近所の図書館でエリア内取り寄せをお願いしてまで読んだ、
『伊達政宗と片倉小十郎』
飯田勝彦 著 発行:新人物往来社
ハードカバー 282ページ
―――が、復刊.comとファンの声援のおかげで装いも新たに復刊したのがこちら、
『名参謀 片倉小十郎 伊達政宗を支えた父子鷹』
飯田勝彦 著 発行:新人物文庫 税別:667円
文庫本 366ページ
内容そのまま、文庫本になってお値段もお手頃で嬉しいづくしの1冊です。
鬼庭良直・綱元父子のお話、屋代勘解由兵衛景頼のお話、片倉景綱・重綱父子のお話、がメイン。大内定綱、伊達成実、遠藤基信、喜多……と傑物あり曲者ありの魅力的な男たちが勢揃い。(喜多姉さんはオットコマエなのでここに含む!)
史実分析の論文というには講談の精神を取り入れたような名調子もついてとっても読みやすい読み物になっているので、初心者の私にはありがたい。このドラマティックさが萌えどころ。←著者大迷惑。
ただ…もとのハードカバー本に誤字脱字が散見されたので、復刊にあたり直してくれるかなーと思っていたら、本当にそのまんま復刊。いいやらわるいやら。
中でも痛恨の脱字が、小十郎の命日なんです。く~っ、惜しい!
「景綱の死は政宗に先だつこと二十一年、五十九歳の生涯であった。没年は大坂「夏の陣」の終った元和元年(1615)十月四日である。」
うわーっ!「十」が抜けたーっ!!
小十郎関連の本を読むと、そのうち何冊かに「命日 十月四日」と書いてあるのですが、もしかしてこの名著を参考にした記事だったのかしら。
それともどこかの歴史書にはそう出ているのかしら。
ただ、片倉代々記にはハッキリと 「十月十四日」と書いてあるし、菩提寺の傑山寺さんのサイトも「十四日」ですからこれは間違いないかと。
余談ですが、四日なのか十四日なのか迷っていた頃に初めて白石旅行をして傑山寺にもお邪魔したんです。(いい墓地でした~。奥様矢内氏のファンになって帰ってきました~)
景綱の墓標・杉の木の左右に「傑山寺殿之殉死」の墓標がありまして、杉の木に向かって右側に「道漢宗節之墓 氏家藤権左衛門直通 享年四十三」、左側に「還忠道節之墓 石田八郎兵衛常信 享年四十二」。そこに彫られた日付が「元和元年乙卯十月十四日」。
景綱の命日が「四日」だったら十日後に、「十四日」だったら亡くなったその日のうちにお供したんだな…と思っていました。
その日のうちだったんですね。きっと、遅れてはならじ!と愛馬を駆って馳せ参じたんだろうな。大丈夫。殿は先に行ってた山村六右衛門矩義とおちあってゆるりと待っててくれたと思うよ。
『伊達政宗と片倉小十郎』
飯田勝彦 著 発行:新人物往来社
ハードカバー 282ページ
―――が、復刊.comとファンの声援のおかげで装いも新たに復刊したのがこちら、
『名参謀 片倉小十郎 伊達政宗を支えた父子鷹』
飯田勝彦 著 発行:新人物文庫 税別:667円
文庫本 366ページ
内容そのまま、文庫本になってお値段もお手頃で嬉しいづくしの1冊です。
鬼庭良直・綱元父子のお話、屋代勘解由兵衛景頼のお話、片倉景綱・重綱父子のお話、がメイン。大内定綱、伊達成実、遠藤基信、喜多……と傑物あり曲者ありの魅力的な男たちが勢揃い。(喜多姉さんはオットコマエなのでここに含む!)
史実分析の論文というには講談の精神を取り入れたような名調子もついてとっても読みやすい読み物になっているので、初心者の私にはありがたい。このドラマティックさが萌えどころ。←著者大迷惑。
ただ…もとのハードカバー本に誤字脱字が散見されたので、復刊にあたり直してくれるかなーと思っていたら、本当にそのまんま復刊。いいやらわるいやら。
中でも痛恨の脱字が、小十郎の命日なんです。く~っ、惜しい!
「景綱の死は政宗に先だつこと二十一年、五十九歳の生涯であった。没年は大坂「夏の陣」の終った元和元年(1615)十月四日である。」
うわーっ!「十」が抜けたーっ!!
小十郎関連の本を読むと、そのうち何冊かに「命日 十月四日」と書いてあるのですが、もしかしてこの名著を参考にした記事だったのかしら。
それともどこかの歴史書にはそう出ているのかしら。
ただ、片倉代々記にはハッキリと 「十月十四日」と書いてあるし、菩提寺の傑山寺さんのサイトも「十四日」ですからこれは間違いないかと。
余談ですが、四日なのか十四日なのか迷っていた頃に初めて白石旅行をして傑山寺にもお邪魔したんです。(いい墓地でした~。奥様矢内氏のファンになって帰ってきました~)
景綱の墓標・杉の木の左右に「傑山寺殿之殉死」の墓標がありまして、杉の木に向かって右側に「道漢宗節之墓 氏家藤権左衛門直通 享年四十三」、左側に「還忠道節之墓 石田八郎兵衛常信 享年四十二」。そこに彫られた日付が「元和元年乙卯十月十四日」。
景綱の命日が「四日」だったら十日後に、「十四日」だったら亡くなったその日のうちにお供したんだな…と思っていました。
その日のうちだったんですね。きっと、遅れてはならじ!と愛馬を駆って馳せ参じたんだろうな。大丈夫。殿は先に行ってた山村六右衛門矩義とおちあってゆるりと待っててくれたと思うよ。