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書・人逍遥

日々考えたこと、読んだ本、印象に残った出来事などについて。

研究役立ち情報

2007-01-28 05:52:20 | 研究生活
今日は土曜日でしたが、人文科学系のPhD学生向けの文献データベースなどの活用についてのワークショップがあり、指導教授から行けと言われていたので行ってきました。このワークショップは主にpart-timeの学生向けだったこともあり、何人かのpart-timeのPhD学生と知り合いました。神学を研究しているおばあちゃん、音楽学(musicology)を学ぶ高校の先生、働きながらイタリア政治を専攻する女性など、バラエティに富んでいて彼らとの会話は興味深いものがありました。英国はfull-time(FT)とpart-time(PT)を選択できるようになっており、FTの場合は最短3年、PTは5年かけてPhD論文に取り組むことになります。最近日本でも増えてきた社会人大学院のような感覚に近いともいえますが、日本の場合はなかなか人文科学系までカバーしていないし、修士だけというところが多いのではないかと思いますが、英国の場合は、大部分の専攻にFTとPTがあるため、前述のようなことも可能なわけです。合計の学費はそれほど変わらない上に、働きながら学べるというのは、経済的な条件をクリアするうえでも、この制度はメリットになるでしょう。

さて、表題の役立ち情報ですが、私は今回のワークショップで初めてEndnoteなる文献管理ソフトを知りました。論文を書いたことのある人ならば誰しもが思うと思いますが、文献の引用、脚注の作成、Bibliographyの作成ほど、本当に面倒極まりなく、余計な時間を食うものはないような気がします。しかし、このソフトを使うと、ネット上の膨大な量の文献データベースと連動して文献目録をいちいち手で打ち込むことなく作成でき、それをもとに、ワードと連動してワード上でその文献目録を使って引用、脚注をクリック一つで作成でき、その上、その論文で引用した文献のBibliographyまで自動的に作れてしまうのです。もう知っている方は何だ今更と思うでしょうが、修論のときに必死にエクセルで文献目録を作り、脚注やBiblio作りもカット&ペーストでやっていた私にとっては、驚きでした。ただ問題は、学校のPCでしか使えず、自分のノートに自分で導入するとなると、2万近くしてしまうのが難点ですが…。しかしこれは、それだけ出そうかどうか真剣に考えてしまうほど、便利です。

Endnote以外にもいろいろな種類の文献管理ソフトがあり(→参考)、もっと廉価なものもあるようです。しかし、メジャーなものでは外国で開発されたものが大半を占め、日本語対応に若干難があるものが多いようです。このことからちょっと思うのは、このようなアーカイブやリファレンスという分野では、欧米との差はやはりかなり大きいと痛感します。欧米の文献データベースなどを検索していても、19世紀のジャーナルまで既にPDF化されているし、ネットさえあればいつでもどこからでも閲覧できるようになっています。また、市営のありふれた古い博物館でも、例えば昆虫の標本なんかがきれいに整理されていて、調べたい人がいつでも見れるようになっており、こういうことが得意なのかな、と思わせるものがあります。

研究している方は是非、導入を一考されてもいいかも知れませんよ!

日英の博士課程の違い

2007-01-23 02:24:09 | 研究生活
今日は2回目の指導教授とのアポイントメントでした。前回提出した論文計画に手を加えたものを事前にメールで送り、それについてのコメントを頂きました。英語の聞き取りにかなり苦労しつつ、一生懸命耳を澄ましました。専門的な話になると、まだまだ厳しいな…と軽く凹みつつ。

私の論文は、一言で言うと、コリングウッドの実在論批判の持つ意味、というようなテーマなのですが、その批判対象である実在論について、具体的にどのようなものなのかについて短いエッセーを2週間後の次回までに書いてきて、との課題を頂きました。これも当然PhD論文の一部になりうるのですが、こちらの博士課程は、とにかく書かせる、というのが方針のようです。2週間毎の指導教授とのミーティングでは、必ず書いたものを土台にして指導がなされます。そして、これが3年間、PhD論文の完成まで延々と繰り返されるわけです。確かに実際、書いてみないことには相手に何を考えているのかまとまった形で伝えるのは難しいし、空手でいろいろしゃべっていても、あまり効率がよくないのは確かです。そして何よりも、2週間毎に何をやっているのかはっきりした形で報告しなければならないというルーティンを繰り返すわけなので、気持ちの張り詰め具合が違うように感じます。このことは知ってはいましたが、実際に徹底しているな、と感じました。また、論文審査に関しても、指導教授は審査できず、必ず外部の研究者を入れた直接指導を受けなかった人びとによって審査がなされます。などなど、とにかく細部にわたり厳密に規定がはっきりしていて、「よく整備されているな」という印象です。

日本の博士課程というのは、まあ、大学にもよるのでしょうが、人文系の場合、三年間くらいは学会発表、論文投稿をこなして業績を積み上げ、しかるのちに4、5年目、あるいはもっとあとになって論文執筆、という流れが一般的だと思いますが、これと比較すると、随分違うなあと思います。『博論』の持つ意味が日英では随分と違うこともあるので、単純にどちらが良いとかは言えませんが、自分には英国式の方が合っているな、という感想を抱いております。日本の博士という学位は、もともと「第一級の学者」にのみ与えられるものという認識が強かったと聞きます。最近は随分変わってきて、特に理系・社会科学系では「一人前の研究者としての資格」という米国的認識が広まってきたようですが、人文系では依然として旧来の認識で博士号を考えているところもあり、やはりまだ変化の過渡期にあるという気がします。

どちらがいいのかというのは難しい問題ですが、とにもかくにも、この過渡期であるが故の、認識の違いが生み出す悲劇が起こらなければいいな、という思いです。