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 ♪♪♪ H.Tokuda

ゴールデンウィーク事情

2017-04-22 23:51:42 | エッセイ
 もうすぐゴールデンウィーク。
 僕の家は琵琶湖畔のリゾート地付近にあるため、連休ともなればひどく車が渋滞する。住宅街の路地から琵琶湖大橋へ続く幹線道路へ出たとたんにもう長蛇の列。これではどこへも出掛ける気にならない。
 そこで僕の考え出したのが「自宅バカンス」。まるで別荘にでも居るような気分で、自宅およびその周辺をのんびり楽しもうというわけだ。昼間からゆっくり(全国各地温泉の香りの入浴剤なんかを使って)風呂に入ってみたり、屋上の折りたたみベッドに寝っ転がってカクテル(ほんとは缶チューハイ)を飲んだり、アメリカ西海岸にでも来たような気分で琵琶湖岸を散歩したりする。のんびりムードに飽きてきたら、ちょいとラスベガスにでも遠出するような気分でパチンコ店へ出掛けたりもする。(笑)
 ここ10年くらいは、毎年そういうGWを過ごしてきた。「今年もまた、どこへも行かなかったなぁ」などと悔やむよりも、「自宅バカンスをたっぷり楽しんだ」とプラス志向で考える方がいい。何事も気の持ちようだと思う。

 ところが、今年のGWはちょっと様相が違う。ライブの予定が3本入っていて、そのための練習も予定されている。4/30は昭和歌謡、5/4はアメリカンフォーク、5/7は日本のフォークと、それぞれ演奏ジャンルが異なる。脆弱な僕には中2日や3日での登板はかなりきつそうだ。
 でも、まあ僕らはまったくの素人だし、趣味で演奏しているだけなんだから、のんびり気楽にやればいいだろうと高をくくっている。こんな僕らに演奏の機会を与えていただけるのは、ほんとに有難いことだ。こうしたチャンスを有意義に活かし、今年は一風違ったゴールデンウィークをたっぷり楽しみたいと思う。

 さて、この「ゴールデンウィーク」なる用語、どのようにして使われだしたのかと気になって、ちょっと調べてみた。
 この言葉が使われるようになったのは1951年(昭和26年)、意外と古い。もともとは映画業界の用語で、正月映画やお盆映画に匹敵する興行成績を得ようとして作られた宣伝用語だったらしい。翌年にはマスコミなどで頻繁に使用されるようになり、国民全般に定着していった。
 ところが、NHKでは当初から、現在においても、この用語を使用せず「春の大型連休」という表現に代えているそうだ。
 「ゴールデンウィーク」を使用しない理由は次のとおり。
①元々は映画業界の宣伝用語であり、放送法第83条(広告放送禁止規定)に抵触する恐れがある。
②休暇が取れない人から「何がゴールデンだ」という抗議が来る。
③外来語やカタカナ語を避けたい。
④1週間よりも長くなることが多く、「ウィーク」はおかしい。
 うん、なるほど。いかにもNHKらしくて良いね。(^^)v

 元々4/29の昭和天皇誕生日と5/5の子供の日とが近接しているのだが、その間に5/3の憲法記念日が加わって大型連休の形が出来た。当時の政府は、5月3日を憲法記念日の祝日とすることを意識したうえで、その半年前の11月3日に新憲法を公布したのだとも言われている。まあ何でもいいが、連休はやはり嬉しい。
 天皇退位について検討されているが、現在の皇太子が即位された後にはその誕生日が祝日となり、現天皇の誕生日は「平成の日」とかに変わるのだろうか。名目は何であれ、祝日が増えるのは嬉しい。いっそのこと、神武以来歴代天皇の誕生日をすべて祝日にしてくれたらいいのに、と思ったりもする。ついでに皇后の誕生日も・・・。こらこら、いつ働くねん!(笑)

