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朝の光(聖書の言葉)

旧約聖書 3 アブラハムーヨセフ 

旧約聖書 3 アブラハムーヨセフ 


 アブラハムの旅立ち

 

(創世記12:1-3)

 時に主はアブラムに言われた,

「あなたは国を出て,

親族に別れ,父の家を離れ,

わたしが示す地に行きなさい。

わたしはあなたを大いなる国民とし,

あなたを祝福し,

あなたの名を大きくしよう。

あなたは祝福の基となるであろう。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し,

あなたをのろう者をわたしはのろう。

地のすべてのやからは,

あなたによって祝福される。」

 

神はアブラハムを召し,

この地の祝福の基とされます。

 

アブラハムから

イスラエルの歴史が始まります。

 

アブラハムの生涯は,

救いは信仰によるという真理を

教えています。

 

 

(ガラテヤ3:8)

「聖書は,

神が異邦人をその信仰によって

義と認めてくださることを,

前から知っていたので,

アブラハムに対し,

『あなたによって

すべての国民が祝福される』

と前もって福音を告げたのです。」

 

アブラハムの民を通して,

すべての民を祝します。

 

この民族の中から

キリストが生まれます。

 

神が示された地は

カナンの地であった。

 

創世記3:15の約束された救い主が,

アブラハムの子孫から

出ることになります。

 

(創世記3:15)

「お前と女,

お前の子孫と女の子孫の間に,

わたしは敵意を置く。

彼はお前の頭を砕き,

お前は彼のかかとを砕く。」

 

 

(創世記11:31)

「テラは,息子アブラムと,

ハランの息子で自分の孫であるロト,

および息子アブラムの妻で

自分の嫁であるサライを連れて,

カルデアのウルを出発し,

カナン地方に向かった。

彼らはハランまで来ると,

そこにとどまった。」

 

アブラハムは,

それがどのような土地かは知らずに,

信仰によって出かけました。

 

 

(ヘブル11:8)

「信仰によって,アブラハムは,

相続財産として受け取るべき地に

出て行けとの召しを受けたとき,

これに従い,

どこに行くのかを知らないで,

出て行きました。」

 

 

 

 

メルキゼデク

 

(創世記14:18-20)

「さて,シャレムの王メルキゼデクは

パンとぶどう酒を持って来た。

彼はいと高き神の祭司であった。

彼はアブラムを祝福して言った。

『祝福を受けよ。アブラム。

天と地を造られた方,いと高き神より。

あなたの手に,

あなたの敵を渡されたいと高き神に,

誉れあれ。』

アブラムはすべての物の

十分の一を彼に与えた。」

 

メルキゼデクは,

王であり祭司でもありました。

 

メルキゼデクは,

キリストの似姿であり「型」でした。

 

(ヘブル7:1-10)

「このメルキゼデクは,

サレムの王で,

すぐれて高い神の祭司でしたが,

アブラハムが王たちを打ち破って

帰るのを出迎えて祝福しました。

またアブラハムは彼に,

すべての戦利品の十分の一を分けました。

まず彼は,その名を訳すと義の王であり,

次に,サレムの王,

すなわち平和の王です。

父もなく,母もなく,系図もなく,

その生涯の初めもなく,

いのちの終わりもなく,

神の子に似た者とされ,

いつまでも祭司として

とどまっているのです。

その人がどんなに偉大であるかを,

よく考えてごらんなさい。

族長であるアブラハムでさえ,

彼に一番良い戦利品の十分の一を

与えたのです。

レビの子らの中で

祭司職を受ける者たちは,

自分もアブラハムの子孫でありながら,

民から,すなわち彼らの兄弟たちから,

十分の一を徴集するようにと,

律法の中で命じられています。

ところが,レビ族の系図にない者が,

アブラハムから十分の一を取って,

約束を受けた人を祝福したのです。

いうまでもなく,

下位の者が上位の者から

祝福されるのです。」

 

 

 

 

アブラハムの信仰

 

(創世記15:5-7口語訳)

「そして主は

彼を外に連れ出して言われた,

『天を仰いで,

星を数えることができるなら,

数えてみなさい』。

また彼に言われた,

『あなたの子孫は

あのようになるでしょう』。

アブラムは主を信じた。

主はこれを彼の義と認められた。

また主は彼に言われた,

『わたしはこの地をあなたに与えて,

これを継がせようと,

あなたをカルデヤのウルから

導き出した主です』。

 

神は,アブラハムに,

あなたの子孫はあのように

(天の星の数)なると言います。

 

このとき,アブラハムには,

その可能性はなかったように

思われましたが,

アブラハムは神のことばを信じました。

 

アブラハムはその信仰によって,

義と認められました。

 

