東京でカラヴァッジョ 日記

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カラヴァッジョのビロードモウズイカを見る。

2024年03月17日 | カラヴァッジョ
カラヴァッジョ《洗礼者聖ヨハネ》。
 
 
カラヴァッジョ
《洗礼者聖ヨハネ》
1602年、129×95cm
カピトリーノ美術館 絵画館
 
 
 
 妙に気になる画面右下の緑の植物。
 
 
 この植物は、「ビロードモウズイカ」という名であるらしい。
 
 
 ビロードモウズイカをネット検索する。
 
・本来の分布域はヨーロッパ。2年草。
・発芽した年は、「ロゼット状」(地面に葉が拡がって立ち上がっていない状態)で冬を越す。
 翌年、温かくなると花茎が伸びて葉が花茎を螺旋状に取り巻く。草丈は2mにもなる。
 花期は6~8月。茎の上の方に黄色の花が密生して咲く。一日花で、早朝開き午後にはしぼむ。
・古代から皮膚や喉や呼吸器の病気などの治療に使われており、特に収斂作用や皮膚軟化剤として利用されている。
・日本には、明治時代に鑑賞用として「ニワタバコ」という名前で北米から導入。現在では全国各地に溢出。
 
 
 
 福岡に携えた、木村太郎著『カラヴァッジョを読む』2017年、三元社刊 によると、
 
 
 カラヴァッジョは、キリスト教の主題を絵画化する際に、しばしばこの植物を描き込んでいる。
 
 
 逆に、「キリスト教の主題を絵画化する際にしか、この植物を決して画面には描きこんでいない」という。
 
 
 ビロードモウズイカを描き込んだカラヴァッジョ作品例。
 
 
《エジプト逃避途上の休息》
1596〜97年頃、ドーリア・パンフィーリ美術館
画面右下
 
 
《キリストの埋葬》
1600〜03年頃、ヴァティカン絵画館
画面左下
 
 
《洗礼者聖ヨハネ》
1602〜04年頃、ネルソン=アトキンズ美術館
画面右下
 
 
《洗礼者聖ヨハネ》
1609〜10年頃、ボルゲーゼ美術館
画面下
 
 
 どのような意味で、カラヴァッジョはキリスト教の主題の絵画に、この植物を描き込んでいたのだろうか。
 
 
 木村氏の著書では、
 
「この植物の持つ象徴的意味については諸説あるにせよ、カラヴァッジョがそこに何らかのキリスト教的な意味を込めていたことに疑いの余地はない。」
 
との記述にとどめ、具体的な紹介はなされていない。
 
 
 
 ついで、石鍋真澄氏の著書『カラヴァッジョ ほんとうはどんな画家だったのか』2022年8月、平凡社刊 を確認する。
 
 
 ビロードモウズイカについて、気づいた範囲では2箇所で言及されている。
 
 
《キリストの埋葬》ヴァティカン絵画館
 
 手前の目立つビロードモウズイカはあまり一般的な植物ではない。実はこの植物は、やはりヴィットリーチェ家の注文で描かれた《エジプト逃避途上の休息》にも描かれている(ほかにはカピトリーノ美術館やボルゲーゼ美術館所蔵の《洗礼者ヨハネ》などにも描かれている)。薬草でもあったこの植物は、「エッサイの樹」(イザヤ書11:1)、つまりキリストの系図を暗示するとされるが、それの挿入はヴィットリーチェ家のだれかがアドヴァイスしたのかもしれない。
 
 
《洗礼者聖ヨハネ》ネルソン=アトキンズ美術館
 
 足元にはキリストの死を暗示する、おなじみのビロードモウズイカが描かれている。
 
 
 
 「おなじみ」とされてしまった。
 
 
 当初2020年10〜11月、変更後2021年3〜5月に予定された「カラヴァッジョ《キリストの埋葬》展」(国立新美術館)の中止を改めて残念に思う。


6 コメント

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天鵞絨毛蕊花 (むろさん)
2024-03-22 15:04:36
面白いところに目をつけられましたね。この記事を読んで、この観点からヨハネ・イサクの論争に決着をつける鍵にならないか、と思いました。記事中には木村氏の文として、「キリスト教の主題を絵画化する際にしか、この植物を決して画面には描きこんでいない」とありますが、もう少し踏み込んで、「ビロードモウズイカはカラヴァッジョの新約聖書の絵には出てくるが、旧約聖書の絵には描かれていない」と言えないでしょうか?(イサクは旧約聖書だから、この絵はヨハネでありイサクではないのでは? ということです。)

