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風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

五万石から百万石

2013年01月19日 04時48分40秒 | 随想

岡崎藩五万石の住民が加賀藩百万石に旅をする。奥飛騨温泉郷で雪見酒、翌日金沢の近江町市場で寒鰤、加能蟹、喉黒を腹黒い老人が見学する。

岡崎五万石には徳川家康誕生の岡崎城が有る。子分の前田家より大幅に禄高が少ない事に疑問を持ち、好奇の心を揺さぶられなければ人間とはいえない。

歴史問題が存在する。家康が秀吉の子分の時は、禄高二百五十万石だった。そして徳川幕府が成立した時は八百万石。嘘八百とは嘘は無限、八百万石とは富が無限に江戸に一極集中したということだろう。

岡崎五万石は家康が子分の本多家に与えた禄高。

江戸に向かう参勤、藩に戻る交代、狸親父が富裕層を牛耳る政策だった。旅で自発的に散財する事で宿場町が潤い、銭が無くては戦にならない。

加賀藩の大名行列は三千人規模で、北国下街道(金沢-富山-上越-長野-信濃追分)を経由して中山道(軽井沢-高崎-大宮)や北国上街道(金沢-福井-武生-今庄-木之本-関ヶ原)を経由して木曽路の中山道または大垣-名古屋から東海道の道がある。

しかし禄高年金の老人は東名岡崎・日本唯一のハーフタービン型の豊田ジャンクション・MAGロードで土岐・中央道中津川・国道257・41・158・471で下呂・高山を経由して奥飛騨温泉郷、翌日は越中東街道で富山、北陸道で金沢到着。加賀の殿様とは違う道にレンタカーを走らせるのである。

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