サンマロからバスで約40分位時間がかかったでしょうか、
観光地らしいレストラン街を通り抜けると視界がよくなりモン・サン・ミッシェルの姿が現れた。
バスから降り写真を撮る。
全体像はここからが良いと言うことで特別に停車してくれた。
手前には放牧した羊たちが牧草を食べていた。
羊たちに海草を食べさせた肉がひじょうに柔らかく旨いと聞いたことがある。
また塩はパリの有名レストランでも使用中との事で1袋買った。
モン・サン・ミッシェルは満潮時を見たかったが、残念!そこまで余裕の時間はない。
潮の満ち引きはの差は15m以上ある。
湾の南東部に位置する修道院が築かれた岩で出来た小島はかつては満ち潮の時、海に浮かび、引き潮の時は砂地と陸地がつながっていた。
もっとも大きな潮が押し寄せるのは満月と新月の28~36時間後で、引き潮で18㎞まで引いた潮がいっきに押し寄せる。
かつての巡礼者の多くが命を落としたという。
「モン・サン・ミッシェルに行くなら、遺書を置いて行け」という言い伝えがあった。=参照wikipedia=
(写真左)オーペル司教が夢の中で大天使ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とお告げを受けた構図のレリーフ。
(写真右)聖堂の鐘楼、先頭はよく見えないが金色に輝くサンミシッシェル。
「王の門」 入り口(写真左)橋を持ち上げる鎖が、また敵がきたら閉じる落とし格子が見える。(写真右)内側の敷地内から。
「大聖堂」 ロマネスク様式で聖堂が明るいのは高窓が広いため。
天井はノルマンディー地方の伝統に従って羽目板を付けただけで軽い(船の底と同じ)
迷路のような部屋を回って(写真左)「貴賓室」ベンチが置いている。
(写真右)「回廊」中庭を円柱で囲み中世の次元へ祈りと瞑想、読書をする場所。
完全にロマネスク様式ですね。
階段を上がって出てきた所は「西のテラス」岩肌を利用して建てていることが分かる。
周りの海は引き潮だったので干潟のよう。
西のテラスのスペースは広く、昔、石を運んで働い人の数字が刻まれていた。
自分の番号の数だけ賃金がもらえた。(写真右)は今も残っている修道士の礼拝堂。
(写真左)「АΩ」は(ゆりかごから墓場まで)の意味。
(写真右)「旧修道士墓地の大車輪」 人力で下から荷物を運んだ。
上から見た駐車場。 (写真右)引き潮なので列をなして歩いている人が見えた。
モン・サン・ミッシェルは日本でもたくさんの情報誌があり、
特別に画像を載せる事もなかったのだが行った記念にと思い、
また日本語の上手なフランス人のガイドさんがあまりにも熱心に丁寧に説明されたので、
ついつい枚数が増えてしまった。
(その画像はほとんど未掲載、半分以上は頭がゴチャゴチャになっているけど)
最後にガイドさんの足↑ ではなくて、
この岩盤にモン・サン・ミッシェルが900年の長き歴史の中、幾層にもわたり建築したかを説明している画像。
代替橋の工事現場(モン・サン・ミッシェルの入り口側)
長年潮流をせき止めていたため2mもの砂が堆積し、急速な陸地化が島の周囲で進行している。
かつての姿を取り戻すため、2009年には地続きの道路は取り壊され、2010年には代替となる橋がかけられる。=参照wikipedia=
TBS <THE 世界遺産> モン・サン・ミッシェルとその湾 第400回2004年5月23日放映