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82式離脱生活

バイクと写真をこよなく愛するっ、てほどではないけどまぁまぁ好きな、てきとーに人生を送る社会非適合者の・・・ブログ

なんだよ、「ショップ」って、

2005-06-20 22:21:29 | エッセイ
 ショップ、ショップ、なんでもショップって言いやがる。
 ちょっと前は、みせ、販売店、業者、と言っていたのに。
 「バイク屋へ修理に出す」も、「ショップへ・・・」と言われるようになった。
 他の分野でも同じようだ。
 カタカナを使うと、都合が悪い部分をおおい隠しているよで、実際よりよく見せようとしているようで、バカまるだしのようで、うさんくさそうで、その人の頭の中をのぞいてみたくなる。
 バイク屋はバイク屋、花屋は花屋、CD屋はCD屋だ!
 あー、気持ち悪い


人生って、だいたいでいいのさ

2005-05-21 22:13:24 | エッセイ
 数学の図形の問題を解くとき、テスト用紙の裏に書いていた図はフリーハンドのいい加減な図だったけど、ちゃんと答えは出た。点や線には面積が無いことになっているのに、完璧な直線や図形が書けるという前提で成り立っていた。そしてその前提を元に、設計図を書き部品を作る。完璧な丸や水平や垂直なんてあるわけ無いのに、クルマは動くしビルは倒れない。
 最初から誤差があることを見越して、部品は作られている。直径17ミリの穴に直径17ミリのシャフトは通らない。
 そう、適当に生きていけばいいのさ。
 たぶん、人間の脳にも、誤差やガタはちゃんとあるはずだから。


ゆうべ見た夢

2005-05-02 22:14:32 | エッセイ
 ひさしぶりに夢を見た。
 起きた後でもその内容をはっきりと覚えているのは、俺にとってはとても珍しいことだ。

 ずっと前に別れた彼女といっしょに、渋谷を歩いていた。
 時計を見ると俺はそろそろ終電の時間だったけど、なぜか彼女にはその心配は無いようだった。
 普通に歩いてもじゅうぶん間に合うのに、彼女は俺が終電に乗り遅れては大変と先導するように早足で歩いていた。そして彼女は急ぐあまり仰向けにころんでしまい、歩道の水溜りで髪や顔を汚してしまった。 濡れた髪が顔にへばりついてしまったのに、彼女は温和な表情のまま、たくさんの人の前で大の字にころんでしまったことなど気にもとめず、あいかわらず俺が終電に乗り遅れないように気づかって急いで歩いていく。
 俺は、そんなに気を使わなくてもだいじょうぶだよと思っていたけど、気をつかってくれてすごくうれしいと感じていたけど、何の声もかけなかった。
 そして、せつなさとやるせなさと、後悔とあきらめが混じりあった気分とともに目が覚めた。

 今さら彼女の夢を見るとは思いもよらなかったためか、強く印象に残った。
 やっぱり、悪いことをしたと今でも感じているのだろうか。
 それとも、塗り替えたばかりの家の外壁の、塗料のシンナーのせいだろうか。

平行線と閉じた宇宙

2005-01-14 14:41:56 | エッセイ
 中学の数学の授業では、平行線はどこまで伸ばしていっても絶対に交わらないと教わった。
 でも現在では、宇宙は閉じていることになっているから、平行線も必ずどこかで交わるはずなんだけど。
 どーなってんだ!

ミリオンセラー

2005-01-04 22:32:21 | エッセイ
 80年代はいわゆるアイドル歌手全盛期で、数多くのヒット曲が生まれ、いくつかのミリオンセラーが誕生した。90年代後半にはいると、それまでは年に1,2曲しか出なかったミリオンセラーが毎月のように現れるようになった。
 80年代は大ヒット曲だけではなく中ヒット、小ヒットが多かった。そしてこれらの中小ヒットの中にこそ、個性的な曲があり、互いに影響をあたえ、いろいろなタイプの曲が生まれ、多くの歌手やグループがデデビューした。聴いていた音楽の幅は今よりもずっと広かったし、テレビで見たタレントの種類も数も多かった。だからこそこの時代の曲やアイドルは輝いているし、強く印象に残り、今なおおもしろいのだ。
 90年代はより多くのミリオンセラーが出たものの、全体の売上は以前よりも落ちている。「J-POP」というジャンルができたかわりに、洋楽や演歌がまったく売れなくなった。
 CDをいちばん良く買う10代、20代の人口は大きく減り、全体の売上は落ちたったのに多くのミリオンセラーが生まれたということは、今の若い世代が聞いている曲の数や、音楽のジャンルが少ないことを意味している。

