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書・人逍遥

日々考えたこと、読んだ本、印象に残った出来事などについて。

分析哲学の源流とコリングウッドと

2008-09-16 06:05:59 | 読書録
(※タイトル欄に文字数が入らなかったので…)

P. Hylton, Russell, Idealism, and the Emergence of Analytic Philosophy, Clarendon Press, Oxford, 1990

一連のコンテクスト・サーベイの第3弾、ということでここのところ読んでいたのがこの本です。Candlish本から始まって、20世紀初頭の分析哲学の起源というトピックはなかなか興味をそそられ、ちょっとはまってる感もあります(苦笑)

Bertrand Russell Societyの1991年のBook Awardを受賞したこの本は、ラッセルが対決し論駁を試みたイギリス観念論をその始祖T. H. Greenまで遡りその哲学を素描するところから始める(1章)。次に、いわばイギリス観念論のスタンダードとも言うべきグリーンとの対照のもとに、ラッセル・ムーアらが直接対決したBradleyの観念論を概説する(2章)。その後は、ラッセルの観念論時代(3章)、ラッセル・ムーアの形而上学的基礎(4章)、という感じで論じ進めつつ、その後はラッセルにおける分析哲学の発展を描くという形で構成されている。私の関心の中心はラッセルの分析哲学そのものというよりもその発生過程でラッセルらがどのように観念論と対決したのかという問題であるので、上記の4章までに論点は集中している。

私の関心から論点をまとめると・・・
(1)ブラッドリーは、主著Appearance and Reality(1893)を出版した1890年代にとりわけイギリス哲学界においては大きな影響力を持ち、ラッセル・ムーアらも当初、賞賛と合意を持ってブラッドリーの哲学を学んだ。
(2)しかし、RealityのOnenessを強調する一元論を志向していたはずの彼の哲学体系は、結局thoughtとrealityの二元論へと逆戻りすることを余儀なくされる問題・矛盾を孕んでいた。
(3)このようなブラッドリーの観念論に対して、Mooreとそれにしたがったラッセルは、著者が名づけるところのPlatonic Atomismという主張をすることによって、観念論と決別しようとした。
(4)Platonic Atomismとは、
①Relationのrealな性質を主張するのみならず、relationの客観性とそのmindからの完全なる独立性を主張。
②act of judgmentとobject of judgmentの区別(→(mental)actsと(objective, non-mental )objectsの区別)
③真・偽の完全な区別。真理の程度(degree of truth)は一切認めない。
※ラッセルとムーアは、この二元論を、knowledge, belief, thought, perception, imaginationなどさまざまなphaseに適用した。
④whole, universalといった、objectやrelationという構成要素の合計以外の全体概念の否定。
という主張であり、特に観念論との論争の中心的問題は、relationがrealか否かという問題だった。
(5)しかしながら、ある意味でブラッドリー的観念論へのbacklash的な色彩を帯びたラッセル-ムーアのPlatonic Atomismは、
①一般的言明の不可能性、
②原子としてobjectsとrelationはそのように結びついて命題を形成するのか?
などといった困難を孕んでいた。
(6)このような困難を克服するためのラッセルの以後の取り組みが、現在の分析哲学において慣れ親しまれた諸観念を生んでいくことになる。

という感じになる。

コリングウッドとの関わりで興味深い点としては、
(1)ラッセル-ムーアのPlatonic Atomismは、別の言い方をすると、naive realismということもできそうで、コリングウッドが激しく批判したオックスフォードの実在論者たちの主張とも重なる。
(2)Hyltonもやはり、ラッセルやムーアによる観念論批判のポイントが、relation概念がrealか否かという問題に集約されると指摘しており、さらには、彼らのPlatonic Atomismの困難もまたこの点に生じるわけであり、この問題が当時の哲学的議論の大きなissueの一つだったことは間違いなさそうである。(これは、Candlishとも通じている)
(3)コリングウッドは、通常は観念論者とみなされるブラッドリーをも、二元論を前提しているという意味で'realism'とみなすわけであるが、これはブラッドリー哲学の、一元論を志向しながらも二元論に帰着するという矛盾を突いたものといえ、一見奇妙なコリングウッドのrealistというブラッドリーへのラベリングは、その限りでラッセルらと問題意識を共有しているともいえまいか?
(4)しかし、コリングウッドは、ブラッドリーの矛盾に対するラッセルらのPlatonic Atomismには同意できなかった。ゆえに、それに代わる理論として、歴史を大きなヒントとして独自の出口戦略を構想したとはいえないだろうか?
                                *                     *                        *
最近の読書録は、ほぼ自分のためのノートのつもりで書いていますので、つまらなくてすみません。しかしこうして、今更ながら20世紀初頭の哲学史を勉強していると、20世紀の英米哲学を席巻し、いまやスタンダードとして君臨している感のある分析的な哲学潮流の源流に、若きコリングウッドもまさに居合わせ、彼らとは異なる、マイノリティとして運命付けられることになる道を歩んでいったことが浮かび上がってきます。

このような分析哲学の歴史の研究は、じつは1990年代からやっと本格化したというのが実情で、Candlishのような、20世紀における英国の観念論の再評価という仕事は、本当につい最近の関心であるといえます。HyltonもCandlishも、20世紀に余りにも分析哲学が標準化し、大学にもよりますが、分析哲学にあらずんば哲学にあらずという風潮まで生み出した、分析哲学偏重への反省を加えようとしています。また、当初はブラッドリー観念論の抽象性の分かりづらさを忌避し、明晰な哲学を目指して始まったはずの分析哲学が、逆に一般的にわかりづらい記号などを駆使した、極度にテクニカルなものになってしまったという反省も意図しているようです。いずれにしても、このような再評価の勃興の中で、20世紀前半の英国にあって頑なに主流の哲学を拒否し、独自のユニークな哲学を構想しようとしたコリングウッドの存在は、このような文脈からも、一顧の価値があるのではないかと思われます。

