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枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

化野(あだしの)の念仏寺を行く

2016-12-26 | 古いもの、昔の人
          嵐山から始まる嵯峨野の遊歩道は、常寂光寺、二尊院、祇王寺などを経て化野の
          念仏寺に至ります。
          化野の地は古くから鳥辺野、蓮台野とともに葬地として知られた処。
          9世紀の初め空海が、この地に葬られた人々を追善するため、千体の石仏を埋め
          中央に五智如来の石仏を立て、五智山如来寺と称したのが始まりと伝えられ、
          鎌倉時代の初め法然の常仏道場となり、浄土宗の念仏寺になったといわれます。
          境内には八千体に及ぶ無縁の石仏、石塔が集められ、いつの頃からか
          「西院の河原(さいのかわら)」と呼ばれるようになったと。

          阿弥陀如来を祀る本堂には「子供叱るな来た道だ 年寄り笑うな行く道だ」と
          書かれています。みず子地蔵堂の赤い光も目に沁みます。
          何やらひっそりとして息づくような門前の家や店と道の風情も、また化野にふさわしい
          ように思われ、思わず遅足で歩くのでした。










































































紀州、湯浅の街を歩く

2016-10-27 | 古いもの、昔の人
          和歌山県有田郡湯浅町。古くより熊野参詣の宿所として栄えたこの地。
          江戸時代に入り商業都市として発展、特に金山寺味噌から商品としての醤油が発祥した地
          として知られます。   
          江戸時代から明治にかけての街並みの一部は、伝統的建築物保存地区に指定されています。
          天保12年創業の醤油の店舗、職人蔵を見て、通リを歩きふと目に入った「甚風呂」の案内、
          幕末から昭和60年まで営業していたという銭湯に立ち寄って・・
          そこは、他所の一部の保存地区に見られるように、改修し造り過ぎの街並みではなく、
          生活の香りが色濃く残っているようなところ。それが好ましく思えます。
          心地よく、懐かしく感じさせる様々なものに出会えるところでした。




 醤油蔵の見える通り





 店舗、醤油、味噌























 醤油蔵

















 通りの奥へ





 甚風呂

















 歪みガラス






 お休み処











 街角















石積みを装った堰堤の風格・・呉市本庄ダム

2016-04-05 | 古いもの、昔の人
          広島県呉市の最北部、もう広島市にも近い焼山北に本庄ダムがあります。
          大正7年(1918)旧帝国海軍の軍用水道の水源地(貯水池)として築造されました。
          現在も呉市の取水施設として稼働しています。平成11年、現役の水道施設として
          は初めて国重文に指定。
          堤頂部の長さ97m、堤頂部幅3.64m、高さ25mの重力式コンクリートダム。
          堰堤の表面は現場採掘された花崗岩を用いた切石処理がなされています。
          その見事な石の表情がこの堰堤に限りない風格を与えているように思えます。
          現在の管理は呉市。制服の管理職員から「昔の海軍さんはよー頑張ったもんじゃ・・」
          と声が聞かれます。
          堰堤の周囲は皇居周辺と同じ「ねじれ松」が数十本植えられています。
          貯水池の中央には水神を祀る神社。これらは旧海軍の軍用施設であったことの
          名残りでしょうか。
          池の周囲の林は薄い紅色、青葉の萌えたつのも間近と思えます。












































































昔日の面影・・臼杵磨崖仏

2016-03-17 | 古いもの、昔の人
          一般には「臼杵石仏」と呼ばれています。
          阿蘇山の火砕流が熔結した凝灰岩に高肉彫とされた4群(ホキ石仏第1群、ホキ石仏第2群、
          山王山石仏群、古園石仏群)50駆を超える石仏群です。
          石仏の造立年代を示す史料は無く、その作風から多くは平安時代後期、一部
          (ホキ石仏第1群、地蔵十王像)は鎌倉時代の作と推定されています。
          風雨にさらされ続けた石仏は剝落、損傷が進んでいます。また、昔からの参拝の道は
          大雨の時は川と変わり石仏を削りとってきました。多くの石仏はその下半身を失っています。
          現在は石仏群を覆う覆堂も造られ、排水設備も設けられて、その保存に懸命な努力が
          続けられています。この度、訪れた時も、最も有名なあの大日如来がある古園石仏群は
          保存工事中で見ることができませんでした。
          目を凝らせば、石肌の着色は驚かされるほどに残っており、失われたテ足を補って華麗でも
          あった往時を想像するのです。
          私は、50年前、その後にも一度ここを訪れています。石仏群とその周囲の環境の
          変化には驚きを感じるのみです。それはその間の自らの変わりようも加わったものでしょうけれど・・




 田圃のなかの鳥居。石仏群の山上に祀られる日吉神社の参道鳥居であるかも・・後方は石仏のある山





 
 ホキ石仏第2群、阿弥陀如来 他像





  ホキ石仏第2群、阿弥陀如来 他像





 ホキ石仏第2群、阿弥陀三尊





 ホキ石仏第1群、阿弥陀三尊





 ホキ石仏第1群、地蔵菩薩、十王像





 ホキ石仏第1群、釈迦如来





  山王山石仏、中尊の如来





  山王山石仏、中尊の如来





 山王山石仏、脇侍の如来












大分、臼杵の街を歩く・・臼杵雛の印象

2016-02-28 | 古いもの、昔の人
          大分県臼杵と言えば何を想い浮かべられるでしょうか。
          古い街並、とらふぐ料理、醤油・・近くに有名な石仏群もありますね。
          ♪ 春は名のみの風の寒さや・・
          早春賦の作詩者、吉丸一昌の故郷でもあるのです。この詩は、むろん臼杵ではなく
          長野県安曇野辺りの情景をうたったものと言われますが、吉丸一昌記念館で、
          暫しこの歌の虜になり、臼杵の街を彷徨い始めました。
          近くの臼杵川には春を想わせる陽光がありました。
          やがて切り通しの古い街並。この季節、昔、真光寺という寺の本堂であった建物に
          たくさんの雛人形が飾られていました。
          江戸時代後期、質素倹約を勧める臼杵藩は「紙のお雛さま」しか飾ることを許さ
          なかったそうです。その頼りなさそうな雛たちの何と可憐なことか。
          それから、朽ちかけた長屋門や、藩の上級武士の屋敷の面影を色濃く残す邸宅や
          庭を見ながら歩きました。