 個性が大切だというけれど実際はまったくその逆で、むしろ世の中は保守的になっている。結局はカッコいいかカッコ悪いか、のどちらかしかない。みんな同じ服を着て、同じ事をする。企業は効率よく利益を得るために流行を作り、あるいは利用する。マスコミも後押しする。親たちは娘や息子の世代の流行をバカにし、ときに禁止するが、その一方でそこから利益を上げる。個性を出すと、主張をすると、孤立していじめられる。安全のためには多数派についたほうがいいので、自分がいじめられないように、みんながいじめる者をいじめる。これはおとなの社会でもまったく同じだ。

メチャクチャな景観

2004-12-13 14:18:34 | エッセイ
 日本の都市の景観って、何の計画性も統一性もない。一部の、注意深く保存された町以外は、はっきりいってメチャクチャ。素材、質感、色、形、どれをとってもバラバラで、統一性ってものが感じられない。有名な建築家による建物も自己主張ばかりで、それ自体が広告塔のようにふんぞり返っている。
 問題は建造物だけではない。派手なネオンサインや広告、歩道や道路にはみ出している看板や商品、立ち並ぶ電柱やTV、携帯電話のアンテナ、張り巡らされた電線、空間をすべて埋め尽くそうとする余計な音楽。ビルの壁面の大型スクリーンなど火をつけてやりたくなるほどだ。
 でもこのメチャクチャさかげんが魅力なんだよね。活力のみなもとなんだよ。ホンコンがおもしろいのは、猥雑でうさんくさいからなんだ。もしヨーロッパの都市のようにこぎれいだったら、観光客は激減するだろうな。
 日本もそれと同じ。こざっぱりとした街並みは、どこか寒々としてウソっぽい。いろんなひとがいるように、都市の景観が雑多で猥雑でもいいし、そのほうが絶対におもしろい。きっとそこからはいろんなアイデアが生まれてくるにちがいない。アメリカの最大の長所は、雑多な人種構成にあるんだから。
 中途半端な景観規制は、いっそのこと止めたほうがいいのかもしれない。

あぁ、野麦峠

2004-11-23 22:55:40 | エッセイ
 山から下りてきて新穂高温泉の無料共同湯につかった後、せっかくここまで来たのだから、少し遠回りになるけど、飛騨高山をかすめて野麦峠を越えて帰ることにした。
 野麦峠を越えるのは今回で3回目になる。小説や映画の影響もあり、好きな峠のうちのひとつだ。最初は飛騨側より自転車で登った。そのときはゴールデンウィークで、残雪の乗鞍が夕日に染まりとても美しかった。その次は11月のはじめにバイクで訪れた。やはり飛騨側から入り、峠に着いてみるとゲートが閉まっていたが、なんとかわきを通り抜けることができた。

 今回も飛騨側から登ることにした。平湯トンネルを抜け、国道361号線に進む。いくつかのダム湖に沿って走り(こんなのあったっけっかなぁ)、高根乗鞍湖から峠道へと入って行く。せまい谷の沢に沿うほそく曲がりくねった道だ。勾配がゆるくなったところで野麦の集落につく。分校の木造校舎は変りがないが、すぐそばにきれいな食堂ができていたことにちょっとがっかりしながら先に進む。途中、公衆トイレはあるし舗装も良くなっている。以前は所々で舗装がひび割れ穴があき、砂や砂利が道を覆っていて林道のようだったのに。そんなことを考えながらクルマを走らせ、日がだいぶ傾いたころ峠についた。

 「こりゃ、ひどい」。峠について瞬間、そう思った。かつての、これぞ峠という趣はなくなっていた。
 頂上付近で道幅は拡張されまっすぐになっていた。以前は「おたすけ小屋」が木立の向こう側に建っていただけなのに、今は新しい土産物屋と峠の資料館が建っていた。それぞれが駐車場を備えたため空間が大きく開けてしまい、以前とはまったく異なる峠になっていた。なんてこった。なんのためにここまで来たんだろ。

