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ドイツ宣教師の見た明治社会 - カール ムンチンガー(新人物往来社)

ドイツ宣教師の見た明治社会
カール ムンチンガー
新人物往来社

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昭和62年7月31日初版 新人物往来社

訳者は生熊文。昭和51年東京大学教養学部卒。昭和53年東京大学大学院修士課程修了。国際関係論専攻。昭和50年から51年にかけてミュンヘン大学留学。

"Die Japaner Carl Munzinger Berlin 1898" ライン河畔にある町で訳者が古本屋でみつけた。第一章から第八章の訳(第十二章までもとの本にはあった)。

著者のカール ムンチンガーは1864年7月11日プファルツ地方クヴィルンバハ ワイン醸造所の経営者の子として生まれる。

プロテスタントドイツ普及福音教会宣教師として1890年2月に東京へ。1896年に離日(この本では1889年まで日本にいたとなっている)。日本語に堪能。説教も日本語で行った。

1896年から1900年ザウセンハイムの牧師。この本はこの時に書かれた。
1901年から1911年 ザールブリュッケンの牧師
1910年から17年 ドイツ普及福音教会会長
1918年 ハイデルベルグ大学より神学学士号
1937年10月21日 ハイデルベルグで死去

以下メモ

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p67
今では不毛の朝鮮

p68
「外国の独創性に開放的」
「自分のものにする」
「盲目的な模倣者や崇拝者ではない」
「日本化する」
「調和する」

↑今日我々日本人が普通に頭に思い描くことのできる日本人像がここに書いてある。

p69
「使えるもの使えないものを鋭く区別し」
「全てを検査し、最善のものを取る」

p70

・・・インド・ゲルマン民族の深い内面性もドイツ民族の甘く非現実的な空想も・・・

↑ゲルマンとドイツは別?

p132
ある敬虔なスコットランド人は、日本人のご機嫌を取ろうというのか、日本人はかつてアッシリアの捕虜のなかから跡形もなく消えたイスラエルの十の民の子孫だといった

p148
中国人には故郷があって、そこにとても執着する。しかし故国はない。中華帝国自体、多くの異なった民族から成るれき岩の様なもので、辮髪をもってしても異なった要素を結びつけることができないのだ。王座についていえるものは大衆に何の関係もない。むしろ力ずくでのし上がってきたような王朝だ。こうなると「王と祖国のために」という古い諺も意味がなくなり、そのために血も命も捧げるなど孔子も望んだとは思えない。しかし日本人は違う。たったひとつの例からそれがわかるだろう。1894年10月つまり日清戦争の最中に、私は大阪に伝道旅行に行く機会があった。ある朝、私が泊まっていた和洋折衷の宿舎から出たところ、道が人でぎっしり埋まっていて、とても通れそうもなかったことがあった。巡査にどうしたのかと尋ねると、中国人捕虜の一団が駅からやってくるところだ、と丁寧に教えてくれた。今度の戦いで約千人の中国人が捕虜になり、これから日本の大都市に分れて連れていかれるのだ。大阪には約160人ほど来るということだった。さあ私も日本につくその最初の捕虜に好奇心をかられた。そこで早速道端に並んだのだが、何千人もの日本人の中にヨーロッパ人は一人だけ。それに政治的に激動の時代でもあった。しかし何事もなかった。せいぜい人が好奇の目で私を見つめたくらいだった。一時間ほど経った頃、遠くにその一団がやってくるのが見えた。捕虜の前に両側には、弾を込めた銃を持つ日本の歩兵、外見はほとんどプロイセンの兵士のようだ。後ろには騎兵が続いていたが、こちらはフランス風の軍服であった。

捕虜はその間にいた。

それは同情を起こさずにはいられない光景だった。十五歳から六十歳までの人々の半分は子供で半分は髪の白い老人で栄養状態も悪く、ひどい身なりであった。何人かは手で頭をおおい、他のものは地面の方を向いていた。辺りを見回す勇気があったのはわずか数人だった。捕虜はひどく不安であった。ここに連れてこられたのは、民衆の笑い物になるために残酷な殺され方をするのだ、と思っていたのだ。中国人はそうやって日本の捕虜をさっさと殺していたのだから。彼らは抑留期間中良い生活ができること、ほとんどの者には今までの生活よりずっと良い生活が待っていることなど、この時は予想だにしていなかったに違いない。

p150
この捕虜を道端の日本人は明らかに誇らしい顔で見つめていたが、真面目に静かであった。この光景に東アジアの状況が見える。一方には中国人がぼんやりと鈍感でいる。個人としては勤勉で価値があるが、全体または国家としては骨の髄に至るまで、腐朽している。兵士や愛国者としてはゼロ。民族としては老人のように敗北に瀕している。反対側には日本人がいる。その力を信じて真面目に落ちついて、兵士としてはたくましく気概があり、規律正しい。民族としては青年のように飛躍しようとしており、もっと優れた未来を目指しているのだ。もし日本人がなんらかの分野で統率するような使命を受けているとしたら、それは政治の分野である。人間の予想が神の摂理のなかでもまだ有効ならば、遠い将来もニッポンの沿岸には白地に赤い日本の旗が翻っているだろう。

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(2007年 西図書館)
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