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書・人逍遥

日々考えたこと、読んだ本、印象に残った出来事などについて。

Research in Completion Day in Summer 2008

2008-07-01 21:59:46 | 研究生活
昨日、ここのところずっと準備していた学内の院生発表会でのプレゼンが終わりました。これで、今期のスケジュールは終わりで夏休み!に入ります(といっても研究の日々は変わりませんが…)。

3回目ということもあり、大分慣れてきたのかちょっと今回はEUROに気を取られたり準備に集中力を欠き気味でしたが、滞りなく終わりほっとしています。今回は、できうる限り、コリングウッド専門外の人にも分かりやすくペーパーを書くことに特に気をつけて準備し、その結果一旦書き上げたものが長くなりすぎて再度要約しなおすハメになりましたが、そんな努力がある程度実ったのか、質問もいつもより多めに出たのでよかったです。(応答はまだ満足にクリアな説明が口頭でできたかはまだまだ工夫の余地がありますが)。でも、何はともあれ、3回の内部での発表をこなす中でまがりなりにも英語での発表に慣れてきたので、秋学期には何とか2回の外部での発表というノルマ達成に向けて頑張りたいです。一回は昨年も参加した12月の英国政治学会British Idealism Specialist Gruopというのは確実で、あともう一つ、機会を探しているのですがなかなか見つかりません…。

今回の発表では、前回の日記での触れたように、コリングウッドの初期草稿に焦点を絞ってその内容を分析しました。とりわけ、realismという語で彼が何を意味しているのかを分析し、3つの哲学上の立場が意味されていることが分かりました。

1)objectivism:knowing makes no difference to what is knownというCook Wilsonの命題に代表されるような、認識における主観の作用を全く認めない立場。これはこの世界が純粋に自然法則だけで成り立っているという結論も帰結することから自然主義(naturalism)とも深い関係にある。Oxford realists (Cook Wilson, Prichard)やB・ラッセル、G・E・ムーアらが含まれる。

2)subjectivism:(1)とは逆に、バークリのesse est percipiというテーゼに代表される立場。バークリ、F・H・ブラッドリーらが含まれる。これらは通常realismとは逆のidealismに分類されるのが一般的だが、コリングウッドは敢えてrealismだと主張している。

3)eclectic realism(折衷的実在論):subjectとobjectの両方を認めて、両者のバランスを取ろうとするロックらの立場。もっとも常識的だといえる。

で、これらはすべて(彼によれば)subjectとobjectの二元論を前提している点でrealismだとコリングウッドは主張するのであり、すなわち彼にとってrealismとはなによりもこの認識論的二元論を取る立場に他ならないことになります。そして、この段階で既に彼は、このrealism批判を政治・道徳哲学的批判へと結びつけることをはっきりと意識していたことも分かりました。

この非常に特殊なrealismの定義によって彼は本当は何を批判したかったのか?これが今後の、そして博論の最終的な問いになりますが、まずはともあれ、当面の理論的な課題としては、とりわけユニークなrealismの第2の意味、つまりブラッドリーらをなぜrealismと呼ぶのかが解明される必要があります。同時に、今回、文献的にもさまざまアクセス困難な資料へのアクセスの必要性が生じ、資料閲覧のためにまずは遠からずオックスフォード、ロンドンへ行くことになりそうです。オックスフォードは初のなので今から楽しみです!

そんなこんなで、まずは今週末からのスコットランド旅行を存分に楽しみ、帰ってからは夏の静かな大学で、研究をしっかり進めたいと思っています。






EUROとプレゼン準備と――近況

2008-06-23 04:07:11 | 研究生活
EUROも準々決勝最後の試合となり大詰めを迎えている今日この頃、私も30日に行なわれる定期院生発表会のための原稿づくりにかかりっきりの日々でしたが、今日やっと指導教授にDraftを送信しました。しかし、今回はこれで一安心といういうわけにはいかないのです。というのは、原稿が長くなりすぎてしまい、もう一度短いバージョンを作る必要が出てきました。本当はそれを今日までに作って提出できればよかったのですが、ちょっと間に合いませんでした。本来は大体A4で8ページ程度にまとめないと時間内に読みきれないのですが、今回は大幅に超過して16頁…。6500語くらいになってしまいました。そもそも、3月から読み込んでいた1917年から23年頃までの初期草稿(A4用紙で200頁超)を包括的に扱ってしまったので、範囲が広すぎたという反省もあります。まあ、あと一週間、指導教授の指示もあるかも知れませんが、引き続き準備に励もうと思います。

今月はviva(PhD論文口頭審査)が行なわれており、カーディフの院生の論文審査のために二人のコリングウッド学者が来訪することになっていました。私は指導教授に彼らの予定を聞いて、個人的に少し話をしてもらうことにしていました。一人は先々週、私がモントリオールの学会へ行ったときに一緒に行った院生の審査のためにヨーク大から来たB准教授。分析哲学、とくにフレーゲから出発して、コリングウッドに関しては彼の分析哲学批判に興味があるみたいです。(私はフレーゲ学者には妙に縁があります)。審査が終わった後、指導教授たちとの談笑の後、私一人で大学から駅方面までお見送りしつつ、途中のカフェで一時間ほど議論の時間を取ってくれました。私もコリングウッドの実在論批判がテーマということで、その側面について、かなりいろいろ話をすることができ、疑問点も聞くことができました。また、私の論文のアウトラインも見せつつ、さまざまアドバイスを受けることができ、貴重な機会でした。また、その娘さんが大学を卒業した後現在日本で日本語を勉強しているらしく、ちょうど私が一時帰国していたときに、家族で娘さんをたずねて、また慶応大での研究会に招かれて日本を訪問したのだとか。長崎、広島、京都を訪れ、京都の桜にいたく感銘を受けていました。

