アルツハイマーと診断されて

母が、アルツハイマーと診断され、一瞬「目の前が真っ暗」に。でも、しっかい受け止めて進んでいきたいと思います。

アルツハイマーと診断されるまで 7 

2008-08-31 00:03:18 | アルツハイマーと診断されるまで
2008年6月・7月頃には、

自分や私のお茶碗・箸 などの区別がつかなくなりました。
 面倒だと、割り箸を使っていました。

ティーソーサーに、ポテトサラダがのっていることもありました。

味噌汁を作ると、水分が半分になるくらい煮込んでしまったり・・・。

洗濯物を区別してタンスにしまえないことが目立つようになりました。

本当に、不思議な行動が目に付き、気になるようになっていきました。


それでも、うつ病からくるものだと思っていました。
認知症?・・・と思う気持ちを打ち消して、気付かないふりをしていました。

そして、8月の入院になります。

アルツハイマーと診断されるまで 6 : お金の使い方

2008-08-29 18:35:20 | アルツハイマーと診断されるまで
祖母が亡くなって1ヶ月後くらいに、
 母の保険の掛け金が振り込まれていないという督促状が届いていました。

母に聞くと、「知らない」と、
 保険をやっていることさえ覚えていませんでした。

渋る母から預金通帳を借り、見てみると、
 昨年からお金が入っていません。
とりあえず残っていたお金で何ヶ月かは落ちていましたが、
 足らなくなり落ちなくなっていたのです。

その通帳は私が管理することにしました。

そして1ヵ月後の4月、母がお金をおろそうとATMに行ったところ、
 暗証番号を忘れてしまったらしくお金がおりませんでした。
一緒に銀行に行き、暗証番号を変え、また使えるようにしましたが、
 そのとき、母は、少しはしっかりしていたようで、
「忘れやすいから、これからは小豆がこの通帳を預かっていて欲しい」と。


しかし、その後、母は、妹に
 「私が、寝ているうちに小豆が通帳を持っていったから自分のお金が使えない。」
 と、訴えたそうです。

妹から「通帳くらい返してあげたら」と、電話をもらって分かりました。

「・・・・・。」
  がっかりです。
  本当に、こんなことってあるんだなぁ。と思いました。
妹には、いきさつを話し、理解してもらいました。

それから半月もしない頃、
 母から妹に電話があったそうです。
「友だちがお金を貸して欲しいって言うから5万円貸して。」と。

妹は、とにかく仕度して1時間後くらいに母の元に着たところ、
 「あれ、Tちゃん、どうしたの?
  今日は、何かあったの?」と。
母は、電話をしたことも忘れていました。

そこに私が帰宅したので、妹が今日来た理由を教えてくれました。

二人で相談し、
私は今回のお金の事は知らないふりをすることにしました。
とりあえず母には、妹から
 「お母さんが5千円友だちに貸すって言うから持ってきたんだよ。」
   と、言ってもらい様子をみました。
すると、母は
 「そうだった。5千円貸すんだった」と、そのお金を受け取りました。
   もちろん そのお金は、私が妹に渡したお金です。

本当のところ、友だちに貸すのか、自分が使いたいのか分かないままでした。

次第に、母のお金の使い方は荒くなり、
  渡すと渡しただけ使うようになっていきました。




アルツハイマーと診断されるまで 5 : 祖母の入院

2008-08-24 01:00:12 | アルツハイマーと診断されるまで
2007年12月の下旬、祖母(母の実母)が肺炎で入院しました。

98歳という年齢なので、親戚一同、
 退院できないであろうことを覚悟しました。
でも、今までも、不死身のように復活してきた祖母を思うと、
 もしかしたら今回も…という望みを私はもっていました。

母は、最初は病院にいきましたが、
 その後は、何かと理由をつけて行きたがりませんでした。

何故・・・?
 と思いつつ、私が毎日病院に出かけました。
祖母の汚したタオル・寝巻き等も全て私が洗い、
 祖母の入院に関してのことは、私が伯母と行うことになりました。

