バカに厳しいバカばかり

自戒の念も込めてそういうタイトルにしました。

今日のお食事(05.11.10)

2005年11月12日 16時39分10秒 | 日記・雑記
11月10日(木) 晴れのち曇り

朝:家飯
○食べた時刻:9時20分
○メニュー:
トースト 1枚
みかん 1個
バナナ 1本

昼:あーやん弁当(写真)
○食べた場所:会社デスク 
○食べた時刻:12時00分~12時20分
○メニュー
・しらすと焼肉の2色丼

夜:家飯
○食べた時刻:21時15分~21時40分
○メニュー
・しらすかけごはん
・納豆
・豆腐の味噌汁
・さんまの塩焼き大根おろし添え

○コメント
※帰宅して夕食を摂ろうとすると、妻(あーやん)が日経の夕刊を読んで涙ぐんでいる。80代の夫妻が心中した事件の記事。病気で認知症の奥様をご主人が一人で介護していた。経済的に困窮しているわけではないようだが、他に身寄りはなく、かといって近所との関係も積極的ではなかった。介護の末に夫婦心中を決めてからは、ご主人は財産を行政に寄付する遺言状を作り、最期の場に選んだのは、火葬場の使われていない炉。炉の側に車を停め、車中には当日までの経緯を書いたメモが残されていた。老いた末の夫婦心中という結論の悲しさの一方、最期の日までの身辺整理や、火葬場という場所の選択も含め、恐らく人に極力負担を掛けまいとする考え方の跡から、僭越だがご主人のお人柄が察せられる。

未来の我々はどうなってるんだろう。普段は平気で忘れるが「我々もいずれ年をとって、確実に弱っていく」現実を考える。そのとき仮に、子孫の成長を喜ぶことも出来ず、他の新たな話題や心の拠りどころを求められる何かもなく、その上夫婦の誰かが重く健康を害していたら。先に展望のないまま、砂時計を見るように残された時間を過ごす夜に、それでも自分は、明日に生きる意味を見出し続けていられるか。とりあえず、今日もちゃんと動いてくれた妻と自分の身体や、当然のように昨日とは違った姿を見せ続けてくれる2歳の息子への有難みを感じる一方、炉に並んで横たわることを決めたご主人の、その時の心情を想い絶句するだけの夕食。


(下記は事件の新聞記事。NIKKEI NETに該当記事がなかったので、同じ主旨の記事を掲載していた東京新聞のサイトにリンク)

福井で老夫婦が火葬場心中

福井県大野市の現在は使っていない火葬場の炉で今月七日、近くの八十代の老夫婦が焼身自殺した。遺体は焼けて白骨状態だった。二人は心中の前に財産の処分先を書いた遺言を市役所に郵送するなど身辺を整理していた。妻には数年前から認知症の症状があった。火葬炉に一緒に入った夫妻の人生の幕引きとは。

「自分も体が不安で、いつ何が起きるかわからない」。夫は最近、体調を崩し、近所の人に不安を口にすることがあったという。
亡くなったのは同市七板(なないた)の無職男性(80)と、妻(82)。二人には子どもがいなかった。妻は三年ほど前から糖尿病を患って足が不自由で、認知症の症状も出たため夫が始終付き添っていた。
老夫婦が暮らした小さな集落はJR越美北線・越前大野駅から東に約五キロ。七日午後二時ごろ、付近の住民から「集落の元火葬場付近にエンジンがかかったままの車が止まっている」と、福井県警大野署の駐在所に連絡が入った。
住民によると、元火葬場は集落から二百メートルほど離れ、周りは田んぼに囲まれている。この三十年ほどは使っていなかった。
平屋でブロック造りの元火葬場は、内部にある煉瓦(れんが)製の炉がまだ温かい状態で、真っ黒な炭の中から署員が白骨化した二遺体を発見した。焼却炉前に止めてあった車は夫の所有で、車内にあった給油伝票の裏面には、自宅を六日夕に出てから火葬炉に火をつけるまでの行動を簡潔に記した書き置きが残されていた。
「午後四時半、車の中に妻を待たせている」
「午後八時、妻とともに家を出る」
「妻は一言も言わず待っている」
「午前零時四十五分をもって点火する」
自宅を車で出た後、親類の家や夫婦の思い出の場所を通って元火葬場へ向かった形跡もあった。
二人は七日未明、まきで火をおこした火葬炉に一緒に入り、内側から金属製の扉を閉めたとみられる。
自宅からは日記帳も見つかり、「たきぎや炭で荼毘(だび)の準備」「(気持ちは)さっぱりした感じでいる」などの記述があった。
大野署は老夫婦が心中したとほぼ断定した。発見当時、車は大音量でクラシック音楽を流したままだった。「だれかに発見してもらえるよう配慮したのではないか」と、捜査関係者は受け止めている。
夫は、自宅をはじめ不動産を市に寄付する遺言書をしたため、心中した前日の六日、市役所宛(あ)てに郵送していた。遺言書の作成は約一年前で、心中を決行する、かなり以前から身の回りの整理を始めていたようだ。また、預金も世話になった人たちに渡るよう処分を依頼してあった。
自宅の敷地は、決して豪勢ではないが、よく手入れされた植木や菊の鉢植えが並び、池にはコイが泳いでいる。夫の几帳面(きちょうめん)な性格をうかがわせた。
夫婦は仲がよく、元気なころから一緒によく買い物に出かける姿があった。
「一人で外出できない奥さんを車に乗せて二人で出掛ける姿をときどき見た。どこに行くにもいつも一緒で、本当に仲のいい夫婦だったのに…」
老夫婦と同じ町内に住む主婦は、こう話すと絶句した。
認知症の症状が出た後は、夫が付きっきりで介護に当たっていることを周囲も知っていた。「ご主人は『妻から目を離せない』と話していた。周囲の者も心配はしていたのですが…」と主婦は振り返る。


~中略~

「食事の支度や洗濯はご主人が一人でやっていた。見かねた周囲の人が『食事の配達など、ほかのサービスも受けたら楽になりますよ』と何度も勧めたが、『妻の面倒は自分で見る。これ以上は必要ない』と頑(かたく)なに拒んだ」
近所の主婦は、老夫婦との付き合いについてこう振り返る。「ご主人は人に頼ることが嫌いな性格で、奥さんの方も他人に世話をされたくないという気持ちが強かった」
孤立はしていないが、近所付き合いが多い方ではなく、近くに住む親類に頼ることもなかったという。この主婦は「介護のつらさを周囲に話すこともなかった。しかし今から思えば、何年も介護をしてきて疲れ切っていたんでしょうね」と声を震わせた。


~以下略~


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