 遠出があまり好きでない僕は、この歳になってまだ一度も海外旅行をしたことがない。パスポートすら申請したことがない。ごった返している空港の様子をTVのニュースで見て、ご苦労さんですなぁと薄ら笑う。働き過ぎの日本人にはもっと休暇が必要なんだろうけど、その休暇を使って余計疲れに行ってるようでは本末転倒。自宅か近場のスポットでゆっくり休めばいいのに、と思ってしまう。
 今年のGWは珍しく外出の機会が出来たけど、まあ滋賀県内と大阪、いわゆる近場だ。のんびり、ゆっくりと音楽に親しみ、その他の日は自宅バカンスをたっぷり楽しみたいと考えている。
 あ、それから、忘れてはならないのが5月5日の結婚記念日。今年は33回忌目となる。さて、どうしようかな。本日(4/22)三重県までアナゴを食べに連れて行ったので、もうこれでいいかな?





森くま コテコテフォークコンサート 2017.4.9

2017-04-15 23:23:38 | ライブレポート


 野洲市のライブカフェ「森のくまさん」では、4月9日は「フォー・クの日」ということで、コテコテフォークコンサートなるものが開催される。僕は二度目の参加だが、今年はホストという役割で、企画段階から参画させてもらった。
 コテコテフォークとは、なかなか素敵なネーミングだ。いわゆるフォークソングの中でもニューミュージックやポップスの香りのするようなものを排除し、「これぞ日本フォークの原点!」と認められる名曲の数々をみんなで楽しもうというもの。拓郎、陽水、かぐや姫あたりはギリギリセーフだが、できればもっと古い曲をというコンセプトだ。
 こんなマニアックな企画でお客さんが入るものかと心配したが、意外とたくさんの方が来て下さった。その大半は推定60歳代後半の方々。
 正直なところ、僕やバンド仲間は前述「コテコテフォーク」の世代ではない。これらの曲が流行ったころは小学生くらいで、後になってから懐メロのような感覚で古いフォークソングに親しむようになったわけだ。リアルタイムでこれらの曲を聴いて来られた先輩方を前にしての演奏。こりゃ気合を入れてやらねば!

 さて、僕はユミさんとのデュオ「おとぎ猫」で参加。「HITOMAZz」のほうは二人でやってもらおうと思っていたが、結局は僕も参加することになった。これに最後のシングアウトを加えて合計13曲を演奏。脆弱な僕にしてはよくやった。

★おとぎ猫演奏曲 ------------------
・生活の柄(高田渡)
・遠い世界に(五つの赤い風船)
・帰ってきたヨッパライ(フォーク・クルセダーズ)
・時には母のない子のように(カルメン・マキ)
・花嫁(はしだのりひことクライマックス)



 他の出演者のように上手くは出来ないので、せめてルックスから入ろうと、1970年代フォーク風ファッションで登場。二人ともタンスの奥から探し出してきたボロボロのジーンズスタイルだ。ユミさんはなぜか猫耳。僕は秘蔵のキャップを被っていったが、森くまのマスターから「農協の帽子か?」と言われてしまった。JAとちゃうで! GIBSONやで!(笑)
 「遠い世界に」では、オートハープのイントロ・ソロに挑戦。1番は僕が歌って2番はユミさんが歌うのだが、それぞれ歌いやすいキーに転調するというワガママなアレンジにした。実は本家の五つの赤い風船も、2000年に出された再結成CDでは、このようなパターンで演奏されている。
 「帰ってきたヨッパライ」はフォーク史上に残る大ヒット曲なのだが、僕らのようなアマチュアバンドでこの曲をやっているのは聴いたことがない。原曲のあの声はもちろん再現できないが、他のセリフや効果音などはなるべく入れようと頑張った。そのため、ギターとオートハープの他、スライド・ホイッスル、カズー、木魚、仏壇の鐘など、いろんな楽器を駆使。音は出ないが、数珠まで準備した。