J. Patrick, Magdalen Metaphysicals, 1985

2008-08-25 00:53:27 | 読書録
先日も読書録で書いたRusell/Bradley Disputeに関連して、ここのところコリングッドの哲学史的位置づけについて思考を重ねていますが、次に読んだ本がこの本です。著者がCollingwood Studiesに投稿した論文の註で見つけて興味を持ったのですが、かなりマニアックで、ウチの図書館にないのは勿論、古本サイトで調べると安くても250ドルはするという代物です。そこで仕方なくBritish Libraryから取り寄せてもらいました。

この本は、20世紀前半のオックスフォード、とりわけMagdalen Collegeに縁のあった観念論的伝統を受け継ぐCollingwood, J. A. Smith, Webb, Lewisという4人に焦点を絞って、Russell, Moore, Ayer, Rlyeといった20世紀分析哲学の勃興の陰で当時オックスフォードを中心とした観念論的伝統を描いたものである。著者の関心を反映して、主に神学・宗教哲学からのアプローチが主ではあるが、各人同士の私的関係や伝記的な部分にまで近づいて論を展開しているので、当時コリングウッドを取り巻いていた知的雰囲気を知るには、得がたい資料である。

私の研究関心からもっとも興味を引いた本書の内容は、当時英国哲学界の大きな論争点のひとつがIdealism/Realismという軸だったことである。これは先のCandlishの本でも言及されてはいるが、ここではさらに細部についてうかがい知ることができる。本書で言及されるIdealism/Realism Disputeを時系列でまとめると次のようになる。

■まず、19世紀後半以来のオックスフォードのグリーン、ケンブリッジのマクタガートといった観念論的伝統、そしてその同時代の代表者としてのF.H.ブラッドリーという土壌が当時の英国哲学界の広範な前提として存在した。

■1890年代
(1)ブラッドリーの個別性を捨象しがちな抽象的体系への不満が、Pringle-Pattisonらの修正主義的な‘personal idealism'の流れをうむ。
(2)ブラッドリー観念論の抽象性への根本的批判として、Cook Wilsonが彼の教師たちの観念論を捨ててRealismへと転向の舵を切る。
■1900年代
1903:ケンブリッジでMooreが‘The Refutation of Idealism'を発表。
1906:ムーアに反駁して観念論の擁護を目指すJoachimの The Nature of Truthが出版。
1908:観念論陣営の主要人物のひとりだったEdward Cairdが死去。その頃にはRealism勢力の台頭は明らかになっていた。
■1910年代
1914:ラッセルが‘Scientific Method in Philosophy’と題してオックスフォードで講演。
1916:コリングウッドの最初の哲学的単行本 Religion and Philosophy出版。ここで彼は、明らかな観念論的枠組みを用いつつも観念論・実在論どちらへのコミットも明言せず、折衷的な不鮮明な立場を取る。

この両者の論争のキーポイント思われる点としては、
(1)ブラッドリー観念論の抽象性、とりわけ個別性の軽視
(2)Moore-Russellの科学主義的哲学観。言い換えると、mindに心理学的・科学的、経験主義的方法でアプローチすることをよしとする哲学観。
(3)(2)に関連して、judgmentの性質をめぐるIdealism/Realism Dispute。(Candlishによればこれがラッセル・ブラッドリー論争の論点だった)

コリングウッドは、以上の3点すべてに関して、Religon and Philosophyで論及している。
(1)コリングウッドにとっても、個別性の確保は重要課題であり、RPでは(後年と比較すると未熟ながら)歴史を、形而上学における個別性の供給源として導入しようと試みている。
(2)心理学の科学主義的アプローチに対して、徹底的に論駁を試み、心理学はmindの研究方法として不適切だと主張。
(3)judgmentについては、ブラッドリーのjudgment概念を心理学が前提するjudgment概念と同一視する。これはrealistな心理学とidealistなブラッドリーがjudgmentに関して共通の前提を持っていたと主張することであり、Candlishの議論とも整合性がよくない。以前の日記でも触れたが、コリングウッドのブラッドリー理解は、コリングウッド研究者の間でもoddな印象をもたれていて、なぜ彼がブラッドリーをこのように理解するのかという問題は、検討を要する。

以上のような感じで、当時の哲学論争とコリングウッドの処女作との論理的関連がおぼろげながら見えてきました。まだまだ整理・明確化を要することは言うまでもありませんが、この調子でさらに哲学史的文脈についての研究を進め、今年中には大幅バージョンアップした第1章を仕上げたいと思うこの頃です。
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ついでに雑感を少々。
最近、戦前の社会思想家河合栄治郎をふと思い出し、改めて調べてみました。彼は「戦闘的自由主義者」とも呼ばれているみたいで、『ファッシズム批判』(そういえば、この本は修士時代の先輩が名著と絶賛されていました)などを著し、当時の軍部政府と対決して東大の職を追われ、著書の発禁処分を受け、終戦を迎えることなく亡くなった人です。彼の弟子たちが戦後、民社党を設立したそうです。ちょっとだけネットで調べてみて分かったことは、彼は1922年頃英国に学び、グリーンの思想に共鳴を受けたのだとか。グリーンをはじめ、19世紀後半にオックスフォードで栄えたBritish Idealism(河合はイギリス理想主義と訳しているみたいだが)は、今日では政治思想的に言えば、保守主義の伝統に属し、ヴィクトリア朝の帝国主義の擁護をしたという批判的評価が強いですが、それに「感銘」を受けた河合が、日本に帰って膨張主義帝国主義的な当時の日本政府と対峙したというのは、興味を惹かれます。
まあ今は、河合の文献を簡単に入手できる状況にもなく、ネットでちょっとサーチして興味を持ったというにすぎませんが、いずれ彼の著作に目を通してみたいとは思いました。           



