震災と津波に遭われた方々の無事と一日も早い復興をお祈りします。
11日は名古屋で会議中に地震に遭う。16年前の神戸の時とは違ってユラユラユラというゆっくりした揺れが長い間続いた。こんなに長い間揺られたら津波が心配だということが頭をよぎる。結果、嫌な予感が的中し呆然とする。
最初の揺れで頭に浮かんだのは南海地震・東南海地震。16年前との違いは情報通信網が飛躍的に整備されていること。揺れている最中に東北地方の東側が震源だということが分かる。
上りの新幹線が不通になり下りも怪しいということで、名古屋のホテルなどの宿泊施設は予約でいっぱい。会議に参加していた東京組みは早々に帰宅をあきらめホテルを予約。大阪組の私も一旦は宿泊予約をしていたのだが、下りの新幹線は動いているということでキャンセル。
食事をして名古屋駅に向かったのが21時過ぎ。携帯電話でJRの状況を確認しながらの行動。携帯電話でのデータ通信は16年前にはなかったし、携帯電話自体も普及してなかった。小1時間、名古屋駅のホームで新幹線を待った後、6時間遅れの新幹線に乗り新神戸へ。
日が変わって帰宅。午前2時頃アメリカにいる従妹とスカイプで会話。10日に成田からアメリカに旅立った息子の状況を聞き、地震の報告もする。これも16年前は無かったな。
従妹は東京の中央線沿線に仕事で居を構えているが自宅はアメリカ。9日に成田からアメリカへ仕事で飛び、10日にうちの息子を自宅に招いてくれた。東京では一人暮らし。今年から住み始めたばかりで、仕事関係以外では知り合いも少ないが、心配そうではあった。
日本では2000年に一回というくらい凄い災害に遭っていて、今の政府と経済状況の中で日本は立ち直れるだろうかというような状況なのだが、アメリカの国民は対岸の火事なんだろうな。心配しながらも穏やかな日々を過ごしているようだ。まあ、普通そうだ。
神戸の地震の時は、災害にあった範囲が比較的狭かったことで、集中して復興の力をかけられたし、神戸の西も東も大消費地があり道路さへ確保できれば物資の搬入が容易だったのと、もともと神戸の西側は物流の一大集積地ということもあり、物流のロジが確率されていたようで1週間後には物資は流通し始めていた。ダイエーなんか3日後には、怪しげな輸入物のペットボトル入りの水が店頭に山積み、瀬戸物の器が山積み、水を貯めるポリ容器が山積みになっていたのには苦笑いした。
今度の震災は津波の被害地域が数百キロと範囲が広く、壊滅状態になった神戸の長田区が数十箇所あるようなもの。復興の力のかけ方も一箇所集中とは異なり拡散した内容になると思うと辛い。一層のこと元の場所は捨てて新しい場所に新しい町をと考えてしまう。その方が復興は早い。
で、今回の震源は3箇所で、その後も甲信越地方で2回は地震が起こっているのだが、フォッサマグナと中央構造線は異常ないのだろうか? 紀伊半島沖は大丈夫なんだろうか?
計画停電という戦後生まれの日本人が経験したことが無い状況が始まった上に、何か積み重なることになると・・・。
心配だ。
<2011/3/15 23:13追記>
今度は甲府で地震!震度6。
これは余震?
それとも別?
関連あり?
東海、東南海、南海地震、どれも勘弁!