![]() | ![]() |
「五軒町【ごけんちょう】」の名前の由来は、江戸時代、この界隈【かいわい】に、上総久留里【かずさくるり】藩黒田家上屋敷【かみやしき】 、下野黒羽【しもつけくろばね】藩大関【おおぜき】家上屋敷、安房勝山【あわかつやま】藩酒井家上屋敷、播磨林田【はりまはやしだ】藩建部【たてべ】家上屋敷、信濃上田【しなのうえだ】藩松平【まつだいら】家下屋敷【しもやしき】と、5つの大名屋敷【だいみょうやしき】が並んでいたことから名付けられました。
明治維新のとき、政府によってこれらの屋敷は召し上げられ、明治5年(1872)に、この地は神田五軒町【かんだごけんちょう】と名付けられ、人家【じんか】が立ち並ぶようになりました。
明治44年(1911)には、町名は神田が外され「五軒町【ごけんちょう】」となりましたが、昭和22年に神田区と麹町【こうじまち】区が合併して千代田区になると、ふたたび神田五軒町【かんだごけんちょう】に戻りました。そして、昭和39年、住居表示【じゅうきょひょうじ】の実施【じっし】にともなって外神田六丁目【そとかんだろくちょうめ】となりました。
町会の該当区域は、外神田六丁目3番地5・6号、4~16番地となっています。
当町会の神輿は、昭和52年に作られました。屋根破風型【やねはふがた】白【しら】き造りです。重さは300キロ、長さ6尺8寸、親棒【おやぼう】の長さ16尺という大神輿です。
前年、約30年振りに総仕上げ直しをし、美しく輝いた神輿へと生まれ変わりました。担ぎ手総数は350名余りです。