 こんなことはあちこちで起きているけど、もうちょっと別のやり方ってもんがあるだろうに。確かにクルマで走りやすくなったし、いくらかの金は地元に落ちるだろう。他に大した産業のないところでは仕方ないんだろうけど、なんとなく場当たり的でその場しのぎとしか思えない。これが村おこしとか地元の活性化というならば、なにか物悲しく悲壮感すら感じてしまう。これって愛すべき故郷の切り売りじゃないのかな。

 ミネはどう思っているんだろう。
 俺は二度と野麦峠には行かないだろう。

理想のタイプ

2004-11-12 14:40:47 | エッセイ
 自分が誰を好きになるかはまったくわからないけど、好みのタイプには2種類あるそうだ。“本能的に好きになるタイプ”と“理想のタイプ”だ。
 “本能的に好きになるタイプ”は3~5才くらいで決まってしまう。幼いころに親切にしてくれた近所の人、やさしく接してくれた親戚の人、保育園の先生や親など、幼少期の体験によって決まってしまう。
 それに対して“理想のタイプ”とは、その後にに得た現実的な知識や経験によって形作られる。だから身長や体型、学歴や仕事、年収などが大きく影響する。そして、この理想のタイプと付き合ってもうまくいかない場合が多く、結婚しても離婚する確率が高いのも当然こちらのタイプ。
 わかっちゃいるけど、結局又同じような人を好きになって、同じような結末を迎えるんだな、これが。

趣味は仕事だって? バカ言っちゃいけないよ

2004-10-31 22:01:06 | エッセイ
 たぶんほとんどの人は趣味を持っている。趣味と仕事はちがう。趣味とは、仕事などというくだらないものとは、決して相容れないものだ。仕事が趣味という人がいるが、それは趣味への許しがたいぼうとくであり、神仏をも恐れぬ不届きモノの言うことで、いずれ天誅が下であろう。
 趣味とは、何かの役に立ってはいけないのだ。自分自身を高めるためにやってもならない。世のため人のため、社会のためになってもならない。ましてや、仕事に生かせるなどもってのほかである。そのような人間に趣味や道楽を語る資格はないし、そのような人間がやっていることは趣味ではない。
 趣味は、何の役にも立たないからこそ素晴らしいのだ。だからこそ、まれに芸術や文化が生まれるのだ。

ブラジルへ行った先輩

2004-10-20 22:12:25 | エッセイ
 学生の頃ホテルでバイトしていた時、みんなから「先輩」と呼ばれ一目置かれている人がいました。年齢は、当時22,3歳といったところでしょうか、正確なことがわからないのも先輩らしいところでした。仕事は真面目で、会社からだけではなくバイト連中からも信頼されていたので、自然とリーダー役になっていました。仕事の経験が長いだけでなく先輩と呼ばれるにふさわしい雰囲気がある、口数の少ない暗そうな印象の人でした。
 その先輩は、昼はレストランでランチタイムの仕事、4時ころからは居酒屋でバイト、そして深夜はホテルの仕事と、一日中働いていました。何で彼がそんなに働くのか、他の人に聞いてもわかりませんでした。わたしは、将来自分の店を持つか、会社を興すのかなぁ、なんて具合に想像していました。
 彼の持ち物は、ボストンバッグひとつだけでした。その中に入っているは、下着などの数点の衣類と、あと少々の身の回りのものだけ。そう、彼は部屋を借りていなかったのです。1日中働いてホテルの仮眠室で眠り、なんと住民票に記載されている彼の住所は、バイト先のそのホテルでした。
 部屋代がかからないだけではありません。どの職場でもまかないの食事がつくので食費はかからず、その上制服があるので衣類にもお金はかからなかったのです。

 話は変わりますが、以前勤めていた会社の先輩のことを思い出しました。広報関係の部門で働く、離婚歴のある30代の女性です。当時はバブル景気が始まったころで、わたしは彼女に「マンションでも購入したらどうですか」と聞きました。そのころから"自立した女"というのがはやりだし、独身の女性がマンションを購入することも珍しくはなくなってきていました。わたしの問いかけに対して彼女は、離婚の経験が影響しているのかどうかはわかりませんが、「なるべく持ち物を少なくして身軽でいたいから、アパートで十分」と応えました。その時わたしは軽いショックを受け、感動といったら大げさですが、それに似た感情がわいたことを覚えています。

 バイト先のホテルの「先輩」はそんな生活を5年くらい続けた後、ある日突然仕事をやめました。やめることを誰にも言ってなかったのです。うわさによると3千万円以上貯めたそうですが、その後彼がどうなったかは誰も知りませんでした。店を持ったとか、何か事業を始めたとか、色々な憶測が飛びかいましたが、それも始めのうちだけでしばらくすると話題にものぼらなくなりました。

