神名火だより

出雲地方・宍道湖周辺で撮影した四季折々の写真です。
時々、自作パソコンの話題もあります。

平成のオロチ退治・斐伊川放水路の濁流

2014年08月17日 17時53分37秒 | 日記

 今朝は雲南市あたりでゲリラ豪雨があったようです。斐川町近辺は雷の音とちょっとだけ激しい雨でした。

 斐伊川上流で雨が降ると出雲市あたりの斐伊川水位はみるみる上昇します。昨年完成した斐伊川放水路に分流が始まりました。

 この地図には、放水路は細い線で記載されています。

 放水路の水門から斐伊川上流です。川幅いっぱいに水が流れています。普段は透き通った水ですが、今日は泥水です。


 一定の水位を超えると水門を乗り越えて、越流が始まります。


 そして、水門を倒して本格的は分流が始まります。


 轟音を立てて水が流れ落ちます。ここらあたりは砂が沈殿するように川底が深くなっています。  


 普段の放水路は水がありません。コンクリートがむき出しの「どでかい溝」です。


 この水の行き先は神戸川を経由して、そして日本海です。


 昨年の初稼働(分水)時にも野次馬根性むき出しで見物に行きましたが、雨模様で撮影はできませんでした。それに、大雨で活躍する施設なので、上流の何処かで災害が起きているかもしれないし、これだけの施設を建設するために自分の土地を立ち退かざるを得なかった人々もいます。下流の人間が面白がって見に行くのが気が引けていました。

 今日は自分の中で「減災のための施設なのだ」と納得させ撮影に臨みました。それでも、ちょっと気が引けます。

 普段穏やかな流れの斐伊川を見ている人間にとって、これだけの大量の水のエネルギーを身近で見られるのは驚きです。



Nikon Df + Nikon AF-S Nikkor 24-85mm f/3.5-4.5G ED VR






Nikon Df + Nikon Ai AF Zoom Nikkor ED 80-200mm F2.8D

 斐伊川は上流で砂鉄の採掘がされたため、大量の砂が下流に流され天井川です。斐川町の平野部分よりも高いところを川が流れています。今は1本の川に収束されていますが、江戸時代までは下流部分で幾つもの分流があり、梅雨時期には度々の氾濫があったとのことです。

 その頃の洪水対策は、意図的に堤防を切る、「川違え(かわたがえ)」を行い、河道を低地に移し変えることでした。この「川違え」は、洪水対策という目的とともに、斐伊川の大量の流砂を利用して、河口部に土砂を堆積させ新田を造成するという狙いもありました。

 平田町や斐川町の田園地帯には農家が一列に並んで、斐伊川本川から枝分かれするように集落を形成しています。これはむかしの斐伊川が流れていた自然堤防の上に家が建てられたことによるものです。グーグルマップの衛星画像で見ると一目瞭然。

 この放水路も現代の「川違え」かもしれません。放水路から神戸川に流れ込む大量の砂は日本海に流れ込みます。数十年単位で見ると、大社町、湖陵町、多伎町あたりの海岸線の砂浜は変貌を遂げるかもしれません。



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