2021.08.21(土)
早いなあ、8月ももう20日。残りはわずか。
近くの小学校は27日から新学期らしいから、もう夏休みも終わり、ということだ。
子どもたちはひとりひとり、どんな夏を過ごしたのだろう。
私にとっては今までの数ある夏のうちのひとつでしかないけれど、幼い子どもたちには、ひょっとして「夏」の記憶の大半を占めてしまうくらいのデッカイ夏だったのかも。
せめて来年は、まったく違う夏が顔を見せて、子どもたちをわくわくさせてくれるといいなあ。
パラリンピックを見ることに特別な「教育的意味」がある、という小池発言。
その内容に異議を唱えるつもりはないけれど、別の違和感は大きくなるばかり。
感染者数の激増+病床の逼迫に伴う「外出の自粛要請」「都立高への修学旅行中止・延期要請」の一方で、オリンピックのときより事態がよくなっているとは決して思えない現状を、どう捉えているんだろう、という大きな深い疑問。
子どもたちの観戦を「安心・安全」に行う、と言うけれど、最近、私の中での「安心・安全」が実態を伴わないかる~い表現になってしまって、あえなく失墜・・・。だから、信用なんてできないのだ。
「オリンピックは感染拡大の原因ではない」という根拠を尋ねられて、「オリンピックの高い視聴率」をあげた丸川珠代担当大臣は失笑もんだ。
とりあえず開催→閉会式の流れを遂行することしか、頭にないのだろう。
もう少し、コロナに振り回される一般市民、医療現場の人たちに寄り添う言葉を使えないのだろうか。
医療の現場が追い詰められている現実があって、ワクチンもスムーズに浸透しているとは言えない状況の中で行われた(行われる)オリンピック・パラリンピックの検証が、そう簡単にできるはずはない。長い時間かけて多くの人の手を借りて、その先に解明の扉が現れるはずだ・・・と思います。
なんというアンバランスな雑多な世界に、今私たちは生きているんだろう。
どうしてこんなことになったのかと、繰り返し考える。
スピッツ「田舎の生活」を聴きながら。
この歌の風景とは真逆の暮らしをしてきた私の心のど真ん中を打ち抜く、メロディーと珠玉の言葉たち。
日常では得られなかった風景でも、こうして柔らかく耳に入ってくると、私の歩んできた年月にも同じような日々がたしかにあったと、言い聞かせられる。そんな優しい歌だ。
そして、優しい歌でありながら、最後には、「あの日のたわごと」と言い、ネガの世界に「さよなら」を繰り返し、「また会えたらいいな」とつぶやく。
「根野菜の泥を洗う君と 縁側で遊ぶ僕らの子供と♪」の具体性に、ふっと作者の心の中を覗き込んだような罪深さを感じたり。
そして、変則的な5拍子が緩やかに過ぎる夢の世界を浮き彫りにし、サビの4拍子で現実に引き戻される・・・。
私には、魔法のような楽曲だ。