軽井沢文化遺産保存

軽井沢文化遺産の保全活用と次世代継承

渋沢栄一とタゴール(Ⅰ)

2020年12月20日 | 歴史文化遺産

 タゴールはアジアで初めてノーベル文学賞を受賞した詩人ですが彼の作詞作曲によるみなの心はインドの国民会議で歌われ英国から独立後インド国歌となっていますまた生地カルカッタに近いシャンティニケトン父親の別荘があったで始めた野外学校明治34のちに大正10インドの国立大学ビッショ・バロティ大学に発展していますこのようにタゴールは藝術学術独立・平和運動などの分野で大きな役割を果たしています。                                         渋沢栄一がタゴールと最初に会ったのは大正572)、東京目白の日本女子大学校において、18時半より晩香寮で開催されたタゴール歓迎晩餐会の場においてです

 ちなみに晩香寮渋沢が明治40年に寄贈した洋風寮木造2階建寮名は渋沢が愛吟する陶淵明の詩句晩節香に由来します。                   

  晩餐後会場は講堂に移されタゴールは詩集ギタンジャリを朗読しベンガル語の詩の読誦を行っていますこのとき宮沢賢治の妹・宮沢トシ家政学部予科在学は講堂で学生の一人として参加していました。                                    

 その後渋沢は、713午後4成瀬仁蔵日本女子大学校創立者、「帰一協会幹事らを同行し横浜の原富太郎の三渓園に滞在するタゴールを訪ね食事を共にし、「帰一協会の幹事として、世界平和や宗教の問題について談話を交えたようです。                                                     ちなみに帰一協会は明治45成瀬仁蔵の呼びかけにより渋沢栄一森村市左衛門姉崎正治浮田和民らにより設立された思想団体です。                                      この歓談の結果渋沢栄一は、816正午タゴールを飛鳥山邸に招き午餐会を開催しています午餐会終了後タゴールは成瀬仁蔵の招待で軽井沢へ向かい夕刻三井三郎助別荘小石川三井家に到着、821日まで滞在、「三泉寮」(日本女子大学校夏期寮軽井沢で最初の学寮の寮生たちに講話や瞑想の指導をしています。         このとき高良とみ英文学部は寮生の一人としてタゴールの講話に感動しその後タゴールの来日のたびに通訳を務めのちに日本タゴール協会の会長となります。               渋沢栄一はその後タゴールの来日のたび大正13昭和4)、飛鳥山邸に招きタゴールを支援することになります

 

晩香寮は、木造2階建ての洋風寮で、明治41年4月20日、開寮式が行われた。

寮監はミス・アズバン、寮舎では英語の修練と洋風生活の実践を行う。

「家庭週報」には、一柳まき子氏は、寮監を助けて英語教授およびピアノ教授に従事すると記されている。

ちなみに4月20日は、午後2時より日本女子大学校の第七回創立紀念式、香雪化学館開館式(藤田伝三郎寄贈)、晩香寮開寮式(渋沢栄一寄贈)が行われた。寄贈者の藤田伝三郎、渋沢栄一をはじめ、洋装の広岡浅子、和装の三井三郎助夫人(壽天)、森村市左衛門らが列席している。

 

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