第3回
平戸紀行中、最大の収穫は「ジャガタラ文」1通を全文翻刻していることである。筆者によると、その1通は平戸の木引田町の藤川某の所蔵であった。藤川氏が不在のため閲覧は殆ど絶望と思われたが鹿児島耕道師から門徒総代に相談してもらい見ることが出来た。多加羅生は次のように解説している。
「予が始めて見るを得たる『ジャガタラ文』は左の如く同地判田五右衛門なる者の娘、宗名『コルネリヤ』と云へるが、其の兄夫婦へ寄せ来れる者なるが、手跡も左迄に拙ならず、当時の女の物としては先ず感心なものと云ふべし。事は寛文年間(今より凡そ二百四五十年前)ならんと思はる。」
なおこの「ジャガタラ文」は中央公論社の『日本の歴史14鎖国』に岩生成一氏による翻刻と解説がある。
平戸紀行中、最大の収穫は「ジャガタラ文」1通を全文翻刻していることである。筆者によると、その1通は平戸の木引田町の藤川某の所蔵であった。藤川氏が不在のため閲覧は殆ど絶望と思われたが鹿児島耕道師から門徒総代に相談してもらい見ることが出来た。多加羅生は次のように解説している。
「予が始めて見るを得たる『ジャガタラ文』は左の如く同地判田五右衛門なる者の娘、宗名『コルネリヤ』と云へるが、其の兄夫婦へ寄せ来れる者なるが、手跡も左迄に拙ならず、当時の女の物としては先ず感心なものと云ふべし。事は寛文年間(今より凡そ二百四五十年前)ならんと思はる。」
なおこの「ジャガタラ文」は中央公論社の『日本の歴史14鎖国』に岩生成一氏による翻刻と解説がある。