 「先輩」がいなくなってから2年くらいあとだったか、わたしも仕事をかえ、彼のことを忘れかけていたころ、偶然にも新宿西口で彼にばったり会いました。彼のあんなにいい笑顔を見たのは、その時が初めてだったような気がしました。つもる話もあろう、ということで、とりあえず喫茶店に入りました。
 ホテルで働いていた時の彼は、顔色は青白く痩せていて、きちんと分け目を付けた髪型がいっそうひ弱な印象を与えましたが、再会した時の彼は、適当に日焼けしていて少し太ったこともあり、まるで別人のように健康的でした。とても充実していそうな彼を、うらやましく感じたことを覚えています。
 喫茶店で話を聞くと、その時彼はパスポートを更新するために、一時的に帰国していたのです。彼はバイトをやめた後、なんとブラジルに渡り、現地でプール付の豪邸を買い、遊んで暮らしているとのことでした。どうしてそんな暮らしができるのかというと、貯めたお金のほとんどを米ドルに替え、アメリカフ銀行に貯金するのだそうです。アメリカの金利は高く、おまけにブラジル経済は混乱していて、どんどん通貨の価値が下がりドル高になるので、黙っているだけでお金は増えていくのだそうです。 又、地元の人たちの恨みを買ったり、ねたまれたりしないように、商売を始めたりはしないといっていました。

 ではなぜ先輩はそのような人生を選んだのか。ここからの話にはとても驚かされました。彼が幼い時に両親は離婚し施設にあずけられたので、ほとんど親の記憶がないそうです。施設で育った彼にとっては、将来幸せな家庭を築くことが一番の夢になったのです。そしてその夢を実現するためにブラジルへ向かったのです。
 今の彼には、なんと5人の妻がいるのです。もちろん法律では認められていないのですが、5人いるのです。もしかしたら正式に結婚しているのはひとりだけで、あとは内縁の妻ということかもしれません。奥さんたちの写真も見せてもらいました。一番若い奥さんは15歳でした。なんと5万円でその子の親から"買った"のです。もちろんこれも違法ですが、事実なのです。他の奥さんたちも、同じようなものだそうです。
 ところ変われば常識も変わるのです。おそらく、かつての日本でもこのようなことは、決して珍しいことではなかったのではないでしょうか。江戸時代に裕福な商人がめかけに家をあたえるなんてこともありましたし、現代の日本でも同じではないでしょうか。
 裕福な者と結婚して、たとえそれが正式なものでなくても、娘が貧困から抜け出せるのであれば、親も少しは喜ぶのだそうです。たったの5万円と思うかもしれませんが、そのような人たちにとっては一生働いても手にすることができない大金なのです。月給で働ける人は少なく多くの人が日銭を稼ぐその日暮らしで、まとまった金額を手にすることはまずないのですから。
 奥さんたちも、決して逃げ出したり、いやがったりはしないそうです。もし彼のもとを去れば、その日の食べ物にも困る以前と変わらぬ生活が待っていて、一生貧しさから抜け出せない可能性が高いからです。ちょうど将軍の大奥のような感じで、一番最初の奥さんがまとめ役になって、みんな仲良くやっているそうです。
 先輩から一度遊びに来いと誘われましたが、まだ行っていません。もし行くなら、正確な日時を連絡しなくてはなりません。なぜなら、物騒なこともあるのでガードマンを数人雇っているそうですが、彼らは機関銃を持ち何かあるとためらわずに撃つので、気軽に彼の家を訪ねるわけにはいかないのです。その上、獰猛な番犬もいるそうですから。最近は彼の地でも治安が悪くなり、警備のための費用が一番かかるそうです。

 彼の温かい家庭を築きたいという考えは、ちょっと理解しがたいものがあるとその時は思っていましたが、先輩は本当に幸せそうで、ホテルで働いていた時とは別人のようでした。彼が幼いころから味わってきたことはわたしには想像もつかないことだし、アレでよかったんだと最近は思っています。
 まだ子供はいないそうですが、将来子供たちが大きくなったら、日本へ働きに行かせるつもりだと言っていました。

 一瞬わたしも、お金を貯めてブラジルに行こう、と思ったのはいうまでもありませんが、辛い食べものは苦手なのであきらめました。外国の水でいれたお茶もまずいですし。