祝!国立西洋美術館の世界遺産登録決定
1964年上野&京都 ミロのビーナス特別公開を振り返る。
1964年春、パリ・ルーヴル美術館から、ミロのビーナスが来日する。
この年の秋、ギリシャ由来のイベント・東京オリンピックが開催されることを材料に、朝日新聞社が日本政府の協力を得て、仏政府と交渉を行い、承諾を勝ち取る。
ミロのビーナスは、1820年4月8日、エーゲ海南西部に位置する現ギリシャ領(当時オスマントルコ領)のミノス島で小作農により発見される。トルコ政府が没収→仏海軍提督が仏大使に頼み込んで購入→フランス王に献上→ルーヴル美術館入り、となる。
それ以降現在まで、ミロのビーナスがルーヴルを出て海外に渡ったのは、1964年の日本行きのただ一度だけだという。
日本到着時には二つの小さな大理石片が欠落するハプニングもあった(埋めものの石膏の小部分が落ちただけ、との話もある)が、ミロのビーナスは、発見された日と同日の4月8日から、国立西洋美術館の前庭に作られた円筒形の特設会場にて公開される。
特設会場は、まず2階の廻廊で上から眺め、スロープで1階に下りていって、彫像の正面に達するという造り。
ミロのビーナス特別公開
1964年4月8日〜5月15日
国立西洋美術館
会期38日間の入場者数は、831,198人(西洋美の展覧会では歴代3位)。
1日あたりの入場者数は、なんと、21,874人(西洋美の展覧会では歴代1位)。
その入場待ち行列の凄まじさを物語る上空写真を見る。
西洋美から始まる行列は「東京文化会館の脇を抜け、上野公園内を蛇行しながら西郷隆盛像を横目に、なんと公園下までつづい」ている。
いったい何時間待ちだったのか。
展示は1作品のみで、大きい彫刻作品だから、先般の若冲展のピーク時ほどにはならなかったかもしれない(その上空写真は4/29付らしいので、会期末頃はもっと凄かったに違いない)。
国立西洋美術館の次は、京都市美術館に巡回する。
国立西洋美術館の会期はどうやら、当初計画より2日間短縮されたらしい。実際に訪問した人のブログ掲載のチケット半券の画像を見ると、5/17までとある。京都市美術館への搬送に大変な時間を要することが判明したためである。短縮が決まったのはいつなのか、気になるところである。
搬送の様子をテレビの映像(か新聞の写真)で観たような記憶がある。
いかにも東海道を旅するという感じの景色を背景に、数台の車が慎重に悪路を走るという映像で、いつの時代の映像かと思った印象がある。
平均速度18キロの実に慎重な搬送だったらしい。当時、まだ新幹線は開通していない。
ミロのビーナス特別公開
1964年5月21日〜6月25日
京都市美術館
京都市美術館での状況は、殆ど情報がない。
京都でも大盛況で、会期最後の日曜日はなんと5万人強の来場者があったという。
2会場合わせた入場者数は、約172万人。主催者の朝日新聞社のサイトにある数字だから確かだろう。
西洋美が約83万人だから、京都市美は、西洋美を超える約89万人となる計算。
会期36日間(休みなし)とすると、1日あたり入場者数は約24,700人と、これまた西洋美を大きく上回る。
1964年の岡崎公園は、上野公園以上に熱かったようだ。
→(後日追記)京都会場の入場者数は891,094人。会期36日間(休みなし)とすると、1日あたり入場者数は24,752人の計算。
でもへいきでした。
沢山の人が並んで、何かぐるぐる回って
やっと拝めました。
館内はシーンとした雰囲気でした。
綺麗な子が生まれますよう思わず祈ってしまいました。
和服、塩沢お召しを着ていきました。
家に帰ってハンガーに掛けたら襟が日焼けしていました。
後年ルーブルでまた拝むことができました。有り難かったです。
コメント、そして素敵なお話、ありがとうございます。
強子さまのブログを拝読しました。素敵なお話がいっぱいですね。
是非、ミロのヴィーナス鑑賞のお話を記事にしていただきたいと思いますし、また、他の美術鑑賞のお話もしていただけると嬉しく思います。
東京五輪のあった年ということで、「古代ギリシャつながり」で、日本にミロのビーナスがやって来たんでしょうか。
私は小説投稿サイトに、「日本の美術館で、ミロのビーナスが盗まれる」というフィクション小説を書きました。
タイトルは「《ミロのヴィーナス》消失事件(1964)」です。
ペンネームは「今井Kです。
このサイトは、どなたでも無料で小説を読むことが出来ますので、URLに紹介しておきました。
国立西洋美術館を舞台にしたミステリーですが、「帝都美術館」という架空の名称にしました。
