かもしか君管理人部屋

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気仙沼 福よし 最新情報

2012年07月30日 | うまいもん

2012 7/30

中野様 いつもありがとうございます。

気仙沼 福よし いよいよ完成です!


福よしで一杯やろう会の皆様へ
新しい福よしが7月30日に完成します。
カウンターや小上がりからも港が見えます。鈴木さんを始め多くの皆様、本当にありがとうございました。昭和53年より続けさせて頂いた福よしですが、あの津波によって全壊となってしまいました。一度は心の隅で店を閉めようかと思いましたが、多くの皆様からの励ましの声を頂き、日増しに心の中に熱いものが込み上げてまいりました。津波で流されたままで、自分の人生の仕事を終わりにしたら、今までやって来たことが全部無駄になってしまうような気がしました。気仙沼の町も半分が流されてしまい、前は全然見えませんが、とにかくやるしかない、あとはそれからとの思いで、新しい福よしを創ることを決めました。決めるにあたり一番に考えたのは新しい店の場所の事です。津波の被害を受けなかった地区の方へとか、いろいろ考えましたがなかなか答えが出ず、私は、本当にどこで仕事をしたかった のだろうと、昭和53年の開業当時のことを思いだしてみました。私は、気仙沼に生まれ、この港町が本当に好きです。港の岸壁を埋めつくす出船を見送る人、人、お父さんが漁に出る10カ月も帰って来ないマグロ船、子供をいっぱい胸に抱いてもらう若い奥さん、目にはいっぱい涙を浮かべて、それでも船を五色のテープが切れてしまわないように、又、一本テープを結ぶ、やがてテープは水にぬれてきれてしまう子供を両手で高く高く抱きあげる船の上では、男達が子供のように手をふるマグロ船の出船、サンマ船、つきん棒、イカ釣、鮭、縄船、網、港を埋め尽くす船、私はそんな港を目の前にして店を創り「お客さんあの船はマグロ船。あのスマートなのは鮭船。日本中から集まって来るのですよ。あの電球の沢山ついているのがサンマ船、全部電気をつけると昼より明るくなるのですよ。そんな港町の話をしながら、漁師の皆さんがとって来た魚を刺身に、または煮たり焼いたりし ながら、どーんと食べて頂く地元のお客さん漁師さん、旅の人、皆いっしょになって仕事の話をし、旅での話をし、人生の話、語りあいながらお酒が飲めるそんな店を創りたかったのです。そしていつかピアノを置いて弾いてもらい、皆で聞けたらいいなと。それゆえ今度の新しい福よしを以前のも店の駐車場、港の前と決めました。今は津波によって住む家は建てられませんが店だけなら創れたのです。気仙沼の人口は、7万人弱です。ですが今度の震災で仕事を失った方が沢山います。仕事を求めて県外に出た人も沢山います。一日も早く地元に帰って震災前のような生活に戻れたらなあと思います。一瞬で家族、家、仕事、全財産を失った方が沢山います。今までの家族で出来た事、友達がいた事、その人がいた事、当たり前だった日常生活のすべてが奇跡の一つ一つの積み上げの上にあった事、その一つ一つが本当に大切な事だったのか、多くの犠牲者を出してはじめて身につまされました。人間は本当におろかだと思いました。日常で仕事の愚痴、社会への愚痴、家族、友人への愚痴、あとは自分を正当化する事ばかり、頂く事の喜びよりも、返す事の悩みばかり、本当の自分の素直さを20%~30%しか使わず、あとの70%~80%は無駄に使っていたのではと思っています。人生観が変わりました。人間は豊かになると方向性を見失ってしまい、それゆえ時々戦争や天災が起き、そのつど物の大切さや時間の大切さを、多くの犠牲者の中に教えられるのかも知れません。今度の震災が無かったら私も今までのように、勝手に生きて行ったかも知れません。震災によって今までの同じ時間を少し別の角度から見る事によって気付かされました。福よしで一杯やろう会の皆様本当にありがとうございました。これからこの港町がどう変って行くか私にはわかりませんが、私自身の思いを今ここに、新しい福よしとして皆様の協力のもとできあがりました。再度の話ですが、震災をきっかけに素直になって生きるという事を思い知らされま した。今、新しい店を皆様に、そんな気持ちで開きたいと思います。皆様どうぞよろしくお願い申し上げます。新しい店で皆様とお会いできる日を従業員一同楽しみにお待ちしています。それと後日、日を決めて一杯やろう会を開きたいと鈴木さんが話しておりました。福よしの完成は、7月30日。営業は、8月7日より
新しい福よしが皆様の人生の一部となりますように。 頑張るぞ!!