S. Candlish, The Russell/Bradley Dispute, 2006

2008-08-05 05:49:24 | 読書録
現在進めている私のPhD論文のテーマの舞台設定としてかなり有益だとの指導教授のアドバイスを受けて最近読んでいたのがこの本です。もともとは、Collingwood Studiesの編集者の一人を務める指導教授が、次号のための書評の一つとして投稿されてきた原稿を読んで知ったのが私へのアドバイスへのきっかけだったそうで、ちょうど運よく先月その書評自体の執筆者・ヨーク大のB准教授がカーディフを訪れた際にいろいろ話をしてもらったときも、この本はお勧めだと言われてもいました。
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いわゆる分析哲学の伝統は、20世紀哲学の一大潮流のひとつであり、とりわけ英米圏では時に「分析哲学にあらずば哲学にあらず」というほどの隆盛を未だに誇っている。このことはここ英国でも同様で、大学の哲学科では分析系が圧倒的多数を占め、観念論の伝統は細々と息づいているに過ぎない。しかし、これほどまでに優勢を誇る分析哲学の起源についての哲学史的研究はつい1980年代後半になって本格的に始まったに過ぎず、このことも関係してか、20世紀英米哲学における観念論的伝統の存在はほとんど省みられてこなかった。この本は、そんな分析哲学の起源へ遡及し、分析哲学の始祖の一人であるバートランド・ラッセルと、当時落日を迎えつつあったイギリス観念論の最後の巨人・F.H.ブラッドリーの間の論争に焦点を当てることによって、(著者によれば)不当に無視・軽視されてきた20世紀における観念論の意義についてより公平な再評価を試みた作品である。

著者は、ラッセルが初期の観念論から実在論へと舵を切った1903年頃から1924年のブラッドリーの死まで二人の間で行なわれた論争を、英米哲学における一元論・観念論から多元論・実在論への広範な移行における歴史・哲学的な核心と位置づける。そして、この論争の中心論題としてjudgmentをめぐる議論を抽出する。すなわち、「A is B」という判断をするときに前提となるAとBの間の論理的結合の性質をめぐって、ラッセルは当初、この論理的関係(relation)は命題の本来的属性であるとの立場から、この関係性はrealであると主張するが、一方ブラッドリーはそれに異議を唱えるのである。つまり、この問題の焦点は、「relationはrealかidealか」という実在論/観念論論争にあることになる。

著者は、1900年代から1910年代にかけてのラッセルの著作を丹念に読み込むことにより、ラッセルがブラッドリーとの論争のなかで当初の素朴実在論の修正を余儀なくされ、最終的には1919年、ウィトゲンシュタインの『論考』の影響もあって素朴実在論の完全な断念に追い込まれたことを描き出している。このラッセルの素朴実在論の断念の一因として、著者はfalse judgmentの問題を指摘する。すなわち、relationがrealであるならば、誤った命題における推論もrealだということになってしまうからである。ブラッドリーは、このfalse judgmentの問題に対応するために、当時大方の哲学者がどちらかにコミットしていた真理対応説も妥当説もとらず、真理の程度(degree of truth)を認めることによって独自の真理説を模索したようである。この点で、ブラッドリーが真理妥当説を取っていたという従来の哲学史的常識はステレオタイプでありいかなる文献的根拠もないと著者は断言する。

また、初期ラッセルの素朴実在論のもう一つの問題として著者は、realな命題構成要素と、文法は言語が記述するrealityにいかなる影響も及ぼさないとする彼の文法の透明性の主張との組み合わせは存在論的問題を招来すると指摘する。つまり、日常言語における真実は、けっして言語の記述が現実世界をあるがままに表現しているとは言えないからである。この文法と存在論の問題においても、ラッセルはブラッドリー側の観念論的教義に戻ることを余儀なくされていると指摘するのである。このように、ラッセルが対決を試みていたまさにその観念論への回帰を余儀なくされている点があることを通して著者は、従来の分析哲学vs観念論哲学という20世紀初期の英米哲学の対決図式は、再考されるべきだと示唆するのである。もちろんこれは、あくまでこれまでの図式が余りに単純すぎてブラッドリーらの観念論が過小評価されていたことを再考するべきだという主張であって、いかなる意味でも観念論の復興を主張するものではないことは付言しておく。

最後に、コリングウッドとのかかわりにおいて、自身のテーマの「舞台設定」として示唆深いと思われる点を列挙しておく。
(1)コリングウッドが素朴実在論との対決を通して自らの哲学思考を開始し模索していたまさに同時期に、実在論者ラッセルと観念論者ブラッドリーという両陣営の巨人が論争をしていたという事実。
(2)この両者の論争の争点は、relationがrealかidealかというまさに実在論/観念論論争であり、素朴実在論者ラッセルが行き詰るのは存在論的問題であった。この点、コリングウッドの葛藤の争点も当時まさにこの実在論/観念論という軸であり、存在論的問題を(また違う形であるものの)抱えている点でも共通している。
(※1916年のコリングウッドの初めての単行本Religion and Philosophyでは、judgmentについてブラッドリーの定義に暫定的なから従う旨の脚注があり、またその後の1917~1923年の間の初期草稿群にも、judgmentについて論じたものが少なからず含まれていることから、コリングウッド自身も、このラッセルとブラッドリーの論争に意識的であった蓋然性が高い)
(3)コリングウッドが当時克服を試みていたいわゆるNew Realismは、1900年代から1920年頃まで盛んだった素朴実在論であり、1919年のラッセルによるこの立場の放棄などもありその後は一種のEmpiricismへのシフトし取って代わられた短命の哲学的潮流だった。コリングウッドはこの流れにユニークな仕方で克服を試みた一人と位置づけることもできる。
(4)著者がラッセルの若き日の書簡を引用しつつ述べるように、もしもラッセルの観念論への恐れが彼がある意味魅せられていた数学の完全な理論性が'life, death, human sordidness'によって汚染されることへの恐れだとすれば、コリングウッドはむしろ、この人間的なるものを積極的に哲学に取り込むべくhistoryを中心とした形而上学体系の構想へと歩を進めたと説明することもできるかもしれない。