(ローマ4:3-9 口語訳)

なぜなら,聖書はなんと言っているか,

「アブラハムは神を信じた。

それによって,

彼は義と認められた」とある。

いったい,働く人に対する報酬は,

恩恵としてではなく,

当然の支払いとして認められる。

しかし,働きはなくても,

不信心な者を義とするかたを信じる人は,

その信仰が義と認められるのである。

ダビデもまた,

行いがなくても神に義と認められた

人の幸福について,

次のように言っている,

「不法をゆるされ,

罪をおおわれた人たちは,

さいわいである。

罪を主に認められない人は,

さいわいである」。

さて,この幸福は,

割礼の者だけが受けるのか。

それとも,無割礼の者にも及ぶのか。

わたしたちは言う,

「アブラハムには,

その信仰が義と認められた」のである。

 

 (ガラテヤ3:6 口語訳)

「このように,アブラハムは

『神を信じた。

それによって,

彼は義と認められた』

のである。」

 

(ヤコブの手紙 2:23 口語訳)

「こうして,

『アブラハムは神を信じた。

それによって,彼は義と認められた』

という聖書の言葉が成就し,

そして,

彼は『神の友』と唱えられたのである。」

 

 

 

 

ソドムとゴモラ

 

(創世記19:17)

彼らを外のほうに連れ出したとき,

そのひとりは言った。

『いのちがけで逃げなさい。

うしろを振り返ってはいけない。

この低地のどこででも

立ち止まってはならない。

山に逃げなさい。

さもないと滅ぼされてしまう。』」

 

ソドムとゴモラの町は

罪の中にありました。

 

罪の町からロトたちは救い出され,

新しい召しのもとに

新しく生きる者となります。

 

 

(ピリピ3:13,14口語訳)

「兄弟たちよ。

わたしはすでに

捕えたとは思っていない。

ただこの一事を努めている。

すなわち,後のものを忘れ,

前のものに向かって

からだを伸ばしつつ,

目標を目ざして走り,

キリスト・イエスにおいて

上に召して下さる

神の賞与を得ようと

努めているのである。」

 

 

(創世記19:14-22)

そこでロトは出て行き,

娘たちをめとった婿たちに

告げて言った。

「立ってこの場所から出て行きなさい。

主がこの町を滅ぼそうとして

おられるから。」

しかし,彼の婿たちには,

それは冗談のように思われた。

夜が明けるころ,

御使いたちはロトを促して言った。

「さあ立って,あなたの妻と,

ここにいるふたりの娘たちを

連れて行きなさい。

さもないと,

あなたはこの町の咎のために

滅ぼし尽くされてしまおう。」

しかし彼はためらっていた。

すると,

その人たちは彼の手と彼の妻の手と,

ふたりの娘の手をつかんだ。

ー 主の彼に対するあわれみによる。

そして彼らを連れ出し,町の外に置いた。

彼らを外のほうに連れ出したとき,

そのひとりは言った。

「いのちがけで逃げなさい。

うしろを振り返ってはいけない。

この低地のどこででも

立ち止まってはならない。

山に逃げなさい。

さもないと滅ぼされてしまう。」

ロトは彼らに言った。

「主よ。どうか,

そんなことになりませんように。

ご覧ください。

このしもべはあなたの心にかない,

あなたは私のいのちを救って

大きな恵みを与えてくださいました。

しかし,私は,

山に逃げることができません。

わざわいが追いついて,

たぶん私は死ぬでしょう。

ご覧ください。

あそこの町は,

のがれるのに近いのです。

しかもあんなに小さいのです。

どうか,

あそこに逃げさせてください。

あんなに小さいではありませんか。

私のいのちを生かしてください。」

その人は彼に言った。

「よろしい。

わたしはこのことでも,

あなたの願いを入れ,

あなたの言うその町を滅ぼすまい。

急いでそこへのがれなさい。

あなたがあそこに入るまでは,

わたしは何もできないから。」

それゆえ,

その町の名はツォアルと呼ばれた。

 

 

アブラハムがイサクをささげる。

 

(創世記22:10-13)

「アブラハムは手を伸ばし,

刀を取って自分の子を

ほふろうとした。

そのとき,

主の使いが天から彼を呼び,

『アブラハム。アブラハム。』

と仰せられた。

彼は答えた。

『はい。ここにおります。』

御使いは仰せられた。

『あなたの手を,

その子に下してはならない。

その子に何もしてはならない。

今,わたしは,

あなたが神を恐れることが

よくわかった。

あなたは,自分の子,

自分のひとり子さえ

惜しまないでわたしにささげた。』

アブラハムが目を上げて見ると,

見よ,

角をやぶに引っかけている

一頭の雄羊がいた。

アブラハムは行って,

その雄羊を取り,

それを自分の子の代わりに,

全焼のいけにえとしてささげた。」

 

