
ハウステンボスでのバラ写真の整理がなかなか進みません。
それで今日はたまたまハウステンボスつながりの観光丸と出合ったのでその写真を紹介します。
場所は午前中の仕事の後にたまたまランチをしたお店『港の見えるレストラン:サクラハウス』。

窓側に案内されたおかげでハウステンボスつながりの帆船『観光丸』を近くに見る事になりました。
食事は窓側室内、写真はテラスに出て撮りました。
左手に見えるのが『出島ワーフ』港の側の飲食店街。中央部分に県立美術館が見えています。
柵越えて撮り直し

遠くの『女神大橋』方角を見た時タイミング良く『観光丸』が湾内クルーズを終え帰って来るところでした。
① ②

どんどん近づいて来ます。
③
接岸する時に見えたのが下の説明にもある水車のような外輪

やっぱり水車みたいに中が回ってました。
動いている姿を見て無かったのでへぇ~っと感心。
停泊中の姿からは想像出来ませんでしたが上から見ると思っていたより幅が広いです。
平日とあってお客さんより乗組員の方が多いような
ちなみに②に写っている白い船は人気の『軍艦島』クルーズの船だそうです。
最近はカメラのズーム機能のおかげで自分の目では見えないところもしっかり見れます。
カメラ頼みの私の目^^;
テラスにはここのお店で使うバジルとかのハーブ、花はゼラニウムが綺麗でした。
テラス写真中央の花は↓名前は分かりませんが可愛い花でした。

= お借りした説明文より =
観船名 :帆船 観光丸
・総トン数:353トン ・航海速力:10ノット
・旅客定員:300名 ・所有会社:ハウステンボス
・航路 :通常はハウステンボス周辺の遊覧
観光丸は、1855年オランダ国王ウィレム3世から徳川幕府に贈られ、長崎海軍伝習所の練習艦として使用
された日本初の蒸気帆船です。
その観光丸をできるだけ忠実に復元・建造したのが新「観光丸」で、1987年(昭和62)にオランダの
フェロルメ造船所で12億円かけて建造され、通常はハウステンボス(佐世保市)で観光客向けに同施設
周辺を遊覧しています。
初代の観光丸は船の両脇にある水車のような外輪で動いていましたが、新「観光丸」はディーゼルエンジン
を積みスクリューで動いています。外の外輪も動いていますが、ほとんど飾りのようです。
新「観光丸」は353t の船ですが、アメリカでは3000tクラスの外輪船まであったようです。
この外輪船は推進力を生む効率はスクリューにかないませんが、浅瀬でも運航できるメリットはありました。
ちなみに1853年にペリーが浦賀にきましたが、そのときの旗艦であったサスケハナ号(Susquehanna)とか
ミシシッピ号など俗に言う黒船は外輪船でした。
しかし、1857年3月にオランダで完成した幕府の初期軍艦であった咸臨丸(かんりんまる)は最新式の
スクリューでした。この頃が外輪船からスクリューに切り替わる時期であったようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
この説明は勉強になりました。
明日は『ハウステンボスバラ祭』の写真を公開出来ると思います。
それで今日はたまたまハウステンボスつながりの観光丸と出合ったのでその写真を紹介します。
場所は午前中の仕事の後にたまたまランチをしたお店『港の見えるレストラン:サクラハウス』。

窓側に案内されたおかげでハウステンボスつながりの帆船『観光丸』を近くに見る事になりました。
食事は窓側室内、写真はテラスに出て撮りました。
左手に見えるのが『出島ワーフ』港の側の飲食店街。中央部分に県立美術館が見えています。
柵越えて撮り直し

遠くの『女神大橋』方角を見た時タイミング良く『観光丸』が湾内クルーズを終え帰って来るところでした。
① ②


どんどん近づいて来ます。
③

接岸する時に見えたのが下の説明にもある水車のような外輪

やっぱり水車みたいに中が回ってました。
動いている姿を見て無かったのでへぇ~っと感心。
停泊中の姿からは想像出来ませんでしたが上から見ると思っていたより幅が広いです。
平日とあってお客さんより乗組員の方が多いような

ちなみに②に写っている白い船は人気の『軍艦島』クルーズの船だそうです。
最近はカメラのズーム機能のおかげで自分の目では見えないところもしっかり見れます。
カメラ頼みの私の目^^;
テラスにはここのお店で使うバジルとかのハーブ、花はゼラニウムが綺麗でした。
テラス写真中央の花は↓名前は分かりませんが可愛い花でした。


= お借りした説明文より =
観船名 :帆船 観光丸
・総トン数:353トン ・航海速力:10ノット
・旅客定員:300名 ・所有会社:ハウステンボス
・航路 :通常はハウステンボス周辺の遊覧
観光丸は、1855年オランダ国王ウィレム3世から徳川幕府に贈られ、長崎海軍伝習所の練習艦として使用
された日本初の蒸気帆船です。
その観光丸をできるだけ忠実に復元・建造したのが新「観光丸」で、1987年(昭和62)にオランダの
フェロルメ造船所で12億円かけて建造され、通常はハウステンボス(佐世保市)で観光客向けに同施設
周辺を遊覧しています。
初代の観光丸は船の両脇にある水車のような外輪で動いていましたが、新「観光丸」はディーゼルエンジン
を積みスクリューで動いています。外の外輪も動いていますが、ほとんど飾りのようです。
新「観光丸」は353t の船ですが、アメリカでは3000tクラスの外輪船まであったようです。
この外輪船は推進力を生む効率はスクリューにかないませんが、浅瀬でも運航できるメリットはありました。
ちなみに1853年にペリーが浦賀にきましたが、そのときの旗艦であったサスケハナ号(Susquehanna)とか
ミシシッピ号など俗に言う黒船は外輪船でした。
しかし、1857年3月にオランダで完成した幕府の初期軍艦であった咸臨丸(かんりんまる)は最新式の
スクリューでした。この頃が外輪船からスクリューに切り替わる時期であったようです。
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この説明は勉強になりました。

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