十字架につけられる
「完了した」,
「万事は終わった」と,
イエス・キリストは
十字架の上で
天に召される前に言いました。
「完了した」(ヨハネ19:30)
と訳されたギリシア語は
「完成する、成し遂げる」です。
これが「完了した」という
イェシュアの言葉の意味です。
イエス・キリストは十字架の上で
次のようにおっしゃいました。
(ヨハネ19:28)
「この後,イエスは,
すべてのことが
完了したのを知って,
聖書が成就するために,
『わたしは渇く。』と言われた。」
イエス・キリストは,
神の意思を成しとげました。
イエスの十字架の業は,
神が受けいれた犠牲です。
砕けた魂・悔いた心が
ささげらました。
ダビデは次の詩を書いています。
(詩篇51:19)
「神の求めるいけにえは
打ち砕かれた霊。
打ち砕かれ悔いる心を,
神よ,あなたは侮られません。」
わたしたちは,
イエス・キリストの十字架による
犠牲によって罪が赦され,
きよめられています。
(詩篇51:9)
「ヒソプの枝で
わたしの罪を払ってください。
わたしが清くなるように。
わたしを洗ってください。
雪よりも白くなるように。」
(ヘブル10:10)
「このみこころに従って,
イエス・キリストのからだが,
ただ一度だけ
ささげられたことにより,
私たちは
聖なるものとされているのです。」
(ヨハネ19:16-30)
「そこでピラトは,
そのとき,イエスを,
十字架につけるため彼らに引き渡した。
彼らはイエスを受け取った。
そして,
イエスはご自分で十字架を負って,
「どくろの地」という場所
(ヘブル語でゴルゴタと言われる)
に出て行かれた。
彼らは
そこでイエスを十字架につけた。
イエスといっしょに,
ほかのふたりの者を
それぞれ両側に,
イエスを真中にしてであった。
ピラトは罪状書きも書いて,
十字架の上に掲げた。
それには「ユダヤ人の王ナザレ人イエス。」
と書いてあった。
それで,
大ぜいのユダヤ人が
この罪状書きを読んだ。
イエスが十字架につけられた場所は
都に近かったからである。
またそれはヘブル語,ラテン語,
ギリシヤ語で書いてあった。
そこで,
ユダヤ人の祭司長たちがピラトに,
「ユダヤ人の王,と書かないで,
彼はユダヤ人の王と自称した,
と書いてください。」
と言った。
ピラトは答えた。
「私の書いたことは
私が書いたのです。」
さて,兵士たちは,
イエスを十字架につけると,
イエスの着物を取り,
ひとりの兵士に
一つずつあたるよう四分した。
また下着をも取ったが,
それは上から全部一つに織った,
縫い目なしのものであった。
そこで彼らは互いに言った。
「それは裂かないで,
だれの物になるか,
くじを引こう。」
それは,
「彼らはわたしの
着物を分け合い,
わたしの下着のために
くじを引いた。」
という聖書が
成就するためであった。
兵士たちは
このようなことをしたが,
イエスの十字架のそばには,
イエスの母と母の姉妹と,
クロパの妻のマリヤと
マグダラのマリヤが立っていた。
イエスは,母と,そばに立っている
愛する弟子とを見て,
母に
「女の方。
そこに,
あなたの息子がいます。」
と言われた。
それからその弟子に
「そこに,あなたの母がいます。」
と言われた。
その時から,
この弟子は彼女を自分の家に引き取った。
この後,イエスは,
すべてのことが
完了したのを知って,
聖書が成就するために,
「わたしは渇く。」と言われた。
そこには
酸いぶどう酒のいっぱいはいった
入れ物が置いてあった。
そこで彼らは,
酸いぶどう酒を含んだ
海綿をヒソプの枝につけて,
それをイエスの口もとに差し出した。
イエスは,
酸いぶどう酒を受けられると,
「完了した。」と言われた。
そして,頭を垂れて,
霊をお渡しになった。
多くの人が,
イエス・キリストの
十字架の処刑を見たでしょう。
そして,立ち去ったでしょう。
しかし,この十字架は,
わたしたと関係あると思った人が
いたはずです。
自分たちが
イエスを処刑にしたのだと
思った人もいたかもしれません。
あるいは,殺されるのは,
自分であったはずだと
思った人もいたかもしれません。
そして,弟子たちも後に,
無罪であるイエスが,
自分の罪のために
死んでくだっさったと
わかりました。
そして,神の恵みを受けました。
時代と場所を越えて,
この十字架は立っています。
そこを通り過ぎる人,
立ち止まって,
意味をさがそうとする人。
頭の賢いか,
宗教的かどうかは
関係ないかもしれません。
多くの学者も,
宗教家も通り過ぎました,
見ただけでした。
当時も今も,
イスラエルでも,日本でも。
これが,十字架の恵みが今,
ここでも有効な説明です。
時と場所は関係なく,
聖霊が働き,
あるいは働かないのです。
わたしたちが,
心を開くか,
閉じるかなのでしょう。