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神田祭.ch公式ブログ

神田祭公式ブログです。当日の神田祭の実況や神田祭の裏側、インターネットchの「神田祭.ch」の模様をお伝えいたします。

神台会

2007-05-13 08:45:42 | 平成19年 神田祭 神輿宮入
 神台会【じんだいかい】は神田神社の裏手に位置します。昭和39年に町名変更【ちょうめいへんこう】が実施【じっし】されるまでは「台所町【だいどころまち】」と呼ばれていました。明暦【めいれき】の大火【たいか】(1657)までは日蓮宗【にちれんしゅう】の幸龍寺【こうりゅうじ】や曹洞宗【そうとうしゅう】の万隆寺【まんりゅうじ】の寺領【じりょう】でした。明暦の大火後、江戸幕府の火災対策の政策により、かつては寺が立ち並んでいた神田神社の裏手も、城内【じょうない】の御台所御賄方【おだいどころおまかないかた】の武家屋敷【ぶけやしき】として再建されました。御台所町【おだいどころまち】という旧地名は、このときに始まるものと考えられています。 
 さらに寛文【かんぶん】12年(1672)、この場所に住んでいた武士たちの希望もあり、町内に「町屋【まちや】」が作られました。以降、御台所町は町人の町として発展を遂げていきました。

 神田明神に近いという事から、「神田明神下御台所町【かんだみょうじんした おだいどころまち】」と長い名前が付いていましたが、明治5年(1872)に「神田台所町【かんだだいどころまち】」となりました。現在の「神台会【じんだいかい】」の名称は明治27年から使われています。

 神台会は、現在も神田明神のお膝元【ひざもと】としての誇りを強く持っている町会です。

 町会の該当区域は、外神田二丁目5番地1~12号に加え、7番地1号・4号を除く、6~9番地となっています。


外神田連合の一番神輿です。神社拝殿【はいでん】前石段【いしだん】を舞台に奉納舞【ほうのうまい】を行います。その直後、神台会【じんだいかい】の大小の神輿の宮入参拝【みやいりさんぱい】を行います。
 その後、正午過ぎには秋葉原駅前中央通り「お祭り広場」へと場所を移し、外神田連合【そとかんだれんごう】11基、岩本町東神田連合【いわもとちょう ひがしかんだれんごう】3基と大田市場大神輿【おおたいちば おおみこし】と協力して、神輿天国を盛り上げていきます。


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