また、この本の構成自体も、論争史という点で私のテーマにも通じるところがあり、自身の論文の構成にも大いに参考になる本であった。
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いずれにしてもこの本は、指導教授やB准教授の示唆の通り、私の論文の舞台設定という点で、かなり私の無知を救ってくれ更なる問題意識の深化の手がかりとして実に興味深いものであり、短期間で一気に読んでしまいました。今後は、この本が参照している先行研究などにも目を通しつつ、舞台設定を行なう論文の第1章の構成をもっともっと堅固なものとしていきたいと思います。





Q.スキナー『思想史とはなにか』岩波書店、1990年

2008-05-22 09:58:17 | 読書録
前回の日記でちょっと触れた、PhD論文のアウトラインについて、今日は指導教授・副指導教授と私の3人で話し合うことになっており、こんなことは珍しいので、何を言われるんだろうとビクビクしながらいってきました。しかし結果としては、結構簡単に3人とも方向性に関して合意に達し、その方向性を踏まえて削る部分も明確になりました。その方向性とは、もともと私が出願したときの研究計画書通りの方向性で、どうも私がこの1年ちょっと研究をやる中で少し色気を出しすぎて欲張ったプランを作ったために、その辺を見抜かれた感じでした。ただ、当初の研究計画書では曖昧だった部分も、これまでの自分の研究を踏まえてより具体化した形で3人で合意に達することができ、かなりクリアなレールが敷くことができた気がします。そのうえ、そんなにしょっちゅう会うわけではない副指導教授は、「very inspired」と言って興味と期待を示してくれて、また、指導教授もこのプロジェクトは'publishable'かも(じっさいにそううまく事が運ぶかは別として)という認識を持ってくれているようで、とてもやる気が出ました。こうなったらさらに猛烈に研究に励み、本当に'publishable'な論文になるように頑張ろうと思います。

また、今後の研究の流れを話し合う中で、私のテーマが、未出版かつオックスフォードのボードリアンのコリングウッド・ペーパーにも収録されていない、コリングウッドの娘さんが著作権者のドキュメントにアクセスする必要がありそうなんですが、そのアクセスに成功するか否かが論文の鍵を握りそうな情勢になってきました。その方はコリングウッド学会の名誉会長で、分野は違いますがオックスフォードの教授でもあり、モントリオールで私も会ったのですが、指導教授によると、彼女所有のドキュメントへのpermissionを得るのがものすごく難しいのだそうです。(私の指導教授はコリングウッド学会の中心者の一人なので相当その方とは信頼関係があるにもかかわらず)。しかも、その許可の可否は(指導教授曰く)「いかなる合理的原則にも基づかずに」(いわばきまぐれに)下されるのだそうです・・・。指導教授がそのアクセスを試みてくれるそうですが、これはもう祈るしかないですね。

*  *   *
さて本題ですが、この本は、もともとは修士時代に大学院の先輩に勧められて入手し読んでみた本で、当時は何となくメインアイデアを掴んだ程度で途中で挫折してしまっていたのですが、ここへきていろいろなきっかけからもう一度自分の方法論について再考してみようという気分が高まり、運よく日本から厳選してもってきた本に含まれていたので、再び手に取ることとなりました。

まず、これは再読しようと思ったきっかけの主因でもありますが、現在自分が置かれている状況が、この本とかなり密接な関係にあることが(今更ながら)分かってきました。スキナーは、自身の思想史方法論の重要な源泉としてコリングウッドがあることを明言しており、かつ繰り返しコリングウッドに言及しています。最初に読んだときはまだコリングウッド研究をしていたわけではなかったので注意を惹かれませんでしたが、確かに彼の方法論とコリングウッドの問答論理学、絶対的前提の形而上学というアイデアは非常に関連性があることに気づきました。さらには、この本でスキナーが批判者への反駁として書いている最終章では、私の指導教授がやはり解釈学についてスキナーやポーコックなども視野に入れつつ書いた本も何度も引用され、議論の対象となっており、留学先を探しているときに見つけた指導教授のプロフィールをネットで見たときにある意味で直観的に感じた私と指導教授との方法論意識の共通性は、じつはこういう形で実際につながっていたことにも気づきました。(今頃かよと言われそうですが・・・)。

では、スキナーの思想史方法論とはどのようなものか。ここでは、この本の序章のジェームズ・タリーによる解説における5段階の区分を紹介します。(寝る前に急いで書いているのでちょっと適当かも。興味ある方は原本を参照してください)

