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庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

キャンプ

2007-05-06 21:41:33 | 自然
ずいぶん久方ぶりに3日間ほどキャンプしてきた。高知県・四万十市にある素晴らしく整備されたキャンプ場で、これが全くの無料。すぐ傍らには日本最後の清流と呼ばれて久しい四万十川が流れている。

スローライフを標榜する私としては幾分忙し過ぎるキャンプではあったのだが、それでもいつもの日常を離れて、少し離れた位置から常の生き方を遠望する良い機会にはなる。テントをクローバーの花の一群の中に展開したおかげで、ちょっと夢のような香りの中で寝ることが出来た。

しかし、レッツノートを手放して、近年にないパソコン無しのキャンプは若干手持ち無沙汰(ぶさた)であった。私にとってパソコンはすでに茶碗や箸と似て毎日の生活に不可欠のものになっているらしい。そりゃそうだ・・・今や読書の半分をこなし、様々な情報を集め、つまらない考えをまとめて乱書しながら、ある意味人間的とも言える“知的生活”の多くをこれに拠っているのだから・・・。

ところで、もうだいぶ以前、ニオイが出てくるパソコンが開発されたというニュースがあったが、あれはその後どうなったのだろう。何かのデータに、人間の感覚器官が捉える情報のうち80%か90%は視覚が占める、というのがある。しかし、聴覚、臭覚、味覚、触覚・・・それぞれ性質が違うのだから、質的に異なるものを量的に比較しても意味をなさないだろう。

ヘレンケラーは視覚・聴覚を失ったが、天候の変化や人間の品性まで敏感に嗅ぎ分け感じ分けたという。私も目に見えない風を読むときなどは全ての感覚を使う。特に臭覚は生命の非常に深いところにある記憶領域と密接な関係を持っているように感じることが度々(たびたび)ある。

誰が教えるということもなかったのに、幼い頃の息子は食事の前に必ず食べ物の匂いを嗅いで、それが自分の体に適したものかどうかを正確に判断していた。ある仏典には“におい”で意思疎通する遠い世界の話があったような気がする。

パソコンからの情報に関して言えば、現在のところ視覚と聴覚だけの世界だ。ものごとの、特に生命世界の生(なま)の情報に直接触れるためには、まだまだ限られた能力しか持たない一つの道具なのであろう。