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枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

この極彩の色は・・泉生山酒見寺 その1 多宝塔

2012-09-10 | 古いもの、昔の人
          泉生山、酒見寺(さがみじ)は兵庫県加西市にある真言宗の寺。
          745年聖武天皇の勅願により行基が開いたと伝わります。平治の乱と天正年間
          の兵火で全山焼失しますが、江戸時代に入り姫路藩や幕府の支援により再興
          されたといいます。
          市内北条町の街のなか、立派な楼門をくぐると本堂までの参道に青銅製の
          飾り燈籠が並び独特の雰囲気を感じさせます。
          かなり広い境内で多くの建物がありますが、この寺を特徴付けるものはやはり
          多宝塔でしょう。(国重文指定)
          多宝塔は1662年の再建。高さ15.4m。和様、禅宗様の折衷様式で、ほぼ
          標準的な備えで整った全身像を持つように思えます。上重が桧皮葺き、下重が
          本瓦葺きという他に類がない屋根。そして、何といっても塔全体に、雲、波、
          牡丹唐草などの紋様が極彩色で描かれているのです。
          この彩色は、当初からのものではなく、建てられて50年以上の年月の間に
          徐々に描かれたといわれます。
          雨の中、人の姿も無い境内でしたが、見上げれば、この彩色の洪水のなかに
          浸って唖然とするばかりでした。











































































橋の周囲の行楽・・岩国錦帯橋

2012-09-05 | 古いもの、昔の人
          ある日、ちょっと近くまで行ったので錦帯橋まで
          足を伸ばしてみました。
          私の所からは近くですから、もう何度目かに
          なるのですが・・やっぱり随分の人出です。
          上がったり下がったり、歩き難い橋を渡るのは、
          なかなか楽しいし、錦川の水はきれいだし、
          川原は格好の休憩所。
          今回は古いものの解説は止めにして、
          行楽の人々の姿を中心に写真散歩することに
          しました。
          (カテゴリーは「古いもの昔の人」としましたが、
          今回は「・・・今の人」ですなー)





































































苔ともみじの庭、雨・・宇野千代の生家

2012-07-23 | 古いもの、昔の人
          強い雨は昼間でも隅々を暗く染めていました。
          苔ともみじの庭です。
          水滴に濡れきった杉苔と雨に輝くもみじの陰に
          石臼の手水鉢や古材でつくられたベンチが潜んでいます。
          ここは、岩国市川西にある宇野千代の生家。
          宇野千代は明治30年生まれの小説家。
          平成8年、98歳で没した。
          昭和45年、千代により、その生家と庭が修復された。
          今は記念館になっています。
          「苔のひとつひとつをご自分で植えなさってのー・・」
          案内の管理人の女性は言葉が豊富です。
          私は、黙って雨の庭に浸るのみです・・




























































故郷に還る・・ハワイ移民集会場(明治村)

2012-06-20 | 古いもの、昔の人
          ハワイ島のヒロに日本人牧師が、日本人のために建てた教会がありました。
          その後、教会の役目を終えた建物は日本人の集会場になっていたそうです。
          ここに見る姿は、明治22年頃の建物の姿を復元して移築したもの。
          単純な長方形平面で中は一室。外壁は洋風下見板平張。屋根は波板鉄板葺き。
          それでも、精いっぱいに正面妻壁の中央に三角形の屋根換気口、軒下に櫛形の装飾。
          建物の前にあるハワイ王国の国旗。「ペペケオ耕地の鐘」と呼ばれた鐘は、
          移民達に、毎朝4時半の起床、6時の作業開始、夕方4時半の終了を知らせたという。

          立派な建物が目白押しの明治村にあって、この素朴な建物が何故か心惹いて
          止まないのです。
          ハワイ移民にとって、夢見る懐かしい日本の地に蘇ったという思いの所為
          なのでしょうか。
          (昭和44年明治村に移築。)

























































病棟の廊下の窓から・・日本赤十字社中央病院病棟(明治村)

2012-06-10 | 古いもの、昔の人
          明治10年の西南戦争の際、敵味方の区別なく傷病兵の救護に当った博愛社が
          前身。明治19年、ジュネーブ条約に加盟し、日本赤十字社と名を改め、皇室から
          東京渋谷区の広尾に敷地を下賜され、明治23年にこの病院が建設されます。
          広大な敷地に中庭を囲んで9棟の病棟が並ぶ、大規模な病院です。その内の
          1棟が移築されています。
          設計は、赤坂離宮の設計で知られる片山東熊。離宮とは異なり、質素で落ち付いた
          建物として計画。外部はハーフ・ティンバーを模したデザインで、軒の飾りや棟上の
          換気塔など随所に楽しい工夫が見られます。
          樹木に囲まれた今の移築環境は、ひょっとしたら新築当時の広尾を情景を想い
          出させるものかもしれません。
          広くとられた廊下の窓には、森の木々と広い空が映っていました。
          病室のベッドの傍には、点滴の器具や病院食の食器まで置かれ、あの消毒の匂い
          とともに看護婦さんの高い声まで聞こえてきそう・・
          希望と不安、喜びと悲しみ、そんなものが縒り合わさった病棟独特の空気が
          漂ってくるようでした。
          (昭和49年明治村に移築。)