①「当該のテクストを言語的もしくはイデオロギー的コンテクストの中に、すなわち、同時代に書かれたかあるいは用いられたかし、全く同じか似たような諸問題に向けられ、また多くの慣習を共有する一群のテクストの中に位置づけること」(7)
②「テクストを、実践的なコンテクストの中に置くこと、つまり作者が訴えかけ、テクストがそれへの応答となっている、問題の政治行動あるいは社会の『関連ある特質』のなかに配置すること」(10)
③ここでは、当該テクストをとりまくイデオロギーそのものの研究へと転換し、その第一歩として、「その時代におけるさほど重要ではない諸テクストは、その時代の重要な諸テクストの慣習的および非慣習的側面と、さらにはイデオロギー的作用とを判断するための基準として用いられる前に、まず、支配的イデオロギーを構成しそれを規定する諸慣習とそれらの相互関係とをかくて規するために注意深くふるいにかけられて吟味される」(14)
④第3段階で見出された慣習的にその時代に広く行き渡っているイデオロギーに照らして、当該テクストの特殊性、そのイデオロギー下でそのテクストの主張をすることによる効果を把握する。そして、そのような形で発せられた当該テクストの主張は、「理論家の何らかの選択や意図によってではなく、政治的諸関係の変更によって引き起こされる同時代の正当性の危機について語るものとなるであろう」(17)
⑤「イデオロギーの変化が、いかにして行動様式になかに組み込まれていき、どのようにして慣習的なものになっていくかということについての説明に他ならない」(20)

この五段階論を再読して、これが何ともコリングウッド的なのです。というのは、コリングウッドのいう問答論理学とは、あらゆる命題は何らかの問いに対する答えであり、その問いもまたなんらかの問いに対する答えで、その問いも・・・という感じで繰り返される問いとそれへの応答の応酬の連鎖の一部である、という考えなのですが、第2段階の「作者が訴えかけ、テクストがそれへの応答となっている」というくだりは、まさにこの問答論理学を意識していると言え、テクストの主張をひとつの命題として捉えているといえます。コリングウッドによれば、ある時代の知的空間における言説は、すべてこの問答論理の連鎖によって成り立っているのです。この問答の連鎖を上へ上へと辿っていくと、原理的にはあるひとつの命題に到達します。この命題はいかなる問いの答えでもなく、ある意味でその言説空間の根本的前提のようなものです。これをコリングウッドは「絶対的前提」と呼び、この命題に関しては真偽は問えないとしています。そしてスキナーは、この絶対的前提に当たるものとして、その時代の思潮の基盤をなすようなイデオロギーを考えたものと思われます。そう考えると、その時代におけるイデオロギーは真偽がどうという問題ではなく、その時代の人びとによって自明なものとしてみなされ、真だと思われていたことこそが重要なのであり、ゆえに真偽は問えないわけです。

もう一点、スキナーが自らの方法論の重要な哲学的基礎として挙げているのが、オースティンの言語行為論です。スキナーは、オースティンの「発話するということは、言語を発するということそれ自体によって何事かを為そうとする行為である」(主意)とのアイデアを、文脈に注目するという彼の方法論の正当化に援用していますが、この議論を読む中で、こうしたコンテクスト重視の思想史方法論が、スキナーという「政治」思想史家から出てきたことの必然性のようなものを感じました。というのは、このような「言葉を発することによって何事かを為す」という行為は、とりわけ政治においてこそ典型的に現れるからです。スキナーはマキャベリの『君主論』の例を出していますが、私なりに非常に卑近な例を挙げれば、よく日本の政治家が講演会などでちょっと目を引く発言をしてみて、世論の反応をうかがうことを「観測気球」と形容してマスコミなどでは分析されることがありますが、これなどは、実際にその講演で言った内容を「行なった」のではなく、それを言うことによって「世論の反応をうかがう」ことをしたかったわけです。(そういえば、これもその一例かもしれませんね)。政治の世界ではこのようなことがもっとも意図的に行なわれているともいえ、そのような現実を間近で垣間見た経験を持つものとして私は、政治思想研究とコンテクスト研究は不可分に結びついていると思わざるを得ないわけです。そのような意味で、このような方法論がスキナーという政治思想史家から出てきたというのは、実に示唆的です。

最後に疑問をひとつ。確かに「政治思想」の分野ではこのような方法論が非常に有効だということは出来そうですが、では果たして他の分野(もっと一般的な意味での哲学とか、芸術哲学とか、科学哲学とか)には適用可能なのか?もちろん、あらゆるテクストは政治的だとは言い得るが、それは個別的に判断されるべきものなのではないか?という素朴な疑問が残りました。

いずれにしてもこの問題は、(もう眠くなってきたので)、今後の思索にゆだねたいと思います(苦笑

W. Kymlicka, Contemporary Political Philosophy

2007-11-18 08:03:08 | 読書録
この本が、ここのところ呻吟しているマスターの政治哲学ゼミで使用しているテキストで、今日、読了しました。英語圏の大学の政治哲学の定番テキストのようで、千葉眞らの訳で日本語訳も出ています。

一応、章立てを紹介すると、
1.Introduction
2. Utilitarianism
3. Liberal Eqality
4. Libertarianism
5. Marxism
6. Communitarianism
7. Citizenship Theory
8. Multiculturalism
9. Feminism
(※ちなみにゼミでは、これに加えて、ローティなどを通してポストモダン・反基礎付け主義をやります)

という具合で、まずは、現代政治哲学の泰斗ジョン・ロールズの前章として、彼の主な論駁対象たる功利主義的政治理論から入り、ロールズの正義論、さらにはドォーキンと説明します。そして、この現代リベラル政治理論への反駁として、ノージックらのリバタリアニズム、コーエンらの社会主義、サンデル、マッキンタイア、テイラーらの共同体主義、そして筆者自身の立場の多文化主義、最後にわが学部が誇るフェミニストCarole Patemanらのフェミニズムと、ロールズ以降の政治理論がロールズとの関係において、その反駁として論じられます。