入院してちょうど2ヵ月後、2008年2月に祖母は亡くなりました。

母は、呆然としてしまい、「不安だから、小豆(私)に全部まかせる」と言い、
 葬儀についても私と伯母で取り仕切り、
  私が喪主を務めました。


通夜の晩、
  「私が、死にたかった」と、泣く母を従姉たちがなぐさめ付き添ってくれました。
  私は、喪主だったので式場を離れるわけにはいかなかったので・・・。

告別式の朝には、
 私が喪服を用意したおいたのに、
  自分で黒い服を何枚か出し、どれとどれを合わせたら良いかと、
  1時間位悩んだそうです。
 付き添ってくれた従姉が、困って私に電話をくれました。

それでも、なんとか無事葬儀を終えました。

その後、母が「私には、葬儀のことを何の相談も無く勝手に小豆が決めた」
 と、従姉たちに怒っているのを聞き、
     ・・・・・本当に、力が抜けました。

被害妄想で怒っている母を初めて見たのが、このときでした。

その後、驚くほどの速さで、母は変わっていきました。

アルツハイマーと診断されるまで 4 : 嘘・・・?

2008-08-16 12:31:42 | アルツハイマーと診断されるまで
嘘…? それとも、本当に忘れたの?

母は、都合が悪い事は、隠したり、嘘をつくようになりました。
 嘘をつくと思っていました。

今までは、「あれ、そうだった?」とか、
     「ごめん、ごめん。・・・・」と、素直に認めたり、
     「仕方ないでしょ」と、開き直ったり。
  それでも、認めてはいました。

しかし、秋をすぎ、冬になるころには、
 かなりそんな傾向…がでてきたと思います。

多分、自分でも本当に覚えていなかったと思います。(今、冷静に考えれば)

でも、私の「本当に知らないの?」と言わんばかりの態度に
  先手を打って、適当にごまかすようになっていったのも事実ではと思います。

私に、責められたくなかった。
自分は、まだまだしっかりしていると思われたかった。
  のだと思います。

そんな繰りかえしをしながら、
  『本当に、鬱?
   鬱って、こんななの?
   本当に、認知じゃないの』と、思うこともありましたが、
《認知》という病気には、かかわりたくない
  母が、そんな病気のはずがない という思いで、
    うつ病なんだったら・・・・・
      治る病気なら、早く治ってよ!!と、
また、気持ちが荒んでいくのでした。

こんなんじゃダメ!!と、立ち直って、
  また、落ち込んで その繰り返し。

どんな人でも、人生、波がある。
  家庭の数だけ、人の数だけ悩みはある。
そう自分に言い聞かせ続けました


アルツハイマーと診断されるまで 3 : 日常

2008-08-15 19:13:19 | アルツハイマーと診断されるまで
母が、退院してから、特に様子が変わったとは思われず、
  改善より、むしろ・・・・・・。


自分の親が、うつ病になっているというショックを抱えつつ、
 できるだけ、接し方に気を遣いました。

とはいえ、実の親子、我慢にも限界がきます。
  母のすることが、情けなくて、見ているのが辛くて、
    そんな気持ちを、怒りで母にぶつけてしまうこともありました。

 「糖尿病なのに、また、菓子パンなんか食べて!!」
 「どれだけ、ゴミ袋を買い置きするつもりなの!!」
 「タオル2枚くらいで、洗濯機をまわすのはやめて!!」
 「今日一日、何してたの!!」
 「何回、同じこと言えば良いの!!」

