最近は過去を懐かしむ余裕がある。思い出すのは小学生の頃である。進駐軍の支給する魚臭いマーガリンとコッペパンと脱脂粉乳のミルク。
小学校に入学した1950年は昭和25年だった。数えで7歳、満で6歳と16日。学校まで4km程度、冬には雪の壁の歩道を歩いた記憶があるが、実体験なのか、幻想なのか確証はない。しかし歩きに興味が向くのは幼児体験の帰結だろうか、歩行禅や四国遍路旅を志向する。
東洋仏教思想に由来する数え年齢は、進駐軍の西洋思想で満年齢に変更された年である。種を植え付け、十月十日待つと子を授かるとする楽観論の農耕民族、誕生するまで不安や猜疑心で苦しむ悲観論者の狩猟民族。出発点が一年違う。
人間国宝が誕生した年でもある。無形重要文化財で伝統芸術の形や職人の技を保有する人間の事で百人程度が生存している。国宝は七千点有ったが、千点程度になり一万点を超える有形重要文化財が誕生した。
「国宝とは何物ぞ 宝とは道心なり 道心ある人を 名づけて国宝と為す。故に古人の曰く 径寸十枚 是れ国宝に非ず 一隅を照らす 此れ則ち国宝なりと」は比叡山延暦寺の伝教大師最澄の言葉である。
一万点を超えるモノの宝物のみの日本の歴史に、モノを創造した人の活動、創造力、智慧など人間力を称える人間国宝は、マッカーサー元帥の指示だろう。
モノで栄える戦後日本は、外国人の驚愕する日本人の心を忘れてしまった。人間国宝がもっと増えると日本は変わり、世界は注目する。

小学校に入学した1950年は昭和25年だった。数えで7歳、満で6歳と16日。学校まで4km程度、冬には雪の壁の歩道を歩いた記憶があるが、実体験なのか、幻想なのか確証はない。しかし歩きに興味が向くのは幼児体験の帰結だろうか、歩行禅や四国遍路旅を志向する。
東洋仏教思想に由来する数え年齢は、進駐軍の西洋思想で満年齢に変更された年である。種を植え付け、十月十日待つと子を授かるとする楽観論の農耕民族、誕生するまで不安や猜疑心で苦しむ悲観論者の狩猟民族。出発点が一年違う。
人間国宝が誕生した年でもある。無形重要文化財で伝統芸術の形や職人の技を保有する人間の事で百人程度が生存している。国宝は七千点有ったが、千点程度になり一万点を超える有形重要文化財が誕生した。
「国宝とは何物ぞ 宝とは道心なり 道心ある人を 名づけて国宝と為す。故に古人の曰く 径寸十枚 是れ国宝に非ず 一隅を照らす 此れ則ち国宝なりと」は比叡山延暦寺の伝教大師最澄の言葉である。
一万点を超えるモノの宝物のみの日本の歴史に、モノを創造した人の活動、創造力、智慧など人間力を称える人間国宝は、マッカーサー元帥の指示だろう。
モノで栄える戦後日本は、外国人の驚愕する日本人の心を忘れてしまった。人間国宝がもっと増えると日本は変わり、世界は注目する。
