
お田戸さんの怪 〈渥美の昔の話〉
大正から昭和に掛けて小中山の田戸神社の傍に陸軍試砲場が在り、
神社の境内の一部も射場とする事になった。
作業小屋を建て準備を進めていると、或る真夜中、
其の作業小屋がめりめりと締め付けられる感じと共に
大地震かと思われる程酷く揺れた。
然し、夜が明けて表へ出てみると別段変わった様子も無い。
同僚に恐ろしかった昨夜の話をしても寝惚けたか
夢に魘されたのだろうと誰も取り合わない。
次の夜も、又しても締め付けられる物音と大地震かと思われる大揺れが起こった。
此の話を聞いた地元の人達はお田戸さんの御使いの大蛇の祟りだ、
境内を荒してはならないと言い工事は中止された。
広い射場の敷地には運搬用にトロッコが設置されていた。
或る日、3人の従業員が乗ったトロッコの前方を蛇が横切ろうとしていたが、
3人はブレーキも掛けず逆にスピードを増し、其の蛇を轢き殺してしまった。
其の後幾日も経たぬ内に3人は、次々と名も知れぬ病で亡くなった。
誰言うと無く蛇の祟りだ、お田戸さんのお怒りだと噂が流れた。
其れ以後はどんな小さな蛇でも決して殺す者はいない。
お社の後方から西の浜に掛け、巾二間程長々と続く湿地帯が在る。
丈の低い草が生い茂り、上からは緑の絨毯か帯の様に見える。
此の湿地はお田戸さんと篠島の間を大蛇が往復する「お通り道」と呼ばれており
村の人は決して此処の草を刈らない。
或る将校が誤って蛇を殺した。
暫く経った或る日、家から娘が病気に為ったと知らせがあった。
偶々休暇が取れたので家へ帰る事にした。
娘は大声を上げて「恐い、蛇が。」と叫んでいる。
娘には父親が蛇に見えたのだ。
将校は急いで射場に帰り田戸神社にお詣りしてお詫びした。
其の後、娘の病気が如何為ったかは誰も聞いていない。

「爺と婆の話 夢見橋」には、
この様な民話が挿絵と共に100作品程掲載されています。
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