三笠ホテルには、現在、 客室やサンルームに、名古屋製陶所製(鳴海製陶)や東洋陶器製(TOTO)の水洗洗面器が設置された状態になっており、110余年の歴史の推移を証言している。
東洋陶器の商標は、最初、大正6年から同10年まで、「三郎助別荘」洋館2階の洗面器のように、リボンの図柄の中にORIENTAL CERAMIC WORKS LTDという英語表記がされていた。
次に大正10年から昭和7年まで、地球の上に大鷲がはばたく図柄となり、ORIENTAL CERAMIC WORKS LTDという英語表記がされた。
昭和7年から昭和37年まで、同じく大鷲がはばたく図柄であったが、英語・ローマ字表記には変遷があり、高級品にはTOYO TOKI CO.LTD、大衆品には TOYO TOKI、第二次世界大戦中および終戦直後にはCO.LTDが敵国の言葉であることからTOYO TOKI KAISYAという表記になったという。
写真は、三笠ホテル1階サンルームに設置されている東洋陶器の洗面器であるが、TOYO TOKI KAISYAというローマ字表記になっている。敵国の言葉であるCO.LTDが使えず、三笠ホテルが戦中の外交の舞台になっていたことが窺える。
東洋陶器の商標は、最初、大正6年から同10年まで、「三郎助別荘」洋館2階の洗面器のように、リボンの図柄の中にORIENTAL CERAMIC WORKS LTDという英語表記がされていた。
次に大正10年から昭和7年まで、地球の上に大鷲がはばたく図柄となり、ORIENTAL CERAMIC WORKS LTDという英語表記がされた。
昭和7年から昭和37年まで、同じく大鷲がはばたく図柄であったが、英語・ローマ字表記には変遷があり、高級品にはTOYO TOKI CO.LTD、大衆品には TOYO TOKI、第二次世界大戦中および終戦直後にはCO.LTDが敵国の言葉であることからTOYO TOKI KAISYAという表記になったという。
写真は、三笠ホテル1階サンルームに設置されている東洋陶器の洗面器であるが、TOYO TOKI KAISYAというローマ字表記になっている。敵国の言葉であるCO.LTDが使えず、三笠ホテルが戦中の外交の舞台になっていたことが窺える。