狩猟民族の単神教であるキリスト教の創世記によると「初めに、神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた神は初日に光を、2日目に大空、3日目に海と陸そして陸に植物、4日目に太陽と月・星、5日目に魚と鳥、6日目に陸上動物と最後に万物の霊長である人を神に似せて造られた。そして7日目に休まれた」。これが一週間の起源である。まず労働して、その後に休みがあることに注目したい。
農耕民族である日本では、農作物の成長に合わせた農作業をするから、1週間という短期のサイクルでは都合の悪いこともある。日本には二十四節気(にじゅうしせっき)という太陽の動きによる暦がある。天然自然の権化である太陽に支配された植物の成長に合わせて、人は働きそして休む。無休暇の連続農作業を強いられるし、長期休暇の農閑期もある。天候が悪い時は、外での農作業は出来ない。休みは不規則なのである。砂漠の宗教であるキリスト教では考えの及ばない、四季のある日本独特な暦である。二十四節気は、1太陽年を日数や太陽の軌道上の見える位置によって24等分し、その分割点を含む日に季節を表す名称を付したものである。春分・夏至・秋分・冬至など二十四の名がある。
賃金の狩猟民族である現役サラリーマン時代は、週単位の活動であった。明治の文明開化の西洋かぶれである「万事、お金で解決」の日本の社会システムで洗脳された唯物論者であった。定年という社会暴力で退役した最近は、定年の無い果樹園を手伝う農耕民族の唯心論者に変身した。
毎日が日曜日の時期を経験して、今は晴耕雨読で、自由に休みが取れるのである。旅をするのは平日であるから、交通量は極端に少ないので、渋滞に巻き込まれることは無いのである。一般道を走行して目的地に到着でき、名所旧跡は人が少なく、十分に時間を掛けて詳細に見学できる。
美濃加茂正眼寺は、「巨人・大鵬・玉子焼き」といわれた時代の巨人軍監督の川上哲治監督が参禅した禅寺であるが、住職の山川宗玄老師の話があるので、紹介する。
「但馬地方の村の話を聞き、良い話であると思いましたので紹介いたします。長い冬が終り春を喜ぶお彼岸の行事のお話です。その日は昼と夜が同じになる日で、村人が古老を中心に集まり、リュックにご馳走とか果物・お酒などを詰めて、集合場所に集まり、日の出とともに一斉に東に向かって歩き出します。歩き続けて太陽が真上に来たところで、昼飯の宴を致します。毎年の事ですから、同じ場所なのでしょう。食事を皆で楽しみ雑談をし、後片付けをして、今度は西に向かって歩き出します。日没には夫々の自宅に到着します。毎年続けている自然と一体となった行事です。それから田を耕すなど農作業を始めるのでしょう。自然のサイクルと同化した、春を慶ぶ行事です。日々自然と一体となった、安心(あんじん)の世界で、喜び楽しみを頂いて、生かされているのです」
学校教育のお陰で、金の亡者、金の狩猟民族になったが、お寺で坊さんと交流して、自分はやはり心ある農耕民族の日本人であること自覚したのである。禅の公案の「倩女離魂」が有るが、心と体は別々でない。心の有様も大事であるが、お金が有ると便利である。その塩梅が楽しみにならないといけないが、長年の習慣の金の亡者からの脱却は難しい。
農耕民族である日本では、農作物の成長に合わせた農作業をするから、1週間という短期のサイクルでは都合の悪いこともある。日本には二十四節気(にじゅうしせっき)という太陽の動きによる暦がある。天然自然の権化である太陽に支配された植物の成長に合わせて、人は働きそして休む。無休暇の連続農作業を強いられるし、長期休暇の農閑期もある。天候が悪い時は、外での農作業は出来ない。休みは不規則なのである。砂漠の宗教であるキリスト教では考えの及ばない、四季のある日本独特な暦である。二十四節気は、1太陽年を日数や太陽の軌道上の見える位置によって24等分し、その分割点を含む日に季節を表す名称を付したものである。春分・夏至・秋分・冬至など二十四の名がある。
賃金の狩猟民族である現役サラリーマン時代は、週単位の活動であった。明治の文明開化の西洋かぶれである「万事、お金で解決」の日本の社会システムで洗脳された唯物論者であった。定年という社会暴力で退役した最近は、定年の無い果樹園を手伝う農耕民族の唯心論者に変身した。
毎日が日曜日の時期を経験して、今は晴耕雨読で、自由に休みが取れるのである。旅をするのは平日であるから、交通量は極端に少ないので、渋滞に巻き込まれることは無いのである。一般道を走行して目的地に到着でき、名所旧跡は人が少なく、十分に時間を掛けて詳細に見学できる。
美濃加茂正眼寺は、「巨人・大鵬・玉子焼き」といわれた時代の巨人軍監督の川上哲治監督が参禅した禅寺であるが、住職の山川宗玄老師の話があるので、紹介する。
「但馬地方の村の話を聞き、良い話であると思いましたので紹介いたします。長い冬が終り春を喜ぶお彼岸の行事のお話です。その日は昼と夜が同じになる日で、村人が古老を中心に集まり、リュックにご馳走とか果物・お酒などを詰めて、集合場所に集まり、日の出とともに一斉に東に向かって歩き出します。歩き続けて太陽が真上に来たところで、昼飯の宴を致します。毎年の事ですから、同じ場所なのでしょう。食事を皆で楽しみ雑談をし、後片付けをして、今度は西に向かって歩き出します。日没には夫々の自宅に到着します。毎年続けている自然と一体となった行事です。それから田を耕すなど農作業を始めるのでしょう。自然のサイクルと同化した、春を慶ぶ行事です。日々自然と一体となった、安心(あんじん)の世界で、喜び楽しみを頂いて、生かされているのです」
学校教育のお陰で、金の亡者、金の狩猟民族になったが、お寺で坊さんと交流して、自分はやはり心ある農耕民族の日本人であること自覚したのである。禅の公案の「倩女離魂」が有るが、心と体は別々でない。心の有様も大事であるが、お金が有ると便利である。その塩梅が楽しみにならないといけないが、長年の習慣の金の亡者からの脱却は難しい。