このカピトリーノの絵については、制作年、モデル(チェッコか)、テーマはヨハネかイサクか の3点が課題だと思っていて、そのうち制作年とモデルはあまり異論がないようなので、最大の疑問点は絵のテーマです。私も最近この件についていろいろ調べることがあったので、少し考えを述べます。

記事中に挙げられている2つの本(木村氏2017年、石鍋氏2022年)では、木村氏の結論は「解放されたイサク」、石鍋氏の結論は「洗礼者ヨハネ」(P266,267)となっています。木村氏からはこの件について直接聞いたことはありませんが、石鍋氏からは2022年の著書が出るよりも前に、この問題についての話を聞く機会があり、その時の要旨は、
古い時代の遺産の記録などに書かれた絵の主題は、他の絵と区別できればいいといった程度のものであり、当時はこれを見て普通にこう呼んでいた
個人の注文による絵の場合は、教会に置くような絵とは違い、図像はそれほど厳密ではなかった。教会の絵ならば神学を学んだ坊さんが細かいことを言う場合がある
(ボルゲーゼのヨハネの絵について)初期キリスト教時代など色々な時代の図像を例示しているが、背景が違うような、例えばレンブラントの絵にこういった表現の例がある、といってもそれが証拠になるとは言えない。カラヴァッジョと共通の図像と言えるものかどうか

木村氏の著書のP31~35には、描かれた時代に近い時期の記録から始まり、現在までの研究者がこの絵のテーマをどう考えてきたのかが掲載されていますが、イサク説は1997年以降であり、このことはマタイ論争(若者説が出されたのも近年になってから)を連想させます。カピトリーノの絵についても、描かれた少し後ぐらいの時点では、多くの人にヨハネと考えられていたということです。

私はイタリア・ルネサンス、バロック美術と並んで(日本美術では)平安・鎌倉彫刻を主な対象として調べたり見たりしていますが、平安末から鎌倉初期の仏教美術では、必ずしも仏典・儀軌や図像の決まり事に従って作られたというのではなく、その時点での学僧(例えば明恵上人や解脱坊貞慶など)の考えによる独自の仏像などが作られている場合があります。また、法然上人に関係する仏像で、東博で4月から開催される「法然と極楽浄土」展に出品される浄土宗所蔵木造阿弥陀如来立像(玉桂寺旧蔵、下記URL)について考えていることがあります。
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2629

この阿弥陀如来は、滋賀県信楽の玉桂寺という真言宗の寺に伝わり近年浄土宗に売却された像で、40年ぐらい前に解体修理をした時に、像内から鎌倉時代初期に法然の弟子源智が法然一周忌のために多くの人からの結縁の資金を集めて作らせたという文書(仏師名の記載はなし)が発見されて話題になった像です。そして、法然は著書の「選択本願念仏集」(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)で「造像起塔等の諸行をもつて往生の本願となしたまはず。ただ称名念仏一行をもつてその本願となしたまへり」としていて、寺や仏像を作ることが極楽往生できる道ではない、と説いています。これは平安時代後期の摂関期・院政期を通じて、院や大貴族による造寺造仏が、大きくて立派な寺・仏像を作ることができる経済力によるものであり、金持ちでないと極楽往生できないという風潮に対する言葉として、鎌倉時代初期の時点では新仏教として当然の考え方ですが、法然は立派な建築や仏像を作ることを否定していることになります。仮にこの旧玉桂寺の仏像が、解体修理される前に、それを伝えていた寺の寺伝として、「この像は法然上人の一周忌を前に、弟子の源智が多くの信者の寄進によって作らせたもの」という事実を伝えていたとしても、「法然は造像起塔を否定していたのだから、それをよく理解していた弟子が一周忌のための仏像を作るはずはない」という原理原則に則った否定論が研究者から出されたのではないか、と思います。後世の人間が頭で考える規則・原理原則からの推定と歴史の実態は異なることがある、ということです。(師匠の法然が造像起塔を否定していたのにもかかわらず、弟子の源智が法然没後すぐに一周忌の造仏を発願し、何千人もの支援者を集めたということの意味が何であるかは考える必要があると思いますが。)