(ローマ9:7)

「アブラハムから出たからといって,

すべてが子どもなのではなく,

『イサクから出る者が

あなたの子孫と呼ばれる。』

のだからです。」

 

 

(ローマ4:21)

「神には約束されたことを

成就する力があることを

堅く信じました。」

 

アブラハムは,

神が代わりのいけにえを

備えてくださるか,

イサクを生き返らせてくださると

信じていました。

 

 

(ヘブル11:17-19)

「信仰によって,アブラハムは,

試みられたときイサクをささげました。

彼は約束を与えられていましたが,

自分のただひとりの子をささげたのです。

神はアブラハムに対して,

『イサクから出る者が

あなたの子孫と呼ばれる。』

と言われたのですが,

彼は,神には人を死者の中から

よみがえらせることもできる,

と考えました。

それで彼は,

死者の中からイサクを取り戻したのです。

これは型です。」

 

 

主の山に備えあり 

 

(創世記22:14)

「そうしてアブラハムは,

その場所を,

アドナイ・イルエと名づけた。

今日でも,

『主の山の上には備えがある』

と言い伝えられている。」

 

 

アブラハムは召され,

契約し,信仰が与えられ,

救われ義とされます。

 

 

 

 

イサクとリベカの結婚

 

(創世記24:19)

「彼に水を飲ませ終わると,

彼女は,『あなたのらくだのためにも,

それが飲み終わるまで,

水を汲んで差し上げましょう』と言った。

祈りは,すぐに答えられました。」

 

 

イサクの嫁取りの物語です。

 

リべカの信仰が賞賛すべきものです。

 

(創世記24:58 口語訳)

「彼らはリベカを呼んで言った,

『あなたはこの人と一緒に行きますか』。

彼女は言った,『行きます』。」

 

 

(創世記24:15-21 口語訳)

「彼がまだ言い終らないうちに,

アブラハムの兄弟ナホルの妻ミルカの子

ベトエルの娘リベカが,

水がめを肩に載せて出てきた。

その娘は非常に美しく,

男を知らぬ処女であった。

彼女が泉に降りて,

水がめを満たし,上がってきた時,

しもべは走り寄って,

彼女に会って言った,

「お願いです。

あなたの水がめの水を

少し飲ませてください」。

すると彼女は

「わが主よ,お飲みください」

と言って,

急いで水がめを

自分の手に取りおろして彼に飲ませた。

飲ませ終って,彼女は言った,

「あなたのらくだもみな飲み終るまで,

わたしは水をくみましょう」。

彼女は急いでかめの水を水ぶねにあけ,

再び水をくみに井戸に走って行って,

すべてのらくだのために水をくんだ。

その間その人は

主が彼の旅の祝福されるか,

どうかを知ろうと,

黙って彼女を見つめていた。」

 

 

イサクは父に従い,

信仰の歩みは神に従順でした。

 

(へブル11:20)

「信仰によって,

イサクは未来のことについて,

ヤコブとエサウを祝福しました。」

 

 

 

ヤコブの選び

 

(創世記25:23)

「すると主は彼女に仰せられた。

『二つの国があなたの胎内にあり,

二つの国民があなたから分かれ出る。

一つの国民は他の国民より強く,

兄が弟に仕える。』」

 

イサクに双子が生まれました。

 

二人が生まれる前,

母のリべカに兄が弟に仕えるという

預言が与えられました。

 

 

(ローマ9:11,12)

「その子どもたちは,

まだ生まれてもおらず,

善も悪も行わないうちに,

神の選びの計画の確かさが,

行いにはよらず,

召してくださる方によるようにと,

『兄は弟に仕える』

と彼女に告げられたのです。」

 

 

(ローマ9:16)

「したがって,

事は人間の願いや

努力によるのではなく,

あわれんでくださる神によるのです。」

 

 

ヤコブのはしご

 

(創世記28:12 口語訳)

「時に彼は夢をみた。

一つのはしごが地の上に立っていて,

その頂は天に達し,

神の使たちがそれを

上り下りしているのを見た。」

 

バベルの塔の物語は,

人間の力で天に届く塔を

建てようとしました。

 

ヤコブは夢の中で,

神の使いが地に向けて

立てられているはしごを,

上り下りするのを見ました。

 

イサクはヤコブへの長子の権利を

認めていました。

 

このとき,

神がヤコブの長子の権利を

表明したのです。

 

ヤコブは,

この場所をベテル(神の家)と

名付けます。

 

 

(創世記28:12 口語訳)

「時に彼は夢をみた。

一つのはしごが地の上に立っていて,

その頂は天に達し,

神の使たちがそれを

上り下りしているのを見た。」

 

イエスがこのはしごです。

 

すなわち,

神からの恵みをうける通路であり,

神を知る通路です。

 

 

(ヨハネ1:51 口語訳)

「よくよくあなたがたに言っておく。

天が開けて,

神の御使たちが

人の子の上に上り下りするのを,

あなたがたは見るであろう。」

 

人から神に達しようとする努力は,

バベルの塔です。

 

神からわたしたちに

与えてくださるものが,

イエスのはしごです。

 

 

♪ 「主よ御許(みもと)に」 

(新聖歌510)

1.