この本のもっとも優れていると思われる点は、現代政治哲学のアリーナで行われているような、反駁に次ぐ反駁からなる議論の各論者の間のつながり・絡まりが緻密かつ有機的に描写され、(キムリッカという)現代政治哲学者の頭脳に収められているこの学問分野の地図が開陳されていることであり、そしてこれが、政治哲学における知識概説と一定の両立をみていることでしょう。これを読む読者は、基本的な知識習得と同時に、政治哲学という学問分野の思考を、自己の頭脳において再現でき、それに慣れることができるでしょう。そういう意味では、私がこれまで出会ってきたような、ただ単に思想家・哲学者ごとに項目を並べ、順繰りにその思想を平板に説明するだけのboringな哲学思想分野の教科書とは一線を画しています。

これによって、私はこれまで素人だった政治哲学の分野に多少のawarenessを得ることができ、また、修士時代、アレントをやっていた後輩の話も、今聞けばもう少し理解できる気がするようになりました。

私の学部は、European Studiesと言うものの、実態は政治研究(理論・現実政治含め)が支配的な雰囲気で、私もPolitical Theoryという研究グループに属しています。そして、ウチの大学でウチの学部主催のカンファレンスは政治絡みがほとんどなのです。まあ、いずれ政治哲学はやらねばと思っていたこともあり、論文のテーマにも関わっているので、今回のゼミはじつに有益でした(まだ終わってないですけど…)。

また、今週学部内のPhD学生たちとインディアン・レストランに外食した折に、(こっちではそういう感覚はないけど、敢えて日本的に言えば)先輩学生とこのゼミの話になり、「私もとっていたんだよ。そんで、今学部生を教えているけど、このゼミがとても今役に立っているよ」と言われ、「是非、PhDの最後の年には学部生を教えるといいよ」、と勧められました。学生を教えることによって、その分野の広い知識が整理され身につくんだと言われました。「いやいや、教えるほどのものをまだ持っていないし、第一英語がそんなレベルじゃないのはあなたもわかるでしょう?」と突っ込みたかったのですが、まあ、そういう機会があるのなら、(実現できるかはともかく)目標にして頑張るのも悪くないと思いました。



B. Croce, 歴史の理論と歴史(羽仁五郎訳)

2007-05-29 05:27:54 | 読書録
べネディット・クローチェ(1866-1952)は、イタリアの哲学者で日本では特に彼の歴史哲学で知られている。『歴史の理論と哲学』は、その彼の歴史哲学を知るには便利な一書であろう。今回は日本から持ってきた岩波文庫の羽仁訳で読んだ。1951年2月4日付の「新版によせて」において羽仁が次のように述べている文章を読むと、訳者におけるクローチェの影響がいかに大きかったかを知ることができる。

「ぼく自身、青年の日にこの書を訳したとき以来、今日にいたるまで、いまだかつて、この書を訳したことを恥としなければならなかったことがない。[…]愛する思想をももたいないことは、不幸である。しかも、ぼく自身、今日にいたるまで、節操をもって生きることができ、ファシズムの試練にたえることができたかぎり、クロオチェの思想に対する愛情の力によるところが、決してちいさくなかったと考えている」(4頁、旧字体改)

戦時中、三木清らと軍部ファシズムへの抵抗を続け、治安維持法容疑での拘束や逮捕を経験した自負とも読める。

さて、日本にこのような心酔者をもったクローチェは、ローマ大卒業後は生涯アカデミズムとは一線を画した市井の思想家として、雑誌を中心として活躍し、第一次大戦期のイタリア思想界に大きな影響力をもった。一次大戦後、ムッソリーニのファシズム台頭に際しては、当初は支持的立場を取ったものの、やはりイタリアの哲学者Gentileの「ファシズム知識人宣言」(1925)の発表を期に批判的立場に転じ、自由主義を擁護した。(ちなみにコリングウッドはGentileとも親交があったが、このファシズムへのコミットを境に彼はGentileと断交している)

彼の哲学は、J. A. スミスによって20世紀初頭のオックスフォードに紹介され、コリングウッドのみならず彼の批判対象たる実在論者らにも大きな影響を与えたようである。(蛇足ながら、I・バーリン『ハリネズミと狐』で扱われているトルストイの『戦争と平和』の歴史叙述についての議論も、この書には同じように見出されることを付け加えておきたい。)イタリア語にも堪能だったコリングウッドは、互いの著書を翻訳するなどクローチェと親交を結び、大きな影響を受けたと言われている。

この『歴史の理論と歴史』は、歴史叙述理論に対する批判と、歴史叙述の歴史とからなる。この両者においてクローチェは、「文献学的歴史」、「詩的歴史」、「弁論修辞的歴史」、実証主義的歴史などといった既存の歴史叙述理論を批判し、彼の目指す哲学と歴史のあり方を次のように表現する。

「自から世界であるところの精神は、自ら発展するところの精神であり、そしてしたがって一であり多であり、永遠の解決であり同時に永遠の問題であり、そしてその自覚はその歴史であるところの哲学であり、またはその哲学であるところの歴史であり、この二者は本質的に同一である」(376頁)

ここには「精神」を鍵とするヘーゲルの影響が色濃く感じられるが、一方でヘーゲルの歴史哲学のような、いわゆる「普遍的歴史」を拒否し、「現在」を基点とする歴史を志向する。

「歴史の行路において保存され豊富にされて行くものは歴史自身であり、精神性である。そして過去は、現在の力として、現在の中によりほかに生きることはなく、ただ現在の中に解体され変容されてのみ生きる。すべて特殊の形式、個人、行動、施設、事業、思想は、亡びに定められている」(120頁)

コリングウッドの歴史思想は、このようなクローチェの思想に強く影響されつつ、「精神」としての観念の世界と「史実」としての経験の世界を、歴史叙述という場において切り結ぶことを目指すような方向性を獲得したのかも知れない。


長谷川宏『新しいヘーゲル』講談社現代新書(1997)

2007-04-22 18:29:32 | 読書録
ブログのアーカイブを整理していたら、以前書いた記事が未公開のまま眠っていたので、加筆の上、この機会にアップしときます。ただし、内容の関係で、引用以外は英語で書きます。

◆The auther of this book, Hiroshi Hasegawa, is translating Hegel's works into Japanese. His translation is in a sense remarkable because he doen't use specific Japanase terms for Hegel's concepts such as 即自(an sich) and 人倫(Sittlichkeit) and try to replace them with more common words. So, his transtations are much more intelligible than previous one.This book is a introductory survey of Hegel's philosophy by the auther.

