軽井沢町になって今年でちょうど100年を迎え、国の重要文化財としての建造物は、
昭和55年に指定された旧三笠ホテルに加えて、今年、A・レーモンド「軽井沢夏の家」が指定され、
合計2件となった。
この件数は、独自の歴史と文化を蓄積してきた軽井沢という町にとって、多いのだろうか、
あるいは少ないのだろうか。
「旧三笠ホテル」はいまでこそ町のランドマークとして認知されているが、
町が長銀から無償譲渡を受け入れるには紆余曲折があった。
「旧三笠ホテル」は、本来の場所から約100m移したうえで重要文化財に指定され、
レーモンドの「夏の家」は南ヶ丘のもとの状態ではなく、塩沢湖に移築後に重要文化財
に指定された。
しかも旧三笠ホテルは、昭和54年の「軽井沢タイムス」紙によると、当時の所有者である
日本長期信用銀行が昭和48年、6400万円の工事費を負担して同ホテルを移動、修復し、
重要文化財の指定を受けた上で敷地1650㎡をつけて軽井沢町に寄付をしたいという
申し出をした。この提案を受けた軽井沢町が譲渡を承諾したのは約8年後のことであった(苦笑)。
一方、「夏の家」は、レーモンド夫妻が米国に帰国する際、売却、三沢浩『A・レーモンドの住宅物語』
によると、買い手はもとの地主の三井家、翌年には大阪の外人が買う。何度も人手を経たらしい。
戦後は日本火災海上保険軽井沢山荘となる。日本火災は昭和59年、「夏の家」を取壊し、
新しい厚生施設を公開競技設計で作る計画をたてた。そのため「塩沢湖レイクランド」
(のちに軽井沢タリアセンと改称)に移築され、ペイネ美術館として利活用され、現在にいたる。






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