なんて言っていました。

母の落ち込んだ顔を見て、さらに、私も落ち込みます。
 どうして、こんなこと言ってしまうんだろう…。

そして、その都度、今度はちゃんと優しく話そうと思うのでした。

アルツハイマーと診断されるまで 2 : 介護認定

2008-08-15 09:59:31 | アルツハイマーと診断されるまで
母が、8月中旬に退院してから、
介護認定を取るために市役所に問い合わせをしました。

私の仕事の都合とかあり、
市役所の係りの方と面接をしたのは、9月の下旬でした。

あらかじめ、市役所の方には、
母は、話がずれることがあるので、娘である私とまず二人で面接をしてほしいことを伝えておきました。

係りの方には、
母にとって困ること・私にとって困ることを話しました。
介護認定がとれないといけないので、かなりの熱弁?だったかもしれません。


母は、自分の身の回りのこと…トイレ・入浴・着替え・買い物 等…は、何とか自立しています。
足腰もしっかりしています。

当時困っていたのは、
 ☆物忘れが激しいこと
   ・糖尿病の薬の飲み忘れ
   ・インシュリンの打ち忘れ
     →このせいで、数値がまた悪化
   ・買い物時に同じものを毎回買ってくる
   (その当時、椎茸と人参が毎日買ってありました。
    親戚や妹に分けてもあまるので、私の職場にも持って行きました。
    今でも、そうですが、何日か毎にブームがあり、
    ゴミ袋だったり、カレールーだったり、じゃがいもだったり…)

 ☆左耳が聞こえないので、適当に会話をしていい加減に返事をしてしまう。

 ☆電話の応対ができないのに、電話に出てしまう。
 ☆かかってきた電話での通販…、しかも 怪しいものばかり。
  15000円も出して買ったカニ、食べるところは殆どなし。等

 ☆知人との約束を忘れる

 ☆不都合なことがあると「死んだ方がいい」と言う。等の内容を話したと思います。

母には、「今、65歳以上の人に健康調査してみえるらしいから・・・」
と、役所の方と対面させ、面接しました。

役所の方も心得ておられ、
母に適当な質問をしながら、用紙にチェックするふりをしてみえました。

私との面接30分。
母との面接3分でした。


認定の通知が届いたのは、10月の20日過ぎだったと思います。
やはり、身の回りのことが一通りできるので、要支援でした。
でも、「2」がいただけました。
これで、いつでも、ディサービスやヘルパーさんの訪問を受けられます。


しかし、そのことを告げるとパニックになり、
 泣き叫ぶので…秘かなる「いざというときの保険」としておくことにしました。
   

アルツハイマーと診断されるまで 1 : 2007.7 老人性うつ病の診断

2008-08-14 23:22:43 | アルツハイマーと診断されるまで
2007年7月、糖尿病の数値が悪く入院。
糖尿病での入院は、これで3度目でした。

入院1週間後に、先生から
「気になることがあるので、精神化の診察・検査をしたいのですが…。」と。

検査の結果、
「能の状態もきれいですし、
 ペーパーテストでも問題はありませんから認知症ではありません。
 ただ、診察時にみせるうつろな表情やお話の内容から、
 老人性のうつ病であろうと思われます。
 でも、認知症は治らない病気ですが、うつ病は治る病気ですから、
 その点では本当に良かったです。
 頑張りましょう。」と。

それでも、母がうつ病になるなんて、やはりショックでした。

物忘れが気にはなっていましたが、
昔からそそっかしかったので、年をとるとやはりね・・・、と思っていました。

母が、うつ病になった背景は、
 ・当時97歳だった祖母(母の実母)を施設いいれた罪悪感
  (足を骨折してから介護サービスの助けをかりながら、
   在宅介護を3年程していましたが、介護疲れで母の糖尿病が悪化。
   やむを得ず入所。)
 ・祖母の件に関して、近所の実姉2人の協力が思うように得られなかったこと
  (母は、5人姉妹の4番目)
などがメインですが、まだまだ、私のこと、妹のこと等色々原因はあったと思われます。

このとき、すでに、先生からは、
「介護マンションにでも入所されて、いろいろなことから開放されたらどうですか」と。

しかし、この介護マンション、月に最低でも16~18万円。
色々考えたら、25万円くらいの出す気でいないときっと難しいです。
とてもじゃないけれど、金銭的に無理です。
普通の一般家庭では、こういった所には入所できないと思います。
まして、家は、母と二人です。

