現代の日本人芸術家による「見世物小屋」。
そのノリで見て、非常に楽しみました。
例えば、
1 伊藤利彦「視点・部屋」
レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の舞台となる部屋。
役者たちの入場前あるいは退場後、舞台の後ろ側からこちら側を見たときの部屋の模様。確かにさもあらん。
部屋に貼ったポスターかのように画面に貼っている「最後の晩餐」の絵。
家具の柄のように画面に貼っている「最後の晩餐」の絵の一部分。
意味不明ながら画面最下部中央に貼っているフランス語の本の1ページ。
何か意味を込められているのでしょうか。
2 小本章「Seeing 85-23」「Seeing 85-20」
何の変哲もない海辺の写真。
よく見ると、後ろの風景と連続しているかのように見えるよう工夫に工夫を重ねたオブジェが、ど真ん中に映っています。
たいへんなご苦労。
3 河口瀧夫「無限空間におけるオブジェとイメージの相関関係又は8色の球体」
題名はおおげさ。透明の箱のなかに、あたかも浮かんでいるかのように見せようとしている球体があるだけ。
ただ、箱の周囲を回っているとその球体の色が変わる。
極めて単純。
だが、なんとなく楽しくなってくる作品です。
4 上田薫「なま玉子J」「玉子にスプーンA」「スプーンのゼリーB」
なま玉子を割ったとき。
半熟玉子をスプーンですくったとき。
ゼリーをスプーンですくったとき。
確かにこのように見える一瞬があったのだろう。
5 中川直人「アフリカの女王」
スーパー・リアリズムによる静物画。オレンジの描写に感心。
6 福田美蘭「幼児キリストから見た聖アンナと聖母」ほか計4作品
ダ・ヴィンチ、ボッティチェリ、ベラスケス、マネの名画。
登場人物のある一人からは、確かにこのような風景が見えているのでしょう。福田氏の発想に感心します。
加えて、名画たるもの、鑑賞者にはなかなか気付かせないですが、
登場人物たちは画面の中でかなり不自然な/無理な姿勢で頑張っているのだなあ、
ということも気づかせてくれます。
7 森村泰昌「肖像(ヴァン・ゴッホ)」
これが絵画ではなく、写真であるということだけで感心します。
一方で、「影」「逆遠近法」「水滴」「陶器の英字新聞」「幾何学的な模様と色彩の組み合わせ」「シーレの部屋」群、等。
きわもの的なところより、むしろ芸術風味が強すぎて、敬遠してしまいました。
また、佐藤正明「Newstand」6枚シリーズには、主催者の意図とは別の意味で、見入ってしまいました。
ニューヨークの新聞雑誌売り場を描いているとのことですが、イタリアにもこんな雰囲気のスタンドがあったなあと。
最初の4枚は雑誌・新聞・菓子類中心のスタンド。
5枚目は絵ハガキが登場。観光地のスタンドだなあ。
最後の1枚は子供のおもちゃ類が登場。ターミナル駅のスタンドだなあ。
旅に行きたい気持ちを高まらせた、という点で印象深い絵でした。
日曜夕方16:30頃の入場だったのですが、意外に観客も多く、なかなか人気のあるらしい展覧会です。