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神田祭.ch公式ブログ

神田祭公式ブログです。当日の神田祭の実況や神田祭の裏側、インターネットchの「神田祭.ch」の模様をお伝えいたします。

司一町会

2007-05-13 13:44:37 | 平成19年 神田祭 神輿宮入
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 司一町会【つかさ1ちょうかい】は、江戸時代には商人や職人の家が立ち並んでいた町でした。時代を経【へ】てもそれは変わりなく、呉服関係、印刷、製本などの職人たちが多く住み、とくに建築関係では、町内の職人だけで家が一軒建てられたといわれています。また、商店も大きな店ではなく、生活に必要な八百屋や魚屋などが多く、人情味【にんじょうみ】豊かな町でした。

 明治に入ると、「三河町【みかわちょう】二丁目、皆川町【みながわちょう】、蝋燭町【ろうそくちょう】等」に再編されました。さらに関東大震災後に4つの町が合併し「司町一丁目」が誕生しました。
 
 司町の名前は神田神社の平田盛胤宮司【ひらたもりたねぐうじ】の命名によるもので、「司」は「者【もの】の頭領【とうりょう】なれば、未来永劫【みらい えいごう】栄ゆること疑いなし」という意味を持つことから名付けられました。昭和22年、神田区と麹町【こうじまち】区が合併して千代田区が成立したときに「神田司町一丁目【かんだつかさまち1ちょうめ】」となり、さらに昭和41年に内神田一丁目と、内神田二丁目となり現在に至っています。
 
 町名は「内神田【うちかんだ】」になりましたが、住民組織である町会では「司【つかさ】」の名前を引き継ぎ「司一町会【つかさ1ちょうかい】」として存続しています。今ではオフィスビルが多くなりましたが、人情味豊かなとても楽しい町会です。
 
 町会の該当区域は美土代町【みとよちょう】及び内神田一丁目9~11・16~18番地及び内神田二丁目10~12・15番地となっています。


 当町会の神輿は、昭和31年、宮本重義【みやもと しげよし】の手により作られました。大きさは台輪【だいわ】寸法2尺2寸です。蕨手【わらびで】の所に、銀の龍をあしらった優美な神輿です。担ぎ手からは「楽しく担げる神輿です」と言われるような、町会と同じように、人情味溢れる神輿です。また、今年子ども神輿と山車を修復しました。特に山車は昭和9年の大祭に皇太子殿下ご生誕を記念して作られて依頼の大修復となりました。大変奇麗になり、一昨日の11日に初披露しました。



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