僕らが属する、おじさん・おばさんアマチュアフォーク界では、この時期になると「卒業写真」を演奏する人がやたらと増える。しかし、どうも違和感を覚えるのだ。これは卒業式の歌ではないですよね。
♪悲しいときはいつも、開く革の表紙・・・、「いつも」なんだから、季節は特に限定されない。卒業アルバムを見て学生当時の様々な光景を懐かしんでいるのであって、卒業式自体を思い出しているわけでもないと思う。
ちなみに、作者のユーミンが語ったところでは、「あなたは、わたしを、遠くで叱って」の「あなた」は、彼氏ではなく、高校時代の恩師を思い描いて書いたものらしい。ユーミンは立教女学院出身だから、卒業写真に男子生徒は写ってないはずだ。
まあ、そんなにとやかく言うほどのことでもないけど、いかにも「季節に合わせたタイムリーな選曲ですよ」というふうにやられると、何か反感を覚えてしまう。「卒業写真」は大好きな歌だし、季節に関係なくいつやってもいいわけだけど、僕はこの時期にだけは絶対やりたくないです。(笑)
さて、自分自身の高校生時代を振り返ってみる。
いかにも京都らしい変な学校だった。写真は重要文化財に指定されているという校門。前身はわが国最初の女学校で、明治4年に創立。あの新島八重さんがここで教鞭をとっていたらしい。僕はいつも河原町通りに近い裏門から出入りしていて、寺町通りに面した正門は、あまり拝観することもなかった。校舎や図書館も立派な建物だったが、僕にはあまり深い思い入れはない。
それよりも懐かしいのは、校舎の裏にあったサークルボックス。この写真は数年前に撮ったものだが、僕の通っていた頃も同じような雰囲気だった。僕たちはこの一室で語り合い、本を読み、ギターを弾き、創作もした。授業をサボってここで屯することも多かった。部屋にはコカ・コーラの空き缶が灰皿代わりに置かれ、いつもタバコの匂いが漂っていた。テーブルの上には、少年マガジン、宝島、りぼん、大学への数学、ロッキンF、プレイボーイ、ユリイカなど、いろんなジャンルの雑誌類が散乱していた。家へ帰ってもどうせ勉強しないので、教科書一式はサークルボックスに置き、ギターだけ持って通学していたときもあった。
学校内にありながら教師たちの干渉を受けない治外法権の場。僕はここで友人たちと無為な時間を過ごしながら、音楽や文学や様々な思想に触れ、少年から大人への長い階段を登り始めた。
服装は自由だったし、夏はたいてい裸足にサンダル履き。授業をサボっては百万遍界隈でよく遊び、学校帰りにはライブハウスやパブなんかにも出入りした。ほんとに自由奔放な高校生活だった。もし別の学校へ通っていたとしたら、僕は今とはまったく別の人生を歩んでいたのに違いない。
できることなら、当時の友人たちとサークルボックスに集まり、酒でも酌み交わしながら昔話に花を咲かせたいと思う。でも、現在行われている校舎改築に併せて、懐かしいサークルボックスはきれいさっぱり取り壊されてしまった。
まあ、それはそれで仕方ないと思うのだ。形あるものはいつか壊れる。思い出は自分の胸の中で、いつまでも生き続けてくれるだろう。僕にはそれで十分だ。
最近、歳のせいか思い出に浸ることが多くなってきた。現実の世界にしっかりと腰を据えながらも、時々はノスタルジーの世界を気ままに散策したいと思う。
*冒頭の写真は学園祭の準備風景。真ん中のエプロン姿が僕です。
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