カラヴァッジョの絵に戻って、石鍋氏は様々な場でイコノロジー研究が盛んであった頃の研究状況(描かれたものには全て意味があるはず)を否定して、作られた時代の状況・文脈に即して判断すべきことの重要性を力説していますが、私も西洋美術・日本美術のいろいろな経験から、「頭で考えただけの原理原則」よりも「時代の状況・文脈」を反映した考えの方が真実に近いと思っています。その意味で、「個人の注文による絵の場合は、図像はそれほど厳密ではなかった」という石鍋氏の言葉はカラヴァッジョ研究においてとても重要なことと思います。(石鍋氏はカラヴァッジョが雄羊か子羊かは間違って覚えていたかもしれない、また、絵の注文主はカラヴァッジョの素晴らしい絵が欲しかったのであり、図像学的に厳密な絵を求めたのではない、と言ってました。)2022年の著書のP268にあるように、ジュスティニアーニ自慢の「勝ち誇るアモル」を見たチリアーコ・マッティが自分も同じような絵が欲しいと望んで描かせたということなら、同じチェッコがモデルの裸体画であることも納得できるし、厳密な図像であるかどうかは気にせずにカラヴァッジョの真筆作品が欲しかったということもよく理解できます。

我々はカラヴァッジョの絵を見る時に、あまり図像的な決め事・約束に拘るのではなく、作られた当時の時代背景を考慮しつつ、もっと単純に絵を見ればいいのではないか、と思います。
Unknown (k-caravaggio)
2024-03-24 06:30:53
むろさん様
コメントありがとうございます。
ビロードモウズイカ からテーマを特定できないか、という発想は素晴らしいですね。
ヨハネなのかイサクなのか。
どの角度から見ても、こちらを見つめてくる絵の少年。
その笑顔を見ていると、解放された喜びにあるイサク、がしっくりくる感じがしました。
石鍋氏の著書では「意味ありげな笑み」とあり、今改めて撮影した画像を見てもクセがあるように思えますが、鑑賞中は嬉しさの笑顔だと感じた次第です。
石鍋氏の考えは妥当だと思っているところですが、それでもイサク説はなかなか魅力的です。
ビロードモウズイカ (むろさん)
2024-03-26 00:14:34
この件に関して、手持ち資料でもう少し調べてみました。若桑氏や宮下氏の本、和訳があるモアール(若桑訳、美術出版社1991)やチノッティ(森田訳、岩波1993)の本、スパイクやプリージの英文著書などです。このうち、この植物について書かれていたのは、宮下氏の「カラヴァッジョ―聖性とヴィジョン」2004年とカラヴァッジョ没後400年展のローマでの図録の2つだけでした。

宮下氏の「カラヴァッジョ―聖性とヴィジョン」P184では、パーパの説として「画面右下の植物、イチイはキリストの受肉、死、復活を示すという点からも、この作品はイサクの解放に予告されるキリストの復活を示すものであるとした」とりあります。しかし、イチイ・櫟・くぬぎを調べても「ブナ科の落葉高木」とあり、カラヴァッジョの絵に描かれているような草とは思えないので、これをイチイとするパーパの説は信じることができません。なお、宮下氏は同書でこのカピトリーノの絵のテーマをイサクとしていますが、その根拠は氏が度々取り上げている「不在効果」(この場合は絵を見る人がアブラハム)の一例とするためと思われ、また、ボルゲーゼのヨハネも合わせて、最終的には「ヨハネ=イサク=キリスト」という、どのようにでも取れるような結論を書いているので、この論が最初に掲載された神戸大学の論集(2000年)から現在までのカラヴァッジョ研究の進展(例えば石鍋氏が2022年の著書で書いている子羊と雄羊のその当時での使い分けなど)を考えると、この宮下氏の結論をそのまま受け入れることはできないと感じます。

次に没後400年展図録ですが、これは2010年にローマのScuderie del Quirinale で開催されたCaravaggio展の図録で、この展覧会はカラヴァッジョの真筆を多数集めた近年では最大規模の展覧会であり、これに合わせてカジノ・ルドビージの天井画も予約制で公開されたという、カラヴァッジョファンにとっては夢のような展覧会だったそうです(私は行っていません)。
カピトリーノのヨハネはSergio Guarinoという人が解説を書いていて、植物とヨハネ・イサク説の部分は以下の通りです。

John, in the words of Jesus, '…was a burning and a shining light: and ye were willing for a season to rejoice in his light' (John 5,35). Perhaps the presence of the mullein, which was used at the time as a material for wicks, among other things, refers to this Evangelic phrase. In any case, the plant seems traditionally to be associated with John the Baptist.
イエスの言葉を借りれば、ヨハネは「…燃える光でした。そしてあなたがたは、彼の光の中で喜ぶ季節を望んでいたのです。」(ヨハネ福音書5章35)。 おそらく、当時芯などの材料として使われていたモウズイカの存在は、この福音書の言葉を指しているのかもしれません。いずれにせよ、この植物は伝統的に洗礼者ヨハネと関連付けられているようです。
(ヨハネによる福音書5章35;ヨハネは、燃えて輝くともし火であった。あなたたちは、しばらくの間その光のもとで喜び楽しもうとした。)

