の傾斜までは転覆しない設計とされていた。演習当日は折からの荒天で、波浪も高かったが、「友鶴」は、本来ありえない40度程度の傾斜で転覆し、死者72名、行方不明者28名を出す大惨事を引き起こした。生存者はわずか13名である。事故後、これを教訓に艦の復元性について再検討が加えられることになった。
事件の概要
 

同事故の慰霊碑が、長崎県佐世保市の旧海軍墓地東公園にある。

艦を設計した艦政本部の責任者であった藤本喜久雄少将(当時)は、この事故の責任を取る形で謹慎処分となり、翌年没している。

事件の背景 

日本海軍は1930年(昭和5年)に締結されたロンドン海軍軍縮条約により、主力艦(戦艦航空母艦)だけでなく巡洋艦駆逐艦といった補助艦艇の建造にも制限を受けることとなった。そこで、補助艦艇の制約を補うため、条約の制限外とされた基準排水量600t以下の船体に(駆逐艦以上の)重武装を施した小型駆逐艦ともいうべき水雷艇を建造することとした。これが、「友鶴」の属する千鳥型水雷艇である。

事故の原因と対策 

計算上は充分な復元性を保持していたはずの「友鶴」の船体であるが、過大な武装や工作技術の未熟による重量超過からくる重心の上昇等により、艦の傾斜に対する復元性が不足したトップヘビーな状態にあったのが転覆の原因とされた。

藤本喜久雄少将は、用兵側の要求を満たすため、この他にも小型の船体に重武装を載せた艦艇を多数建造しており、事故後、千鳥型水雷艇の他にも、吹雪型駆逐艦初春型駆逐艦などについても武装の削減や、上部構造物の高さの縮小や撤去、舷側へのバルジの装着などの復元性向上及び重心低下対策が実施されている(以降、戦艦・空母60度、巡洋艦90度、駆逐艦・水雷艇90~110度以上の復元力を持つことが要求された)。

米内光政佐世保鎮守府司令長官(当時)の命により友鶴事故について徹底的に調査究明され、その結果を基とした艦艇改修により、艦艇のトップヘビーによる転覆事故は起こらなくなったが、近年の研究では、復元性の不足よりも、波に対して保持すべき進路を誤った艇長の操艦ミスとの指摘もある。


美保関事件

2010年12月26日 00時40分03秒 | 美保関事件

美保関事件

美保関事件(みほのせきじけん)とは、1927年昭和2年)8月24日大日本帝国海軍で夜間演習中に起こった艦船の多重衝突事故である。

背景 

日本海軍はワシントン海軍軍縮条約の結果として保有主力艦艇の総排水量を制限された。それに対抗して、連合艦隊司令長官加藤寛治は「訓練に制限無し」の掛け声の下、1926年(大正15年)11月以来、将兵に連日激しい訓練を強いており、小規模な事故が相次いでいた。その結果、翌1927年(昭和2年)8月24日、徹夜の夜襲訓練中に島根県地蔵崎灯台の東4浬にて軽巡洋艦神通」と駆逐艦」、巡洋艦「那珂」と駆逐艦「」の多重衝突事故が発生した。

損害 

艦首を大破した「神通」。
  • 軽巡洋艦
神通 蕨と衝突、大破
那珂 葦と衝突、中破
  • 駆逐艦
蕨 神通と衝突、沈没 死者92名
葦 那珂と衝突、大破 死者27名

処分 

海軍省法務局が業務上過失・艦船覆没・業務上過失致死罪で「神通」艦長水城圭次海軍大佐を起訴、横須賀鎮守府軍法会議(判士長立野徳次郎海軍少将)が審問したが、判決前日の12月26日に自決。海軍省は特旨により水城の海軍少将進級を計画したが、遺族が辞退したために日の目を見なかった。
過重な訓練を課した連合艦隊司令長官や参謀長は責任を問われなかった。