ハシちゃんの詩(うた)日記!

山郷の散策つれずれを
ペットのハシちゃんとつぶやきます。

すすきの終演

2012年11月13日 17時25分10秒 | 

ひつじ雲と
白さきそって
波おどりに夢中だった
すすきの穂が
だんだん やせ細りはじめ
秋風の
冷たいため息を聞いている

でも だいじょうぶ

来年も
十五夜のまん丸お月さまに似合いの
すすきの穂が
草原を埋め尽くすにちがいない

やがて
冬日に散り逝く やせすすきに
はしちゃんは
ちいさな ちいさな
さよならをした






ほうずき見つけた

2012年11月12日 17時26分00秒 | 日記 

 周りには民家もない。杉林とクヌギ林の拡がる野路の傍らに、真っ赤なホウズキを見つけた。いつもの散歩コースなのに気づかなかった。きっと、ホウズキの袋が赤く色づいたことと、周りの草が霜が降りてしおれてしまったためこの世に生き返ったのだろう。民家の屋敷や畑などに繁殖するホウズキは幼い頃より馴染みの風景だが、こんな山奥に自生したホウズキに出逢うのは初めてだ。
 よく考えてみれば、もともとホウズキは野生の植物だったのかもしれない。昔々、ホウズキの実を口でブーブー鳴らしたものだ。さあ、この二つのホウズキの可愛い実が冬にさらされるのが気の毒だが、そのまま、そっとして、時々ご機嫌伺いしてみようと思った

うめばちそう (はしちゃんの詩)より

2012年11月11日 15時54分35秒 | 

秋風に
枯れ草がカサカサと歌う草原に
牛が2頭 佇んでいる
茶色の大きな瞳が
沈みゆく夕日を追っている

取り残された不安か
迫り来る冬への不安か
夕日に照る牛の背なは
動かぬ哀愁を
背負っているかのようだ

うめばちそうの 白い花が
牛の瞳のなかで
ふるふる ふるふる
小さく揺れている


空はありがたい

2012年11月10日 18時03分51秒 | 日記 

 この空にこのピラカンサ、あっと心動かされない者はいないに違いない、とシャッターを押す。ピラカンサの実も朱色がかった色が極めに達していい見頃ではあるが、なんと言っても空の色もよろしかった。夏目漱石の文面に時折『空が見えるのはありがたい』と出てくる。
 四季を問わず空はどんな風景にも、人の心持ちにも大切な存在だ。このピラカンサもそう思っているに違いない。「青い空さんが、こんなにも私を輝かしいものにしてくれる」と溢れんばかりの生(せい)がみなぎっている。この空の下で、ピラカンサの実ほど輝けないとしても、日陰の南天の実ぐらいには、私自身も照っていたいものだと切実に願う
 

 

秋の陽だまり (はしちゃんの詩)

2012年11月09日 18時27分02秒 | 

この廃屋の庭に
黙って立ち続けて
幾年が過ぎたことか

「おーい 今年は不作だなあ』と
語りかける あるじは
もう居ない

小春日和の午後の陽を
むさぼる柿の実 ひとつ
時間だけは
刻々と過ぎ行くばかり




帰り花

2012年11月08日 17時02分26秒 | 日記 

 春に咲くはずのいや咲いたはずのツツジがこの時期に咲いていた。あまり珍しいことでもないが、春と勘違いして慌てて咲いてしまったのか。このように時期はずれに咲くことを「狂い咲き」とか「狂い花」というが、私は「帰り花」というほうが好きだ。
 野草の帰り花なんか良く見かけるが、強い植物ほど返り咲くような気がする。西洋タンポポなどちょっとした陽だまりに四季問わず咲いている。植物たちは春と小春日和の違いを察知出来ないのだろうか。つらつら思いながら、ふと気付く。私もそう言えばこの暖かさに誘われ散歩とあいなったのだと。
 一度は身請けされ堅気なったはずの遊女が再び遊郭に戻ることも「帰り花」というが、秋の陽だまりにぽちぽちと咲いたこのツツジに比べれば、何と切ないことだろう。
 

どうして泣くの (はしちゃんの詩)より

2012年11月07日 17時30分47秒 | 

あら 泣いてるの?
そんな可愛い顔して泣くなんて
みんなみんな
悲しくなるじゃないの

夏に戻りたいって?
そう言えば
夏の夜に咲くレース状の真白な花は
優し気でしなやかで
奇麗だったね

さあ 涙をふいて
里山で一番の 可愛こちゃんよ
秋の終幕を
悔いのないように
華やかに引いてちょうだいな

  (烏瓜讃歌)













































































廃校跡の秋

2012年11月06日 17時19分34秒 | 日記 

 秋の雨は淋しい。野路を囲むクヌギ林はひっきりなしに落ち葉が舞い降りている。歩を止めて耳をすますと落ち葉の落ちる微かな音があっちこっちで途切れなくしている。緩やかな坂を登りきると、やがて廃校跡の校庭の樹木が見えはじめた。まだまだ緑色が大半を占める楓の大木の向こうに真っ赤な紅葉が目に飛び込んで来た。
 いち早く秋に捕まった楓と、まだまだ秋を拒む楓の色彩のコントラストに魅了された。校庭のあちこちに出来た水たまりに枯れ葉が遊んでいる。
 眠りの冬を迎える植物たちは色とりどりに染まり奇麗だ。とは言え何だか淋しいと思うのは歳のせいだろうか。陰暦の10月に出雲大社に全国の神様が集合するというが、この里の神々たちはもうお帰り遊ばせたであろうか。

すずかけの実 (はしちゃんの詩)より

2012年11月05日 17時12分18秒 | 

小さな丘にそびえ立つ
すずかけの実が欲しいと
母にねだると
「父ちゃんに言って」という
すずかけの実がどうしても欲しいと
泣きべそ顔で父にねだると
「母ちゃんに言え」と. . . .

あれから何十年
秋霖の空にぶら下がる
すずかけの実が「ふふふっ」と笑う

あの日のページを
もう一度欲しいと
すずかけの実を仰ぎ見ながら
問うてみる



1本の川

2012年11月04日 18時42分18秒 | 日記 

 実に行儀良く並んだ藁塚(わらつか)。この里では藁こづみと呼ぶ。田んぼと山の境界に1本の川が流れているが糸すじのように細く静かに流れている。田んぼの補助整備がされた今は小川もほぼ真っ直ぐに流れているが、幼い頃は、この小川自身が流れやすいように気ままに曲がりくねっていて、絶好の遊び場だった。藁こづみはもっと高く積み上げていた。
 この秋は刈り入れのプロセスを目にすることが出来なかったので、ことさらに藁こづみの出現に時の移ろいをかみしめたものだ。川岸のノジギクも黄色や白、紫と咲き競っている。
 里山に流れるたった1本の小川もやがて訪れる厳冬には、いよいよもって氷の下で黙りこくってしまうだろう。わずかながら生息する魚たちも我慢のしどころだ。
 仰げば木々の葉も落ちて空も広々見えるのは気のせいか。