東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

コズメ・トゥーラ《受胎告知》&《竜を退治する聖ゲオルギウス》

2017年09月17日 | 西洋美術・各国美術
巖谷國士
『ヨーロッパの不思議な町』
筑波書房、1990年初版
 
 
    ある澄んだ秋の午後、フェラーラの鉄道駅を出たときの印象は、どこか中途半端に近代化された、どこにでもありそうな地方都市のそれである。ひどく車が多い。まず中心部へ行きたいのでバスにのった
 
 
    市庁舎の裏手を通って進むうちに、ふと、ドゥオーモの前に出た。これはいったい何だろう。横三つに等分された幅の広いファサードが、無数の眼窩をもつ巨大な頭部のようにそびえている。ほとんどキングギドラめいた三頭の怪物を思わせる。
 
 
    正面入口の近くに、なぜか八ミリ・カメラを操っている坊さんがいる。とても親切でニンニク臭いこの坊さんが案内係のおばさんを探してきてくれたので、階上にある美術館へあがることができた。数少ない展示品はどれも白い布がかかっているので、ひとつひとつめくりながら見てゆく。私たちの目をひいた作品は結局ふたつだけだった。それもちょっとすごいやつ。フェラーラ派を代表する巨匠コズメ・トゥーラの二大作、『受胎告知』と『聖ジョルジョと竜』がそれである。
 
 
   (文房具店で紙を買い、郵便局で小包にして送ったが)店でも局でも、どちらも勘定をまちがえているとしか思えないほど(事実、まちがえている)安くすんだ。とても親切で官能的でニンニクの匂いのする少女がすすめてくれたレストランで、旨いプロシュットとタリアテッレと仔牛の脳味噌の夕食にありついたが、ここでも勘定をまちがえられた。
 
 
    著者の1983年のフェラーラの旅を記した章からの抜粋。
 
    同章のメイン記述は、キリコやエステ家やフェラーラ派とルネサンスなのだが、私の頭には、「キングギドラ」「ニンニク」そして「白い布をひとつひとつめくりながら展示品を見る」の3点がインプットされた。
 
 
 
 
 
    1990年代半ばの冬の午後。フェラーラ駅。駅前は、確かに近代化されていて、観光地らしさはない。徒歩で中心部へ、その途中の中華料理店で昼食を取る。雲呑湯と春巻と炒飯。
    大聖堂に到着する。ファサードが確かに「キングギドラ」!   
    階上にあるらしい美術館の入口を探す。あった!!が、無情にも、冬季期間はクローズとの表示。「白い布をひとつひとつめくりながらコズメ・トゥーラを見る」希望は叶わない。
    もう一つの目的、著者が諸事情により訪問しなかった、スキファノイア宮殿の12ヶ月の間のフェラーラ派による壁画鑑賞は、無事達成(鑑賞中、他に観客は1組のみ)。徒歩で駅に戻り、フェラーラを離れる。
    この間、「ニンニク」との遭遇はなかった。
 
 
 
   フェラーラ大聖堂のオルガンの、閉じられているときに《竜を退治する聖ゲオルギウス》が現れ、開かれたときに《受胎告知》が見えるように構想されていた観音開きの扉絵。
 
 
   大聖堂の階上の美術館から、その後、ディアマンテ宮殿内の国立絵画館に移ったものと思い込んでいたのだが、今改めて確認すると、大聖堂付属美術館にあるらしい。大聖堂付属美術館は、大聖堂の階上ではなく、大聖堂のすぐ近くの旧サン・ロマーノ教会内にあるとのこと。
 


2 コメント

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フェラーラ (むろさん)
2017-09-19 00:22:29
1983年発行の婦人公論増刊ザ・ルネサンスブック。この本に出ていた巌谷国士の「ふしぎな町のふしぎなルネッサンス フェラーラ・キリコ・ルネッサンス」 
私はこれを読んでフェラーラに行きたくなり、特に図版が載っていたスキファノイア宮 黄道12宮天秤座の不気味な絵が頭から離れませんでした。今回掲載された文章と婦人公論増刊を比べてみたら若干の違いがあり、大意はそのままでニュアンスを多少変えているようです。
実際にフェラーラに行けたのはそれから10年ちょっとかかりましたが、行ってみて良かった町の一つです。大聖堂とキングギドラの対比が書かれていたこともよく覚えていて、今回この記事を読んですぐに巌谷国士の文章があったことを思い出しました。私は40年以上ボッティチェリのファンをやっているので、フィレンツェの15世紀末という時期に特に興味があり、フェラーラの町で見たサヴォナローラの狂気に満ちた肖像彫刻もよく覚えています。
この町は観光で歩いている分には至ってまともな所ですが、美術作品をよく見ると、コスメ・トゥーラの絵もスキファノイア宮の壁画も大聖堂の形もサヴォナローラの像もキリコの絵も彫刻も、皆狂気じみていて心引かれる町です。いつかまた行ってみたいと思います。
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Re:フェラーラ ()
2017-09-19 22:22:13
むろさん様

コメントありがとうございます。

初出は、1983年発行の婦人公論増刊なのですね。

単行本版を読んで、私もフェラーラに行きたい、といいますか、著者のように1泊くらいする価値は充分ある街だと思いつつ、エキセントリックなトゥーラとスキファノイア宮殿壁画が見れればそれで充分と割り切り、半日観光とした次第です。
訪問時期も、むろさんさんが訪問なさった時期とそんなに離れていないようですね。

近くの図書館で、1983年の婦人公論の記事を読みました。おっしゃるとおり、大意はそのままでニュアンスを多少変えているようですね。「ほとんど中東の洞穴都市の壁面か、キングギドラ風怪物の石化した姿を思わせる」。

単行本版の章の末尾にある1983年8月との記載は訪問時期を示すと思い込んでいましたが、どうやら初出の記事を書いた時期を示していて、実訪問はこの4年前であるらしいですね。じゃあ、単行本版の他の章も、そういうことなのかな。

あと、ディアマンテ宮殿やスキファノイア宮殿について、単行本版の「外から見るにとどめた」に対し、婦人公論版では「見てまわった」とある。結局、《黄道12宮の天秤座》を著者は実見したのですかね?単行本版には、その壁画はエステンセ城にあると思い込んでいた旨の注書きが付加されているのですが。

もう一つ、この記事の次のページが、田中康夫氏のエッセイであることが時代を感じさせました。
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