 原曲では読経のフェイドアウトに「エリーゼのために」のピアノ演奏が重なってくる。練習時にギターでやってみたが上手く行かず、そこで思い付いたのがオルゴール。これならパカッと蓋を開けるだけで済む。ところが、あてにしていたオルゴールが「乙女の祈り」であったことに気づいて断念。結局はお経のあと「アメイジング・グレイス」をワンフレーズ歌って「アーメン」で終わり。宗教ごちゃまぜの無茶な演奏だったが、たくさんの笑いをいただくことができ、満足満足。
 「時には母のない子のように」ではマー君にハーモニカを吹いてもらい、「花嫁」ではさらにZENさんを加えて多重コーラス付きの演奏。最後はHITOMAZz+αみたいな状態になってしまった。


★HITOMAZz演奏曲 ---------------
・戦争は知らない(フォーク・クルセダーズ)
・風(はしだのりひことシューベルツ)
・イムジン河(フォーククルセダーズ)
・悲しくてやりきれない(フォーク・クルセダーズ)
・22歳の別れ(かぐや姫)
・落陽(吉田拓郎)



 メールで曲目と演奏キーだけ打ち合わせ、当日の開演前に初めて合わせて本番に臨む。まあいつものパターンだが、この日は「悲しくてやりきれない」を1カポのEフォームで弾けだとか、「22歳の別れ」を12弦ギターで高音弦中心に弾けだとか難しい注文を付けられて、僕はけっこう大変だった。「戦争は知らない」と「風」ではバンジョーを弾いている。このオープンバックのバンジョー、あまり鳴り過ぎず、フォークソングにはちょうどいい感じ。
 前半4曲はこの日初めて演奏したのだが、ぶっつけ本番にしてはわりと上手くいったように思う。お客さんも一緒に歌って下さって、嬉しかった。フォークルのナンバーは、今後もHITOMAZzの定番レパートリーになりそう。おとぎ猫の「帰ってきたヨッパライ」もか?(笑)
 HITOMAZzがトリだったので、この後もステージに居残って、シングアウトの演奏。森くまマスターの選曲「いちご白書をもう一度」と「戦争を知らない子供たち」で大いに盛り上がって終演となった。


この日出演された他の2バンドについて、少し紹介しておこう。

◆◆ 原ファミリーバンド ◆◆

 お二人はご夫婦だが、なんと高校生の頃からフォークソングサークルでのお付き合いをされていたらしい。この道40年を超える大ベテラン。ハーモニーが素晴らしく、またビンテージ・ギブソンの生音がとても心地よい。この日はいつもに増して力のこもった演奏を聴かせていただきました。特に「血まみれの鳩」は圧巻。
演奏曲:「風に吹かれて」「500マイル」「まぼろしの翼とともに」「テネシーワルツ」「血まみれの鳩」「カントリーロード」

◆◆ 青人草 ◆◆

 お二人の年齢を合計すると130何歳だとかMCで話されていた。まさにコテコテフォークにドンピシャの世代。しかし、その若々しいボーカルとギター演奏にはびっくり。あと10年後、僕らはこういうふうに演奏できるだろうか。合計160歳になるまでは二人でやりたいと話され、会場から大きな拍手が沸き起こった。
演奏曲:「プカプカ」「思えば遠くへ来たもんだ」「今はもう誰も」「手と手手と手」「うろこ雲の絵」

 まさにステージと会場とが一体となった、とても素敵なコンサートだった。やっぱり古いフォークはいいもんだ。リアルタイムリスナーの方々には、それぞれの歌にまつわる時代背景だとか、個人的な思い出だとか、そういったものを回想しながら聴いていただけたのではないかと思う。
 後日、仕事帰りに森くまへコーヒーを飲みに行ったとき、コンサートを見に来ていたという若い女性から声を掛けられた。「ほとんど初めての曲だったけど、いっぺんに古いフォークが好きになりました」と話されていた。ここに掲載した写真はその人が撮って下さったもの。ほんとに嬉しいです。♪♪

(付記)コンサート終了後、山科の焼き鳥屋にてHITOMAZz・おとぎ猫合同の反省会を開催。3時間以上にも及ぶ大反省会で「神様の声はもっとこういうふうにやらなアカン」とか、厳しい指導を受けた。(笑)
 声はまあまあいいが、演技力が足りないらしい。次回までには練習しときます。



