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フライフィッシャーの独り言

昔 織田信長と近い関係にあったであった家康は 信長が討ち死にした一報を聞き 身の危険を感じ 岡崎城に身を隠そうとするも

光秀に阻まれ やむなく迂回したその途中の大阪の神崎川を渡る際に足止めされた そこで佃村の庄屋である森孫右衛門と漁民たちが

船を手配し 備蓄していた小魚煮を差し出した そのお陰があってか家康たちは無事に岡崎城までたどり着けたそうぢゃ

後に江戸幕府を開いたあとも家康は その時の恩義を忘れずに森孫右衛門と漁師たちを 現在の中央区佃島に移住されたと伝わっている

移住した時は まだ干潟でそこを築島して 故郷の名にちなみ佃島と名付けた そして漁師たちは特別な漁業権も与えられる

天保2年(1646年)6月29日に故郷の産土神を祀った住吉神社を建て 保存食としていた小魚などの塩煮を参拝客に振る舞ったのが

佃煮の名前の由来と言われちょります

拙者東京に上京してから すぐにバイトを始めた 愚弟が先にバイトしちょった 当時は綜合警備保障(現アルソック)で東京大丸デパート

の警備である 東京大丸は東京駅にあるデパート 別館は勝どき橋を越えて佃島 時々別館の警備にも派遣された その時

別館の隊長に佃島について色々聞かされた思い出がある

拙者が綜合警備保障にいた頃は遥か昔 佃島あたりは各会社の倉庫群が多くあった いまは全く違う風景となっちょります

 

佃煮とゆ~ても数多くの種類がある 小魚・小エビ・昆布・昆虫のイナゴなどたくさんある

一方の時雨煮はいわゆる佃煮の一種を考えたらえかろぅ 時雨煮の発祥は三重県桑名市 桑名で獲れるハマグリは肉厚で 濃厚な

味わいから 江戸時代には徳川家に献上されていた そんな桑名のハマグリを使って作られたのが時雨煮で 元々は時雨ハマグリと

呼ばれていたそうぢゃ 現在ではハマグリ以外で作られたものにも時雨煮の名前が使われている 例えば牛肉の時雨煮やあさりの時雨煮

などがある

んなら何が違うんか? ズバリ時雨煮には生姜を使うことなんぢゃ 生姜入りか生姜無しかで時雨煮と佃煮に分かれる

冷蔵庫の無い江戸時代に 保存食として編み出された両者 まさに日本人の知恵の結晶と言える食品である

此方では あんまし佃煮など売ってない気がする せいぜいしそ昆布などぐらいかもしれん 関東では色んな佃煮が販売され

多くの方々が食してる まぁ文化発祥の地とそうでない地の違いかもしれん

 

 

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昨日のブログ NEWページ更新しておらず申し訳ありません 改めて

 

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