軽井沢文化遺産保存

軽井沢文化遺産の保全活用と次世代継承

避暑地・軽井沢と本多静六「軽井沢遊園地設計方針」(1) 明治44年

2016年09月15日 | 歴史文化遺産
本多静六は、林学者、東京帝国大学教授で、社会的には、東京の「日比谷公園」(M34)や明治神宮の「神苑」の設計と造営を担当したことなどで知られる。折原静六(1866-1952)は、埼玉県河原井村(現・菖蒲町)生まれで、明治22年、本多家の婿養子となる。
一方、本多静六は長野県とも関係が深く、明治38年、長野県県有林の顧問となり、明治44年には、軽井沢地方を踏査し、油屋旅館で口述したものが梗概筆記の形で残されている。
本多が踏査したのは、明治44年10月30日のことで、この日は、天気晴朗で、調査にはお誂え向きの好日和であったようで、本多は2日分程も歩いたという。一度の調査で立案するのは少しく本意に反する所であるが、今回同行したドクター本郷君が後日更に十分調査した上の意見をも聴いた後、此の欠点を補うとして今日実地踏査した所と井上課長並びに今牧技手の説明を参酌して軽井沢遊園地設計の大方針を述べることに致しますということで、油屋旅館での口述筆記が始まっている。
「軽井沢遊園地設計方針」は、26か条から成る。
本多は、軽井沢の如き広大なる遊園地というものは、まずその土地に存する天然の風景、殊に其の土地の特徴となす可き風景を発揮して之を完全に利用せしむるように設備するのが主な目的であるという。
 而して此の軽井沢の地は、宛も欧米の大陸的高原に見る如き快濶なる風景を有し、而も夏季の非常に涼しいので、第一此快濶なる風景を害せざる範囲内に於いて夏を愈々涼しからしむる為に、樹蔭を増すを主とする。
 さらに軽井沢を夏季以外にも利用する方法として秋の紅葉、春の花と若葉の美を発揮せしめ、さらに冬の娯楽をも与えるようにしなくてはなりません。
 それゆえ私は此等の目的、殊に軽井沢の特徴を発揮するを主として26か条の案を立てたのであると本多は述べている。
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軽井沢の三井三郎助別荘と軽井沢のコーヒー

2016年09月04日 | 歴史文化遺産
昨日3日、午前中の雨も落ち着いてきたようなので、昼過ぎ、自転車で先ずは三郎助別荘へ行く。
この軽井沢で現存する唯一の明治の洋館・和館別荘は、すでに126年が経過、外部から見ても、傷みが進行しており、訪れるたびに心が痛む。
洋館サンルーム、中央の両開き戸の軒下、同側部、腰板などをはじめ、数え上げればきりがない。今後も、理解ある方々と皆で協力して補修と保存に取り組んでいきたい。
その後、旧軽銀座通りの土屋写真店に立ち寄り、土屋牧場と愛宕山が撮影されている大正時代の珍しい写真など、4点を購入させていただく。
土屋牧場は、土屋さんのご先祖さんが経営していたもので、現在の軽井沢本通りの中部電力辺りにあったそうである。ホルスタインやヨークシャーの牛など10頭あまりが牧草をはみ、背景の愛宕山にはまだ樹木がほとんど生えておらず、山腹、山麓に別荘が点在しているのが見てとれる。しかし三郎助別荘がどこにあるのかについては、いまひとつ読みきれない。
三郎助別荘の大もみの樹の下で、 大正元年の夏、野外劇「パイド・パイパー」が演じられた。その出演者らを土屋写真店が撮影している。中央には、当時12歳のエロイーズ・カニングハム嬢が写っている。
土屋さんご夫妻としばらくぶりにあれこれ話し込んでいるうちに、時間があっという間に過ぎ、3時になってしまった。
今日は、2時過ぎに、南ヶ丘のエロイーズ・カニングハムカフェへお茶をしに行く予定であったが、閉店時間が来てしまった。
やむなく銀座通りからロータリー辺りへぶらぶらと自転車で行くと、黒塗りの小店舗の前で呼び止められる。見ると、エロイーズカフェのIさんである。「コーヒーを試飲しませんか?」と誘われる。
ここが開店して間もないKARUIZAWA KOFFEE COMPANYの店舗なのかと思い、勧められるままに、アイスコーヒー「旧軽井沢ブレンド」とグアテマラの中煎りホットコーヒーを試飲する。それぞれなかなかに美味しい。同社は、エロイーズカフェのTさんと共同で立ち上げた合同会社で、Iさんはその代表社員であるという。
開店祝いに何か買って帰ろうと思い、過日、エロイーズ(ハーモニーハウス)カフェで飲んだ「南ヶ丘ブレンド」200gを購入する。
食材を買いにスーパーMに行くと、「9月8日から来春上旬まで改装工事のため閉店」という看板が出ているので、驚く。すでに隣の大型書店Hが閉店してしまい、この国道18号沿いの商業ゾーンが急にさびしくなってしまう。地元民をはじめ、別荘滞在者、観光客に親しまれるスーパーに生まれ変わってほしいものである。
 帰荘後、さっそく「南ヶ丘ブレンド」を、最初、ストレートで、次にミルクを注いで飲んだが、スッキリした味わいで美味しい。
明治、大正時代、軽井沢の三郎助別荘でも、大もみの樹の下でお茶会などが開かれ、写真が残されている。タゴールが来日、ここでお茶会が行われたときには、写真師・江崎清が撮影している。当時の軽井沢珈琲事情について今度、茶器も含めて取り上げたい。きっと土屋牧場のミルクも使われたにちがいない。






















軽井沢コーヒーカンパニーの店舗、ロータリーのそば、町営公衆トイレの向かい側にある


「南ヶ丘ブレンド」200g






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