日本共産党八潮市議・鹿野泰司(かの やすじ) ときどきの記

日本共産党八潮市議会議員です。八潮市の東南部地域、潮止地区が活動エリアです。

資料館企画展「八潮の御鷹場」見学

2015-01-28 | 日記
午後、八潮市資料館で昨日から開催されている企画展「八潮の御鷹場」を見学する。
資料館入り口に掲げられた「のぼり旗」が、今企画展の趣を多いに高めている。
ブログを書く段になって写真に撮っておけばと悔やんでいる。
近いうちに・・・。

「鷹狩り」の歴史、市民との関わりが各種資料で紹介されている。
「鷹狩りは、生類憐れ政策を推進した五代将軍綱吉の時に中断された」が「吉宗が八代将軍になると」復活したとのこと。
これは「鷹場再興の触書 享保元年(1716年) 大瀬・高橋義一氏所蔵(資料館寄託)の文書

「吉宗による鷹狩り復興とともに、八條領など江戸周辺9ヶ領の村々に、あらためて鷹場として心得ることなどを通達している。」
「八條領」は右から7番目に記されている。

また、鷹狩りができるためには、獲物となる鳥の殺生は禁じられ住みつきやすい空間の保持が求められ、家の普請や耕作、娯楽までも制限あるいは「鳥見」の許可が必要とされ、人々の日常生活に支障をきたすことも少なかったようです。

「田揚水掛ケ耕返し勝手ニ付廻状」
「触次の大瀬村平蔵から触下の村々に耕作の許可が下った旨を通達したもの」

また、へー!と思う資料も紹介されていた。

「御用蚯蚓村々割合帳 嘉永元年(1848)大瀬・高橋義一氏所蔵(資料館寄託)」

蚯蚓・ミミズと読む。
説明文「鷹野役所は、八條領の鷹場組合に対して、嘉永元年8月13~29日の27日間に一日当たりミミズ2400筋の上納を命じている。大瀬村の触次下にある13ヶ村で七日間合計16800筋の蚯蚓を上納していた。毎朝五つ時(午前7時頃)までに江戸にある鷹野役所に上納しなければならなかった。」

御鷹場は慶応3年(1867)に幕府より廃止の通達が出される。

当時の人々の様子が目に浮かぶような気がする企画展だった。

戻ってからはしんぶん赤旗の集金とあわせ、議会報告の配布をする。
あるマンションでは・・・
管理人さんにあいさつをし、許可をいただいてから配布をしているのだが管理人さんと立ち話になってしまった。
「都市計画道路が途中で止まっていること」「マンション自治会立ち上げのこと」・・・・

まだまだ配布終了までには時間がかかりそうだ。


午前中は生活相談が寄せられ相談者宅に出かけた。
その後、しんぶん赤旗の集金。



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