それで、
「介護のサービスを受けたらどうでしょう。」
ということになり、
母は、それも嫌がりましたが、
とりあえず介護認定だけは受けることになりました。
この先、もし、急に利用したいときがあってもすぐに使えるものではありません。
その時のために、今から準備です。
自分の身の回りの事は自分でできる母は、要支援2でした。

ヘルパーさんに来てもらったり、ディサービスに行くのは、
車椅子になった高齢の祖母が利用していたサービスなので、
・・・なんで、元気な私が、そんなところに行ったり、
   他人に来て貰って、世話をされなきゃいけないの?・・・
という気持ちのようでした。

そんなわけで、最初は、2週間の入院予定でしたが、
先生の配慮で、5週間入院しました。

何日かすると、
同じ病室の方と、仲良くなり楽しそうでした。
糖尿病の方でしたので、「お互い頑張ろうね」なんていいながら、
退院しました。



アルツハイマー型認知症

2008-08-12 21:09:57 | アルツハイマー
今日、病院で担当の先生からお話を聞きました。

病名は、アルツハイマー型認知症です。

普通の認知症は、必ず悪化するということはないそうです。

しかし、母は、アルツハイマー型なので、必ず徐々に悪化していく。
その下降線が急に下がるのか、ゆるやかなのか、それは今のところ分からないそうです。

最近、アルツハイマーに効く薬がでましたが、その薬は、消極的な症状(いつも黙ったまま話をしない・出かけない)の方には、元気が出て良いそうですが、母のように、まだ、時々は、お買い物に行ったり、近所の人と話をしたりする人には、返って悪化をさせてしまうそうです。
薬のことを調べ、少し、気持ちが楽になっていたのですが、がっかりしました。
かなり落ち込みました。


先生は、見守るしかないとおっしゃいました。
今の医学では、アルツハイマーは、何もかも解明されていない病気なので、これをしたら良いとか悪いとか、はっきりした事をいうことができないそうです。

将来的には、施設に入所しなければならないでしょう。
  これは、昨年、老人性の鬱と診断されたときにも言われましたが、
  今回、より真実味をおびた重い言葉に聞こえました。

症状が進んでいったら、また、考えましょう。
  と言われました。

「・・・」返す言葉を失いました。

私は母(69歳)と二人暮らし。
 だから、先生も私の心配をしてくださいました。

これからのことは、正直いって想像がつきません。

現在、とことん困ることもなく、ちょっとボケが酷くなったなあという認識だったので、アルツハイマーといわれても、それを母に当てはめることができません。

テレビや映画で見るアルツハイマーは、
  かなり酷く、人格が破壊されたものばかりです。
その症状を、いずれは母も・・・考えると・・・というか、考えられません。

来週には、母が退院してきます。

    ・・・そのとき、私はどうするのだろう。

これから始まる、未知の世界にしっかり耐えられるよう、
  …私は、腰痛がひどく、手術もしています。
   だから共倒れにならないように、
 今のうちに、心も身体も整えておきたいと思います



母がアルツハイマーと診断されました

2008-08-11 21:56:06 | アルツハイマー
母は、先週から入院しています。
糖尿病の治療のためです。

昨年の夏、老人性のうつ病と診断され、
 今年になってから 様子がかなり変わってきました。

今回、入院の際に合わせて、精神科の診察もお願いしたところ、
今日、先生から電話連絡があり、
  「お母さんの症状は、もう鬱ではなく、アルツハイマーであることが分かりました」と。
一瞬、頭が真っ白。
   その後、目の前が真っ暗。

今後、どうしたら良いのか。
ただただ、不安になるだけ。

正直、怖くて仕方がありません。
 その気持ちを、ここで吐き出し、
   また、経過を綴っていけたらと思っています。

病院の力をかりながら、
  母も私も無理せずにこれから 頑張っていきたいと思います。

私が、今、クヨクヨしても何も始まりません。
 返って、事態は悪化するだけ。

明日、詳しい話を聞きに病院に行きます。
 それまでに、しっかり立ち直って、しっかり話を聞いてきたいと思います