                                         福よし 村上 健一
                                             従業員一同


気仙沼福よし 最新情報

2012年05月04日 | うまいもん

2012 5/4

コメント欄に、いつも情報を送ってくださる中野様から気仙沼の「福よし」の近況をいただきましたので転載します。



 

ご支援頂きました皆様へ


沢山のご支援をいただいた皆様、その後、お変わりありませんか。気仙沼もようやく桜の花が咲き始め春らしくなって来ました。福よし一同もみんな元気でおります。今日はご支援をいただいた皆様にうれしい知らせがあります。

あの大地震から早や一年を過ぎ、今月の4月24日、やっと新しい福よしの再建が始まりました。完成は早ければ6月の終わり、遅くても7月の半ばまでにはと思っていますが、一日も早くまた皆様とお逢い出来る事を楽しみにがんばって工事を進めていくつもりです。

新しい福よしの場所は、前の店の駐車場にあたる場所です。今度の店を作るにあたり、立てる場所を高台の方とか、町の奥の方とか色々と思案したのですが、考えれば考えるほど迷うものです。それで自分なりに前の福よしを、なぜあの場所に作ったのかを思い出し決めました。

「港、気仙沼、全国からの多くの漁船が目の前に並び、町の明かりが水面に浮かんでゆれる。そんな風景を目の前にして、店を作り、そんな中で皆で色々な話に花を咲かせられたら、そしていつの日か自分のヨット買って店の前に泊め店が終わったら船で飲むか」というのが福よしを作る時の29歳の夢でした。

気仙沼の港はとても静かでいい港ですが、その港を目の前にして魚料理を食べさせる店が一軒もなかったのです。それゆえ以前の店も少しでも海の前ではなかったのです。もしあの大震災がなかったらきっとあの店で終わっていたかも知れません。いまだに家に帰れない方が沢山おります。そのことを思うと一言も無いのですが、自分にとってはあの大震災のきっかけでここに新しく福よしを作ることになりました。
そんな思いの中から始めるなら海のそば、以前の駐車場の所と決め、工事が始まりました。ですが、町は以前の姿はまったくありません。人が住んでいる建物はほんの少しで、周りは全部壊されて残っているのはコンクリートの基礎だけです。それでも岸壁には大小の漁船が沢山並ぶようになり以前の港らしくなって来ました。あとは前に進むだけです。国で言っている5年計画で、10年計画でと言う言葉を待っていたら自分の人生の方が無くなってしまいます。今日、明日がなかったら5年先も10年先も無いという感じです。そしてこの福よし再建にあたり、多くの皆様から沢山の励まし、
「元気ですか、無事でしたか、生きてた、お店は、家は、みんな無事、水は、米は、電気は、たりない物は、なにしてるの、店作るの、いつ、カウンター予約しておくから、どこに・・・」
ご支援を本当にありがとうございました。揺れる心を何度となく立ちもどされました。あの大地震で、今までの人生で何が正しかったのか、何が正しくなかったのか、考えさせられる思いです。今までの一つ一つが本当に大切な時間の中に積み重ねられてあったんだなと、つくづく思います。

新しい福よしが出来るにあたり、「店ってなんだろう お客さんってなんだろう おいしいってなんだろう」
沢山のなんだろうを純粋な気持ちの中で考えて見たいと思っています。今も頭の中に沢山の皆様の顔が浮かんで来ます。一つ一つ皆様の席を思い浮かべながら新しい福よしを作っていくつもりです。一日も早く皆様とお逢い出来る事を楽しみにしています。そして皆様からの心からのご支援大切に使わせていただきます。

本当にありがとうございました。
心からお礼申し上げます。

「福よし建て始めました。
 あれ あそこ
 海のそば
 もとの駐車場
 いつ出来んの
 たぶん七月のはじめ」

夕方5時開店

福よし店主 村上 健一


 


気仙沼・福よし

2011年03月31日 | うまいもん


福よし 最新情報


福よし 新店舗の基礎工事が始まりました。

本年7月にオープン予定とのことです。


(中野様よりの情報です。 ありがとうございました)

                                                             2012.3.21



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福よし 再興計画のお知らせ


中野様からここのコメント欄にお知らせいただきました、いよいよです。


「福よしでまた一杯やろう会」の詳細は  まで







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あの地震から3週間が経とうとしています。

まだまだ先が見えない不安なニュースばかり続く毎日ですが、

そんな中、「福よし」の皆さんがご無事だとわかりました。




よかった・・・。 本当に安心しました。








日本一の焼き魚はこの炉端で焼かれます。



焼き場担当は福よしの大将お兄さん。

今回も、「またカモシカ見に来たのか!」(笑)








喜知次(キンキ)の塩焼き








板場担当はいつも美味しい料理を作ってくださる福よし弟さん。

あれ? なにしてるんですか?








喜知次の胸ビレの付け根を剥くと出てくる骨・・・







魚の形をしています。

 「鯛の鯛」ならぬ「喜知次の喜知次」はお店の暖簾にもなっています。↓
















福よしと気仙沼、そして被害を受けた地域全ての復興を願っています。