格差社会と遺伝<読書感想文「やわらかな遺伝子」(マット・リドレー著 紀伊國屋書店)>

2006年03月29日 | Weblog
 訳文が硬いのか、英国人特有の「ユーモア」が過ぎるのか、日本人の吾輩には割と読みにくい文章だったけど、所々には面白いことが書いてあって良かった。
 大雑把に言うと、「こころの動き」を「脳の活動」と捉え、その「脳の活動」と遺伝子を関連づけて、「こころの動き」が現れる外界/こころ≒脳/遺伝子それぞれの関係を語ろうって内容でした。
 これだけじゃ何のことかわからんですが、要は、「こころの動き」は「脳の活動」の発現で、その「脳の活動」は遺伝子と環境の相互作用の結果で決まる、ってことです。
やっぱり分かり難いかな?。

 言われてみれば「なるほど」ってことが書かれてたので、紹介しておきます。
 人間だって所詮は生物なので、その形質(能力と言い換えても良い)の発現は環境要因と遺伝要因で決定する。例えば、身長の高い低いは遺伝要因(親の身長ね)と環境要因(食べ物とか)で決定する。知的活動も?って思うけど、脳内を結んで信号(刺激)のやりとりを司る神経線維(ニューロン)や神経線維の接合部で神経伝達物質をやりとりするシナプスの発達程度も遺伝要因(遺伝子)と環境要因の相互作用で決まることが明らかになりつつある。
 ならば、人間を取り巻く環境要因を完全に均一=公平にすれば、個人差というのは遺伝要因、つまり個々人が有する遺伝子による差になる。つまり、個人にとってはどうしようもないことで差が決まることになる。身長の例を見ると、環境要因が完全に均一になれば(例えば、学校で一日三食を完全に給食で提供する)、身長の差は遺伝要因(御両親から受け継いだ遺伝子)のみで決定される。こう考えると分かりやすい。
 だから、完全に環境が公平な社会ってのは、自分ではどうしようもない、考えようによっては残酷な社会になるのだ。

 とすれば、「規制を徹底的に緩和して」「個人の創意工夫が最大限発揮できる」社会とは、とんでもなく残酷な格差社会になるんでは・・・?。
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