電話

2017-04-02 23:54:46 | エッセイ


 携帯電話が普及し始めた頃は、警察無線みたいに大きくて、それを持つ人は専用のホルダーでベルトに装着していた。よほど迅速な連絡が必要な、特殊な職業の人だけが使用する物だと思っていた。まさか自分が電話(スマホ)を持ち歩くことになるなんて、夢にも思わなかった。
 ほんとに電話の進歩はめざましい。僕らが子供の頃、テレビ電話なるものがマンガに登場していたが、こんなのは空飛ぶ自動車やタイムマシンと同様に、ずっと遠い未来の話だと思っていた。

 僕の好きな歌にこんな歌詞がある。
♪ ダイヤルしようかな 
 ポケットにラッキーコイン
 ノートに書いたテレフォンナンバー
    尾崎亜美「マイ・ピュア・レディ」

 ポケットの中に十円玉を見つけて、それで公衆電話を掛けてみようかと思い立つ。ノートを見なければ番号が分からないくらいだから、まだそれほど親しい間柄でもないのだろう。どんな想いでダイヤルを回し、どんな話をするのだろう。想像力をかきたてられる。
 大学生時代、十円玉や百円玉をいっぱいポケットに入れて電話ボックスへ向かい、遠く離れた彼女と話していたことを思い出す。まだテレフォンカードすらなかった時代だ。彼女の部屋には電話がなく、下宿の大家さんに取り次いでもらっていた。カタンカタンと硬貨が消費される音を聞きながら、早口で言葉を選びながら喋った。
 中学生や高校生の頃、友達の家に電話をかけると、たいていはお母さんが出て、「あ、徳田くん。久しぶりやね。元気?」などと、ひとしきり挨拶を交わしてからでないと取り次いでもらえなかった。ガールフレンドの家に電話をして、たまたまお父さんが出たりすると、何だか気まずい感じだった。話の内容を家族に聞かれたくないので、電話機のコードを思いっきり伸ばして隣の部屋へ引き込んだ。今の中学生や高校生は、こういった試練も、大人とのちょっとした付き合い方なんてことも知らないんだろうな。

 最近はメールやSNSなどを使って連絡を取り合うため、仕事以外で電話をかけることが少なくなってしまった。以前は電話が苦手だった僕も、少し寂しく感じることがある。
 たとえ遠く離れていても、電話だと今の時間を共有しているという同時性を味わうことができる。話せばすぐに答えが返ってくるし、相手の声の表情や微妙な息づかいまで感じ取ることができる。メールやラインでいくら顔文字やスタンプを駆使したって、こうしたライブ感は表現できないだろう。

 先に「マイ・ピュア・レディ」の歌詞を書いたけど、他にも電話が登場する歌は数多くある。同じく尾崎亜美の「オリビアを聴きながら」。「夜更けの電話、あなたでしょう」と推測しているけど、今なら誰から掛かってきたのか、考えなくてもすぐ分かる。
 チェッカーズの「涙のリクエスト」。最後のコインに祈りを込めて、公衆電話から深夜放送のリクエスト番組に電話を掛けている。今の若い人にはまったく意味が解らないだろうな。
 「ダイヤル回して、手を止めた」というのもあった。スマホならピッとワンプッシュ。手を止めたって手遅れだ。相手が出るまでに慌てて切っても、着信履歴ですぐに分かってしまう。(笑)

 昔は電電公社からの貸与品だった無個性の黒電話。人差し指でダイヤルをジーコジーコと回す、あの感触が懐かしい。今から思えばいろいろと不便な点はあったにせよ、当時としては最も迅速で確実な通信手段だった。電話というメディアを通じて、数々の人々が繋がり、喋り合い、愛を語り合ったり、あるいは喧嘩をしたり、様々な人間ドラマが繰り広げられてきたことだろう。
 今では僕みたいなおじさんまでもがSNSに浸って電話離れ。またひとつの文化が消え去っていくような気がする。