◆At the beginning, he gives us the reason for his principle of the translating works, and criticise attitudes of Japanese philosophical researchers who have accepted western philosophy.This criticism is quite sharp and worthy of consideration.

◆However, it is in the last two chapters that the place which reflects characteristics of Hasegawa's thought ountstandingly; for he criticises about how the individual of modern Japanese people have been while suggesting that Hegel was a typical philosopher of the Enlightenment who tried to be independent of any authrities such as christian church and think freely through and through.

◆引用
「対立と矛盾、混乱と無秩序のもたらす活力を減殺することなく、しかもそのむこうに統一と秩序を遠望できるような社会は、どのようにして作りだせるのか。その問いにたいする答えとしてヘーゲルが提示したのが、近代的な共同体精神であり、個が個でありつつ共同体精神を獲得していく、ドイツ語でいえば“Bildung”の過程であった。自分の内面へと還っていった個人は、日々の生活のなかで自分みずからをきたえあげることによって、はじめて近代的な社会性を獲得できるとヘーゲルは考えた」

◆Hasegawa criticises that the individuals as such and the society which is based on such individuals have not been developed thoroughly in Japan. And he also claims that it is misunderstanding to emphacise the aspect of 'aufheben' in Hegel's dialectic logic while deforming the another essential aspect of it, that is, contradiction or collision.

◆Though such immaturity of the individuals in Japan seems to display its disease all over the place, with respect to my dairy life, I cannot stop realising that one of typical phases of the problem manifests in a religious organization which I belong: the trench between 'what are intellectual' and 'what are with the common touch', the situation that the latter grasps the initiative, the frailty against authority and the rapid corruption and so on.

◆The difficulty which I have been struggling for many years is that the more intellectually---which means 'to stand with thinking which does not depend on anything apart from my thinking itself, and to undertake responsibility for the results of the thinking' in this case---I try to think about the activities of organization and dogma, the bigger trench I cannot help feeling from 'what are with the common touch' as the opposite side; in other words, it is the struggling between my own individual and the constitution of the organisation which never allows the independent.

◆To sum up, the organization has strong Japanese cast, and is far from promoting the independent individuality of each members but prevents them from being independent individuals. The more growing up as a leader of the organization, the less personality he/she has; for instance, such leaders' hair styles, the way of makeup, clothes, mode of bahavior tend to be similar, and they tend to talk in similar vocabrary and fasion of speaking, and think in stereotypical way of thinking. Such leaders can be distinguished as the member at first grance.

◆In order to be accepted in Japanese society, it might be neccesary for the organization. However, it is no doubt that the organization has to molt from such old-fashioned constitutions if it wants to contribute for Japanese society as a truly mature member of the society.

◆The organization often tends to be doubted or criticised from especially intellectual people; but we might be able to say that the fundamental cause of it lies in this very constitutions of the organization. What is worse is that the organization usually labels such critics, as well as even right one, as 'arrogance of intellectuals' or 'nijo' hysterically; it would be obvious that such an attitude has to be regarded as too childish and primitive, and invites derisive laughers.

◆Obviously, as Hasegawa himself points out, it is not neccesary adequate to affirm such an attitude of modern individuals as an ideal; but it does not automatically mean that the significance of western philosophy which has been aimed at being freed from the authority of christian charch should be disvalued. Therefore, the neccesity to build independent individuality shound not be renounced also in Japan, rather, it can be said indispensable so long as Japanese political system is on democracy which is based on such individuals.




ヘーゲル『精神現象学』(長谷川宏訳)

2007-04-05 07:40:26 | 読書録
院生時代からフリーター時代にかけて、哲学専攻の院生仲間と読書会を毎週やっており、哲学の基本的古典を輪読していました。カントを中心にヘーゲルやマルクスなども読みましたが、週一回一定の量をこつこつ読んでは議論することを強いられていくうちに、自分にとってはじつに有益な習慣となっていました。この読書会があったお陰で、フリーター時代にバイトで多忙を極めていたときも哲学書から離れずにkeep in touchできたのだと思います。そんなわけで、こちらに来ても、こつこつと哲学古典を読むことは続けようと、このところヘーゲルの『精神現象学』を読んでいました。本来は少なくとも英語で読むべきですが、まあ、日本からもってきた長谷川訳があったのでこれを読みました。

『精神現象学』は言うまでもなくヘーゲルの主著の一つであり、難解との誉れ(?)も高い名著です。ゆえに、一回読んだくらいで理解できる代物ではなく、ここでは断片的な感想を述べることにします。

ヘーゲルはよくドイツ観念論の代表的人物という言い方をされます。まあ、確かにそうには違いないのでしょう。しかし、このカテゴライズの故かどうかは定かではありませんが、抽象的な概念を操り現実とはかけ離れた荒唐無稽な観念の世界を構築した人物、というようなネガティヴなイメージを巷間では持たれていると言ってもそれほど間違いではないでしょう。

しかしながら、この本を読んでみれば、彼の意図することが一般に思われているほど荒唐無稽ではないことが分かるでしょう。彼が一貫してこの本で試みている(と思われる)ことは、じつは観念の世界と現実界をどう整合的に説明するかということであって、けっして現実界から観念の世界を切り離すことではないと思われます。とはいえ、「これはヘーゲルの精神の現象学なんじゃないの?」とでも言いたくなるような理解に苦しむ記述も多くあったことは確かですが。