There is no real proof advocating a literary or profane interpretation, a current of interpretation associated with the relatively unclear definition provided by Gaspare Celio. The proposal that the subject might be Isaac, which certainly has the appeal of giving a more direct link to the ram, now appears less convincing because of the total absence of any reference to Isaac in the inventories and documents and also, among other things, for a more careful interpretation of the reddish area at lower left, which cannot be seen as a sacrificial fire but as a residual trace of the mantle. Indeed, radiographic analysis of the painting has revealed that the mantle was initially painted as extending into that area.
文学的または俗的な解釈を主張する実際の証拠はなく、ガスパレ・チェリオによって提供された比較的不明確な定義(Pastor friso)に関連する解釈の流れがあるだけです。主題がイサクである可能性があるという提案は、確かに雄羊とより直接的なつながりを与えるという魅力を持っていますが、現在では、目録や文書にイサクへの言及がまったく存在していないこと、また、とりわけ、 左下の赤みを帯びた領域をより注意深く解釈するには、犠牲の火ではなく、マントルの残留痕跡として見ることができます。実際、絵画のレントゲン分析により、マントルが当初その領域に広がるように描かれていたことが明らかになりました。(マントル;炎の周りに置いて発光させるための金属の網)

ビロードモウズイカは洗礼者ヨハネに関係がある植物としていて、また、絵自体の分析からもテーマはヨハネとしています。少年の顔は確かに喜んでいるように見えますが、ベルリンの勝ち誇るアモルも同じような表情であり、私は今まで上げたいろいろな証拠から、これはやはりイサクではなくヨハネだと思っています。
Unknown (k-caravaggio)
2024-03-26 10:18:10
むろさん様
コメントありがとうございます。
「不在効果」。
《洗礼者聖ヨハネ》には「不在効果」を強く感じます。石鍋氏の見解のとおりヨハネだとは思いますが、少年の喜びの表情を見ているとイサク説も魅力的です。
ベルリンの《勝ち誇るアモール》は、その表情からどんな印象を受けるのか、大昔に見たときは誘っているような印象を受けましたが、もう一度観て確認したいところです。
2010年のローマのカラヴァッジョ回顧展は行きたかったですね。私も図録を持っていますが、イタリア語版なので、飾りと化しています。
ヨハネかイサクか (むろさん)
2024-03-26 23:33:24
この絵について書かれたもので最も新しい解説は、今回の展覧会図録のパーピによるものだと思います。この中では「主題はヨハネ」としています。最後の方に「主題は研究者によってさまざまに解釈されてきた」として、イサクやヤギを伴う少年、Pastor friso、Coridone、牡羊座の象徴的表現などが列挙されているだけです。これが現在の多くの研究者の意見だと思います。なお、フェデリカ・マリア・パーピはカピトリーノ美術館の絵画部門の責任者で、今年1月放送のNHK-BS「世界都市ローマ 永遠の都の秘密」に出演していましたが、下記のルカ・シニョレリ展に関する動画にも展覧会の企画者として出ています。
https://www.youtube.com/watch?v=q27x8aR03fo

イタリア語版の本は飾りと化している、とのことですが、私の場合、最近はパソコンでグーグル翻訳などの機能を使って日本語訳するようにしています。スキャナーで一度pdf文書にしてから、文字をコピーしてワード文書に貼り付け、文字化けしている部分は修正してから翻訳サイトにかけるという、かなり手間のかかる方法なので、よほど読みたいものしかやりませんが、ヴェロッキョやカラヴァッジョなどいくつかのイタリア語文献を日本語訳しています。(もっと簡単な方法をご存じなら教えてください)
なお、上記youtube動画のイタリア語解説文は、そのままコピーして翻訳サイトに貼り付ければいいのでやってみてください。
Unknown (k-caravaggio)
2024-03-27 20:13:03
むろさん様
コメントありがとうございます。
PDF化して、コピーして、文字化けを修正して、翻訳機能にかける。
文字化けの修正が大変そうですよね。今度、読みたいものがあるときに、試してみたいと思います。
ご教示いただきありがとうございます。

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