大阪万博にそれほど深い思い入れがあるわけでもないのに、太陽の塔を見るとタイムスリップしたような気分になる。当時はすごく大きな建造物だと思っていた。先日間近に見たとき、意外と小さくてびっくり。僕自身が大きくなったということだろうか。
この塔は言わずと知れた岡本太郎氏の代表作。当時の人々からは「牛乳瓶のお化け」などと批判を浴びた。太郎氏は、「文明の進歩に反比例して、人の心がどんどん貧しくなっていく現代に対するアンチテーゼとしてこの塔を作ったのだ」と訳の分からない説明をした。「国の金を使って好き勝手なものを造った」という批判に対しては、「個性的なものの方がむしろ普遍性がある」と反論した。この塔の形状は、当時岡本太郎氏が飼っていたカラスをモデルとしてデザインされたそうだが、そもそも、家でカラスを飼っているというところがすごい。(笑)
主催者は塔の内部に歴史上の偉人の写真を並べるつもりだったが、太郎氏は「世界を支えているのは偉人でなく、無名の人たちである」として、無名の人々の写真や民具を並べるよう提言。強引にそれを実現させた。塔の目の部分をヘルメット姿の男が占拠し、万博中止を訴えた「アイジャック事件」の際には狂喜して、居合わせたマスコミに対し「イカスねぇ。ダンスでも踊ったらよかろうに」と語ったらしい。
当時の万博主催者は、歌謡界の大御所・三波春夫氏に「こんにちわ~ 世界の~ 国から~♪」と歌わせる一方、博覧会のシンボルであるメイン・オブジェの制作をこんな変な前衛芸術家に依頼するという離れ業をやってのけたわけだ。こういう混沌とした状況は、1970年代の幕開けを告げる、当時わが国の世相を象徴しているようにも感じられる。
この年にヒットした歌謡曲は、皆川おさむ「黒ネコのタンゴ」、藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」、由紀さおり「手紙」、辺見マリ「経験」、ソルティー・シュガー「走れコウタロー」など。洋楽ではビートルズの「レット・イット・ビー」やサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」など。
「戦争を知らない子供たち」は、万博会場内で開かれたフォーク・コンサートの場で初めて披露され、翌年にはジローズによるシングルレコードが発売されてヒットした。
太陽の塔の内部には、先に述べた無名な人々の写真のほか、アメーバや原生動物から、三葉虫、アンモナイト、恐竜、そして人類に至るまで、様々な生物の模型が展示されていた。これらの模型は、当時ウルトラマンなどで名を馳せた円谷プロが製作を担当したらしい。
薄暗い照明の中、地鳴りのような音や恐竜の鳴き声などが響き、そこを通ると何とも神妙な気持ちになった。僕は高校生時代に生物の進化に興味を持ち、大学では古生物学を専攻したが、そうしたことには、小学生のころ「太陽の塔」で体感した生命の神秘への記憶が深く関係しているように思う。
現在では公園の一隅に取り残された太陽の塔。良く管理された芝生の中で、年老いた退役軍人みたいにぽつんとその余生を存えている。数々の前衛的なオブジェを見慣れてきた僕らの眼には、その姿はもはや奇異なものとは映らず、むしろ昭和の懐かしさを感じさせるスタンダードな風景と化してしまった。
僕にとって、太陽の塔は今も1970年代の象徴。わくわく、ドキドキ過ごした思春期の激動の時代。あの塔の中には、「あしたのジョー」や、ドリフターズや、麻丘めぐみや、ビートルズや、「小さな恋のメロディ」や、「赤頭巾ちゃん気をつけて」や、そういった数々の歴史的文化遺産がいっぱい詰まっているように感じられる。
僕は相変わらずそうした時代の音楽や文学作品に親しみ続けている。懐古主義というよりも、過去のある時点で同じ場所をぐるぐると回り続け、そこから先に進めないって感じだ。十年ひと昔。それを何度も繰り返し、いま僕は21世紀の社会にいる。戦争を知らない子供たちはすっかり大人になり、もうそろそろ高齢者の仲間入り。僕らはその少し後ろから、ずっと先輩たちの姿を眺め、彼らが創り出す新しい形の音楽や文学に憧れ続けてきた。
懐かしいあの時代。僕は今も当時の少年のような気持ちで、古いフォークソングなどを歌い続けている。太陽の塔は、そうした「昔の少年」のあがきを、ずっと見守り続けてくれているように思うのだ。
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