ただし、美術館の立地場所は、同じ東京・台東区です。
拝読いたしました。
後味が良かったです。
小説がということではなく、現実はどうだったのか、気になり始めたのが、当時夜間開館を実施していたのか、と、伝説の大混雑展覧会でも閉館間際などで空いている時間帯があったのか、の二つ。今のところ確認する方法が分かずにいます。
私の小説を読んでくださり、そして、返信コメントを書いてくださり、ありがとうございます。
実は、私は美術に関しては、全くの門外漢であり、ミロのビーナスのこともネットで知ったのです。
昭和39年の東京五輪の年に、ミロのビーナスが日本に来たということを知り、これはタイムリーな話題だと思い、小説を書きました。
素人が美術作品を扱った小説を書くなんて生意気だ、と言われるかも知れませんが、そんな私でも、ミロのビーナスは知っていましたし、素敵な題材だと思ったのです。
描かれた美術館は、国立西洋美術館を意識して書きましたが、館内の構造は勝手に変えてしまいました。
本当は、リアリティーを出すために、「国立西洋美術館」という実名を出したかったのですが、先方様から使用許可が下りませんでしたので、架空の名称にしました。
館内に、クラシック音楽が流れていたというのも、私の空想で書きました。本当は、そんなことないんでしょうね。
夜間に開館していたというのも、私の創作です。
ストーリーの展開上、閉館間際の美術館は客が少なかったという設定にしましたが、本当は閉館ぎりぎりまで満員だったんでしょうね。
何しろ、私は実際に立ち会っていないので、全てフィクションです。
この小説では、犯人が自分の犯行を長々と語っているシーンが不自然だと思ったので、真相の明かし方を書き変えてみました。
来年、東京五輪があるので、テレビでも、前回の東京五輪の時に、ミロのビーナスが来たという出来事を取り上げて欲しいですね。
「日曜美術館」などで。
私のペンネームが、Kさんと似ていたのは、単なる偶然です。
私も、こちらのブログを拝見して、偶然を感じました。
コメントありがとうございます。
真相のあかし方など、創作上の工夫やご苦労がいろいろとあるのですね。
1964年4月8日の東京は、どしゃ降りで、最高気温は8度と4月8日としては2020年から遡ること60年間で4番目に低くかったようです。その日、フランスのポンピドゥー首相(後に大統領)と日本の池田総理大臣を主賓とする開会式があったようなので、一般公開は午後からだったかもしれません。
伝説の展覧会に行った人の体験談を知りたく思い、ネット検索しました。「何時間も並んで」という方が多いのですが、「かなり並んだが、それほどひどい時ではなかった」という方もおられます。皆さん「女神」の素晴らしさを語っておられます。東京もそうですが、次の巡回地・京都では一層加熱したようです。実際に行かれた方が拙記事のコメントに思い出を寄せてくださったことがございました。非常にありがたく思います。小説の少年は、今70歳くらいになりますかね。
今気づきましたが、今年(2020年)は、「女神」発見200年の記念年でした。
私は50代の男性ですが、
Kさんは、実際にミロのビーナスの日本公開を御覧になった方なんでしょうか?
この件に関して、非常に詳しいい方のようなので。
「ミロのヴィーナス」や「モナリザ」は見ていません。「バーンズ・コレクション展」は見ています。
歴史的な美術展に興味を持っている単なる愛好家です。
何度も書き込んで、すいません。
クリムトとフェルメールの絵画が、クラシック音楽のCDのジャケット・デザインに使われたことがあります。
私は美術は詳しくありませんが、クラシック音楽の大ファンで、クラシックのCDを見た時に、素敵な絵画が描かれていたので、この二人の画家を知りました。
特にクリムトは、多くのクラシックのCDのジャケット・デザインに使われています。
クリムトは、ベートーヴェンに関する絵画も描いたそうで。同時代の人なのかな。
ちなみに、今年はベートーヴェンの生誕250年です。
尚、前回コメントしたミロのビーナスの件ですが、私が書いた小説に、美術館内でクラシック音楽が流れていたという話にしました。
ブラームスの「運命の女神の歌」という曲は、風格ある荘厳な音楽なので、まさにミロのビーナスのイメージに相応しいと思いました。
だから、ミロのビーナスが展示された美術館で、この曲が流れていたという設定にしたのです。
音楽にしろ、美術にしろ、彫刻にしろ、偉大な芸術作品は素晴らしいですね。