風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

心は「縄文おやき」で満腹 

2009年05月20日 05時14分35秒 | 紀行文

朝7時に長野駅前のホテル池紋をチェックアウトして、小雨降る坂道の参道を2km程歩くことにする。高層ビルが増え、空き地が目立ち、昔の面影はない。電柱がなくなり、アーケードも無いから傘を差して歩くことになる。車社会となり、ぐるりんバスがあるから、歩く物好きは少ない。

途中の刈萱山西光寺は小学生の時、兄貴に連れられ1953年に放送開始したテレビを始めてみた場所である。力道山のプロレス中継だったが、画像は乱れ白黒の点がちらつくだけだった。

8時前には善光寺に到着したが、ご開帳の前立本尊と握手できると言う、回向柱の前は順番待ちの長蛇の行列が出来ている。4年後のお伊勢さんの式年遷宮にはそっくり移動するお祭り好きな日本人である。

本堂に直行し、一光三尊阿弥陀仏を遠望礼拝し、立ち去ることにする。本尊は絶対秘仏で、見た人がいない。有るのか無いのか、信心が有れば、無くても有るのである。本尊はモノでなく心のようで、モノでない心をモノで表現できないから秘仏になるが、秘仏はオイラの心に存在する。

天台宗の大勧進、浄土宗の大本願を巡拝し、記憶を紐解きながら、高校の同級生の西方寺や隋行坊を訪れ、付近を徘徊したのである。

歩き疲れて立ち寄った店が「小川の庄」だった。上水内郡小川村に伝わる郷土料理のおやきをテーマにした村を運営する会社である。その分村が第三セクターのパティオ大門・蔵楽庭にある。

炭火の囲炉裏で暖めた焙烙で、野菜を餡にした饅頭を食べさせてくれる。目の前で饅頭を手作りし、焼いて食べる待つ時間に世間話をしてくれ、現代人の忘れてしまった時間の無駄遣いが思う存分できる。退屈の筈のバスの待ち時間が楽しい時間に代わったのである。

昨日の宴会で出された、贅を尽くした魚介類や肉料理は数千円だったが、140円程度の菜の花のおやきは負けず劣らずの美味だった。共に満腹となったが、心を満たされたのは、信州小川村の「縄文おやき」だった。



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