今朝は久しぶりにボブ・ディランを聞いた。ついでにジョン・バエズも。ありがたいことに、フリーソフトを使ってYouTubeのサイトから貴重な映像資料を手に入れることができるようになった。今朝のは1960年代にアメリカのTV局で放送されたボブのデビュー当時に近いもので、彼らはもちろん20代の若さだ。
このブログの表題は特に『風に吹かれて』に習った訳ではなく、私の生き方の基本姿勢が風まかせであるからというに過ぎないのだが、ボブやバエズが世界のャbプス界を大いに湧かせたのが60年代のあの時代、私の少し先輩のおそらく大半は、その青春の息吹の何がしかを反体制の空気に晒(さら)していたに違いない。
私が中学時代、まだ新任に近い英語のN先生もどうやらその一人だったらしく、授業中にギターを持ち込み“Blowin' in the wind" の歌詞プリントを回されて皆で歌ったのを覚えている。“How many roads must a man walk down, before you call him a man...” N先生はこれに「一人前の男になるには何度も試行錯誤の道を歩むことが必要なのだ・・」みたいな解釈を付けたように思うが、後にノーベル平和賞の候補に挙がるほど卓越した詩人であったボブが、この歌詞に公民権運動のメッセージを込めていたことを私はずっと後に知ることになる。
ちなみに、N先生は初めて私を殴ってくれた人物でもあり、数年前に県の人事異動で校長先生になっていた。彼もまだ人生の試行錯誤の途上なのかもしれない。
このブログの表題は特に『風に吹かれて』に習った訳ではなく、私の生き方の基本姿勢が風まかせであるからというに過ぎないのだが、ボブやバエズが世界のャbプス界を大いに湧かせたのが60年代のあの時代、私の少し先輩のおそらく大半は、その青春の息吹の何がしかを反体制の空気に晒(さら)していたに違いない。
私が中学時代、まだ新任に近い英語のN先生もどうやらその一人だったらしく、授業中にギターを持ち込み“Blowin' in the wind" の歌詞プリントを回されて皆で歌ったのを覚えている。“How many roads must a man walk down, before you call him a man...” N先生はこれに「一人前の男になるには何度も試行錯誤の道を歩むことが必要なのだ・・」みたいな解釈を付けたように思うが、後にノーベル平和賞の候補に挙がるほど卓越した詩人であったボブが、この歌詞に公民権運動のメッセージを込めていたことを私はずっと後に知ることになる。
ちなみに、N先生は初めて私を殴ってくれた人物でもあり、数年前に県の人事異動で校長先生になっていた。彼もまだ人生の試行錯誤の途上なのかもしれない。