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枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

藩士の生活の匂い・・松江北堀町、武家屋敷

2013-02-17 | 古いもの、昔の人
          松江城のお堀に面した通りは、塩見縄手と呼ばれます。
          ここに江戸中期の中級藩士の屋敷が残されています。
          通りから長屋門をくぐり入ると、敷地は300坪はあろうかと・・母屋はおよそ70坪。
          表側は、式台玄関から座敷に繋がる公の部分。内玄関から裏側に、当主、家族の
          居間、仏間、納戸そして台所と繋がる私の部分。取り巻く庭は、簡素ながら気持ち
          よい雰囲気を持ちます。台所の近くに井戸。懐かしいつるべ・・

          ここは松江藩の六百石程度の藩士が、屋敷替えによって入れ替わり住んだ屋敷と
          言われています。
          豪勢ではないけれど、とても住み易い住宅に思えます。江戸時代の藩士の生活、
          我々が(いや、私が・・)考えるよりづっと豊かであったのかもしれませんね。



 長屋門から






 玄関前庭





 玄関





 内玄関





 座敷





 居間から





 小間





 仏間から庭を





 縁





 井戸





 台所

















千鳥の羽根の如く・・ 松江城

2013-02-07 | 古いもの、昔の人
          松江市の中心部、殿町にある松江城。一名、千鳥城とも呼ばれます。
          江戸時代の初め、1611年に藩主掘尾氏により築城。
          その後、藩主は京極氏、松平氏に引き継がれ明治を迎えます。
          全国に現存する12天守の一つで、平面の規模では姫路城に次ぎ2番目と言われます。
          天守は、外観4層、内部5階、地下1階。南側に平屋、地下1階の付櫓を持ちます。
          外壁の大部分は、白壁ではなく、黒い下見板で覆われています。これは古い様式。
          入母屋造屋根の三角形部分は入母屋破風と呼ばれ、桃山時代の様式を継承したもの。
          また、石積みは自然石を殆ど加工せず積み上げる野面積(のずらづみ)と呼ばれる
          堅固で古い形式。
          内部は、桐の階段や寄木柱など合理的な工夫が随所。床板の輝きが見事。

          この城(天守)、城郭を歩いて外から見上げると、その堂々とした層構成と、
          何といっても、重なる軒の線(曲線)の美しさに惹かれます。
          国重文指定ですが、何度も国宝指定の動きがあったことも頷けることと思わせられます。
          私は初見ではありませんが、この度は、この天守の素晴らしさに一種の感動を覚えた
          ことを・・付記させていただきます。

















































































伊丹の町屋の面影の濃さ・・旧岡田家住宅

2013-01-28 | 古いもの、昔の人
          「いたみのさけ(を)けさのみたい」 どちらから読んでも同じ文章、「回文」と
          言うのだそう・・酒好きの方はご存知でしょう。
          そこに読まれた伊丹の造り酒屋の建物が、街中に残されています。
          店舗(15.4m×15m)、酒蔵(16.2m×15m)、その間に釜屋、洗い場
          (21.6m×8m)より構成されます。
          店舗は江戸前期(1674)、酒蔵は、少し遅れて1715年頃に建てられたと
          言われます。所有は、初期の松尾与兵衛から二家を経て、明治の岡田家へと
          移り、昭和59年まで酒造りが行われていました。
          店舗部分は、東側に土間、西側に居室部で、店の間二室、板敷きを経て、中の間、
          次の間、奥の間と続きます。二階にも物置や座敷など五室が並ぶ豪勢なもの。
          蔵部分は木材を格子状に組んだ堅牢な土壁に囲まれ、見上げれば、4間の
          大梁を二通り架けた豪壮な小屋組み。天窓からの外光が息をつかせます。

          表通りに面した構えの見事さ。薄暗い屋内に目を凝らせば、江戸時代初期から
          発展してきた豪勢な町屋の雰囲気がしっとりと伝わってくるのです。

















































































深い木曾の谷にすむ・・中山道奈良井宿

2012-10-17 | 古いもの、昔の人
          中山道木曾路は、深い山が迫る山峡の道です。
          奈良井は、難所といわれた鳥居峠の北に位置し、交通の要として江戸期を
          通じて繁栄した宿場です。
          桧物細工、塗物、塗櫛などの木工業が盛んで豊かであったといいます。
          近代以降大火がなく、「奈良井千軒」といわれた江戸末期(天保期)の形式を
          残した町屋が多く見られます。格子、袖壁、鎧庇、蔀(しとみ)、くぐり戸・・・
          内部を公開している家も数軒あり、特に国重文の上問屋手塚家は中庭を
          中心とした瀟洒な造りで、潤いある生活を覗わせるものでした。

          途切れず雨の降る日でした。案内所で傘を借りてゆっくりと保存地区の家々
          を見て歩きました。
          観光に依存する不安も匂わせるものの、美しい家と街に住む幸せも感じ
          させる・・・・・・そんな街でした。






















































































八万四千地蔵の誓願、その後・・東京散歩

2012-09-29 | 古いもの、昔の人
          日暮里から人で混み合う銀座を歩きました。・・銀座といっても谷中銀座です。







          そこから谷中霊園を抜けると、街かどにお馴染み「吉田酒店」。江戸商家の展示建物。
          ここで酒買っちゃいけません。








          そして、いつの間にか上野桜木の浄名院の前に出ていました。
          ここは、以前東京に住んでいた頃は何度か来たことがある所です。
          寛永寺の子院のひとつ、浄名院。8月15日のへちま供養でも知られる寺です。
          明治9年、如運和尚が八万四千体の石地蔵建立を発願。全国の信者が加わり
          地蔵の数は増え続けていると言われてきました。
          しかし、今は石地蔵の間には雑草が生え、破損して消えかかっている地蔵も
          多くみられます。御守りする人の手もまわらなくなったのでしょうか・・
          それとも、諸行無常と思うべきなのでしょうか・・
          久しぶりの東京で見た、もう一つの風景です。