主よ 御許に近づかん

上(昇)る道は  十字架に

ありとも  など  悲しむべき

主よ 御許に近づかん

 

2.

さすらう間(ま)に  日は暮れ

石の上の  仮寝の

夢にもなお  天(あめ)を望み

主よ 御許に近づかん

 

3.

主の使いは  御空(みそら)に

かよう梯(はし)の上より

招きぬれば  いざ昇りて 

主よ 御許に近づかん

 

4.

目覚めて後  枕の 

石を立てて  恵みを

いよよ切に  称えつつぞ

主よ 御許に近づかん

 

5.

現世(うつしよ)をば  離れて

天がける日  来たらば

いよよ近く  御許に行き 

主の御顔を  仰ぎみん

 

 

 ヤボクの渡し

 

(創世記32:24)

「ヤコブはひとりだけ,

あとに残った。

すると,

ある人が夜明けまで

彼と格闘した。」

 

ヤコブはラバンの元を離れて,

故郷に帰ることを決めます。

 

ヤボク川は,

ガリラヤ湖と死海の中間で

東北からヨルダン川に注ぐ支流です。

 

家族たちを先に渡した後,

ひとり残り,ある人と格闘します。

 

この人から,

ヤコブは祝福を受け,

イスラエルと名をつけてもらいます。

 

そして,

そこの土地をペヌエル(神の顔)と

名をつけます。

 

 

 

 

ヤコブは狡猾でした。

 

苦難を通して,

神の聖徒とされていきました。

 

ヤコブは主の導きと,

2度天使に会うことによって,

 

肉の性質は砕かれ,

聖められました。

 

 

(ローマ9:11-13 新改訳)

「その子どもたちは,

まだ生まれてもおらず,

善も悪も行わないうちに,

神の選びの計画の確かさが,

行いにはよらず,

召してくださる方によるようにと,

『兄は弟に仕える』

と彼女に告げられたのです。

『わたしはヤコブを愛し,

エサウを憎んだ』

と書いてあるとおりです。」

 

 

 

 

ヨセフ,赦しの確認

 

(創世記50:20)

「あなたがたは,

私に悪を計りましたが,

神はそれを,

良いことのための計らいとなさいました。

それはきょうのようにして,

多くの人々を生かしておくためでした。」

 

ヨセフは悪に対しては,

神にゆだねました。

 

ヨセフは,

人の悪い働きにたいしても

神の計画を見ました。

 

そして,悪に対して愛で答えました。

 

ヨセフは,救い主の型でした。

 

兄弟はエジプトの地で,

神の家族として,

真の和解の恵みにあずかり,

飢饉の難から逃れたのです。

 

私たちをつらくあたった人をも,

赦すことをパウロは次のように言います。

 

 

(2コリント2:7)

「あなたがたは,むしろ,その人を赦し,

慰めてあげなさい。

そうしないと,

その人はあまりにも深い悲しみに

押しつぶされてしまうかもしれません。」

 

ヨセフについては,

新約聖書では次のように記します。

 

(ヘブル11:22)

「信仰によって,ヨセフは臨終のとき,

イスラエルの子孫の脱出を語り,

自分の骨について指図しました。」

 


☆彡

 



アブラハムから始まった

イスラエルの民は,

ヨセフによって助けられましたが,

カナンの土地には

住むことが出来なくなりました。

 

 

 

 

ヨセフは,

若いときは軽率な面もありました。

 

兄弟によって,

穴に投げ入れられ,

殺されようとします。

 

しかし兄弟を赦します。

 

ヨセフは,

イスラエルの民に殺されたのち,

復活したイエスの型となっています。

 

 

 

 

アブラハムは信仰による義認を示し,

 

イサクは従順によって,

子とされること,

 

ヤコブは神と交わり,

聖化を教えます。

 

ヨセフは,苦悩を乗り越え,

神の赦しを教ています。

 

ヨセフは,

自分を殺そうとした兄弟を

赦すことによって,

イエス・キリストの型となりました。

 

2018-02-24


2022-08-28  改定

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