また、局所局所には鋭利な社会・人間・学問・宗教などに関する印象的な洞察も散りばめられており、全体的な体系としての現代におけるリアリティはともかく、個々のそのような洞察は現代においてもけっして色褪せるものではないでしょう。

例えば、啓蒙思想と信仰の対立について述べる次の一文:
「霊の世界の喪失を悲しむ、ぼんやりした精神のあこがれが、啓蒙思想の背後をうかがっているのだ」(391頁)

いずれにしても、私の研究対象のコリングウッドのように、哲学による現実へのコミットメントを論理的に合理化するために観念論に共感を寄せた哲学者もいるわけであり、「観念論=現実無視」という単純な固定観念は改められるべきと思われます。

最後に訳についてですが、長谷川宏はヘーゲルの革新的な分かりやすい訳者として有名であり、この『精神現象学』もその翻訳方針のもと訳がなされています。したがって、日本語に訳すことによってかえって意味不明になるような訳語は用いず、できうる限り平明な語で訳そうという努力の跡が一文一文に滲んでいます。ただ一点気になることは、訳の日本語として文節の繋がりや助詞の使い方など、不自然な箇所が少なからずありました。(しかし私は原典を読んだことがないので、その当否についてはなんとも言えませんが)


長谷川宏『丸山眞男をどう読むか』講談社

2006-05-20 01:26:06 | 読書録
この本は、丸山論というより、丸山について論じる形で長谷川の問題意識を述べるという本のように感じられた。

大まかな構成としては、まず、丸山の軍隊体験を取っ掛かりとして丸山眞男の本質(長谷川なりの)を指摘し、それを軸に、彼の「超国家主義の論理と心理」、福澤諭吉論、日本政治思想史へと言及していくというものである。

長谷川の丸山に対する批判の核心は、要するに、丸山が一般庶民の日常・生活感覚に根ざせていないという一点に尽きると思われる。そしてその原因を、丸山個人の資質のみに帰するのではなく、日本の近代化の在り方そのものの問題射程のなかで捉えようとしている。

例えば、長谷川は次のように述べ、日本の近代化がお手本の模倣であったがゆえに、西欧的個人主義の発達が阻害されたことを指摘する。
 「外来の思想をお手本として受け入れるということ自体が精神の営みであるから、それをお手本として理解する、理解しようとする、という水準で、自由や自立の思想と日本人の意識とのあいだに一定の必然的なつながりを想定できるが、お手本として理解することと、自己の自由と自立を自分のこととして自覚し、さらには、他人をもふくむ個々人の主体的自由が近代社会を構成するもっとも重要な基軸の一つだと自覚することとのあいだには、容易に飛び越えることのできない隔たりがある」(79)

そして、この議論は日本のエリート批判へと発展する。
 「学ばれる知識や理論は物質的に、あるいは精神的に、あるいは制度的に、西洋近代社会の骨格をなすことがすでに実証されているのだから、その知識や理論を習いおぼえた知識人は、近代化に向かう日本社会のなかで、人びとを指導するエリートとなることを約束された。エリートには社会的な名声や名誉と、さまざまな特権が付随するのがつねだから、知と思考がエリート性と結びついたとなると、それがこの確信を支え、個の自立性と自由を確立する力となることは、いよいよむずかしい」(85)

長谷川は丸山に即しつつこのように日本の近代化を捉え、こうしたエリートの在り方が、日本における知識人と庶民、ひいては学問と日常生活世界の亀裂を生み出したと指摘する。そして、丸山の限界は、まさにこの両者の亀裂を乗り越えることが出来なかった点にあったと述べるのである。
 「普遍的な思想や理念を民衆の生活に近づけるのではなく、民衆の意識を普遍的な思想や理念にむかって引き上げようとすることに力を注ぐ。それが丸山眞男の思想的感覚である。そこからは、思想が変われ、表現が変われ、という要請が出てこない。」(214)

長谷川の行論は、例えば丸山の軍隊経験と長谷川自身の市井生活での経験を同列に論じるなど、牽強付会なのではと思わせような強引さもある。また、市井で哲学をしているのだという自負、悪く言えば我田引水的な臭気を感じなくもないが、だからといって「学問の世界と日常生活世界との切断」という問題そのものは決して閑却されるべき問題ではなかろう。私自身はこの問題について、まだ自分なりの見解を持つに至ってはいないが、これまで漠然ともち続けてきた問題意識を明確にするという意味で、示唆に富む本ではあった。

興味をそそられたそれ以外の論点は以下の二点である。

 「集団としても個人としても、社会的ないし政治的な力の自覚が、上昇志向とか エリート志向とかと呼ばれる心の動きを誘い出す。思想性の強さとゆたかさ、思想内容の是非善悪はもはや本質的な問題とはならず、勢力の大小と地位の上下が 第一義の問題となる。さらには勢力が大きくなり、地位が向上することをもって、思想性が強く、ゆたかであり、思想内容が正しいことのあかしだとする錯覚すらうまれる。エリート志向の心事は、独立自尊、多事争論の精神からは遠く、 おのずと権力の偏重へとむかわざるをえない」(123)
―――誰かに読ませたい件ではある。

また、戦後リベラリズムの教祖的存在の丸山が日本政治思想史の講義録の中で、日蓮も含めた鎌倉新仏教に対してポジティヴな評価をしていることは興味深い。いずれ読んでみたいと思った。――このように、この本は優れた丸山論ではないかもしれないが、丸山の啓蒙書としては私という一読者の丸山に対する興味を深めたという点では成功したんじゃなかろうか・・・(笑)