風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

日本人の心の原点 387号

2008年10月27日 10時40分51秒 | 随想
禅寺では、高僧が炊飯を担当する大切な役割である。
米を沢水で研ぎ洗いし、燃料の薪を里山で調達し、羽釜を用い、釜戸で「はじめチョロチョロ、中パッパ、ブツブツいうころ火を引いて、ひとにぎりのワラ燃やし、赤子泣いてもふたとるな」の要領で薪を燃やした、昔の炊飯技術。

比叡山延暦寺の食事の前後に、言葉を唱える。

吾今幸いに、仏祖の加護と衆生の恩恵によりこの清き食を受く。 謹しんで食の来由をたずねて味の濃淡を問わず、その功徳を念じて品の多少を選ばじ。いただきます。

吾、今この清き食を終りて、心豊かに力身に満つ。願わくはこの心身を捧げて己が業にいそしみ、誓って四恩(両親・国土・一切衆生・仏法僧の恩)に報い奉らん。ごちそうさまでした。

最近は無洗米が開発され、自動計量し、目盛まで水をいれ、電気炊飯器のスイッチを入れると御飯が炊ける。

精白米は、玄米から胚芽と糠を取り除くが、水溶性で粘着性の肌糠が残るから水洗除去する。無洗米はその肌糠を事前に粘着物質で剥ぎ取り、研ぎ洗いが不要になった。

スーパーやコンビニには弁当が氾濫している。財布に貨幣があれば何でも手軽に購入できる。若者は米離れが進み、ビッグマックや宅配ピザやインスタントラーメンが好物である。便利が美徳の風潮は心を荒ませる。

テレビを見ながら急いで食べて、食卓を離れ、パソコンに没頭する。食の話題は、購入価格比較と賞味期限である。食器洗いは不要で、プラスチックの廃棄物をゴミ箱に放り込むだけである。関心ごとは貨幣獲得の経済情報だけである。

金融危機の不景気の今こそ、貨幣の狩猟民族から、米を愛する農耕民族にUターンするチャンスである。時間を掛けて炊飯する、時間を掛けて食事をいただく、時間を掛けて食器洗いをする。その間に思いを巡らす。日本人の心の原点である。

忘れちゃならない、御飯と味噌汁の味。

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