もう一人は今週に来ることになっておりまだ会ってはいないのですが、ハル大のC教授。この方はコリングウッドの未公刊草稿から例のコリングウッドの娘さん所蔵資料に及ぶまで、資料面で強い研究者で、じっさい研究手法も思想史的アプローチをとる傾向の強い人なので、以前の日記でも触れた入手困難資料についていろいろ聞くことができればと思っています。

いずれにしても、こうして向こうからいろんな研究者が来てくれる環境というのは非常にありがたいなと思います。ウチの大学はPhD論文の審査は一人は必ず外部から審査官を入れる決まりなので、何となくですが、関心分野の関係から言って私のときはこの二人のどちらかになりそうな予感がしています…

そんなこんなで、気の赴くままにつらつらと書いてしまいましたが、EUROがかなり気になって自室に導入したTVのスイッチをついつい入れてしまいがちなこの頃ですが、あと一週間、プレゼンまでは気を抜かずに頑張りたと思います。その後は、実はこの夏はスコットランドへ行く計画を立てているので、それを楽しみつつ、夏休みで静かな大学をフル活用して、9月までにはさらに研究を進めたいものです。


学会発表 in 東京

2008-04-09 00:51:46 | 研究生活
ご報告が大変遅くなりましたが、先月28日に無事に学会発表を終えることが出来ました。発表をしてみての第一印象は、「コリングウッドへの関心は薄いな…」ということでした。3つの会場で同時並行で個人研究発表が行なわれたこともあり、私の発表の参加者は約5人…。しかも実在論に絡む議論ということで論理学専門の先生方が大半を占めました。

いくつか質問が出ましたが、すべて予想の範囲内の質問で、問題なく応答することが出来ました。質問や司会者からの講評、発表後の参加者との会話などを総合すると、二つの課題が浮かび上がってきました。

一つは、(論文の査読をお願いした方は分かると思いますが)例の「存在論的問題」への疑念が集中しました。やはり、今回扱ったSpeculum Mentisにおけるコリングウッドの存在論的実在論批判には無理があるということは衆目の一致するところのようです。この問題は、コリングウッドの初期思想において残された大きな課題
であり、後期コリングウッドがこの問題をどのように扱うのか、今後興味深く追っていきたいと思いました。事実、30年代後半には、ギルバート・ライルと何回も往復書簡を交わして、まさにこの「存在論的問題」を議論していると思われるテキストがあったりするので、要分析です。

二つめは、やはりコリングウッドへの日本での関心がそれほどでもないことから、現代実在論の議論と関連づけていくことができればもっと興味をもってもらえるだろうという指摘を頂きました。これは本当にもっともな指摘であり、ゆくゆくはやっていかなければいけない課題ですが、その一方で当面はコリングウッドそのものの理解に忙殺されるのは必定なので、悩ましいところです。まあ、当面の課題をこなしながら、つねに頭の片隅におき続けなければならない問題です。

総じて、コリングウッド研究を少しでもしている人には一人も会えなかったことはかなりの失望でしたが、前回地方部会で修論の内容を発表したときに司会をしてくれた先生が、今回の発表に来てくれて、今現在私が指導を受けているカーディフの教授にその先生も注目していることが分かってちょっと話が弾むなど、収穫もありました。

これで2回日本語での学会発表をこなしたことになり、かなり学会発表というものに慣れてきましたし、気後れすることも減ってきたように思います。やはり場数を踏むことは大切なようです。日本にいないので頻繁に発表できないのが痛いところですが、これをワンステップとして、英語での発表もしっかりこなせるようになりたいと思いました。とりあえずは今年のノルマ、英語での学会発表2回を達成できるよう頑張りたいと思います。

また、全国大会での発表までできたので、次はやはり学会誌への論文投稿が目標になると思います。当学会の学会誌の論文審査はかなり厳格なため、相当な完成度の論文が要求されますが、掲載を目指したいと思います。

何年か振りの参加だったにもかかわらず、覚えてくださっていた先生もいたりして、激励をしていただきました。勇気づけられると共に、少しでも早く本当の意味で興味を持ってもらえるような研究をしたいと思いました。

とても大雑把な報告になってしまいましたが、こんな感じで学会発表は終わりました。多忙の中査読をしてくださった皆さんのご指摘が質問への応答にも生きたりと、とても有益な指摘・示唆を頂けたことに感謝しています。


推敲、草稿、近況・・・

2008-03-13 11:56:21 | 研究生活
このところ、来る日本での学会発表の原稿の推敲に取り組んでいましたが、ようやくつい先ほど、司会の先生への送信が完了しました。いやはや、いよいよです。

今回の原稿の準備は、実際に書き始めたのが確か1月終わりくらいで、2月中旬に一通り書き上げ、その後は10人近い方々に査読をお願いしました。これは、一応学内の院生発表会で発表した内容ではあるものの、よりいろんな人の視点からの意見がほしかったこと、日本語能力の衰えを痛感していたので論文の文章の出来にいまいち自信が持てなかったことなどの理由で、そのようにしました。一斉に送信してから、徐々にレスポンスを頂き、レスポンスを頂く度にその指摘内容に対して出来うる限り丁寧に説明することを心掛け、訂正の必要を感じた箇所を修正していきました。この作業はレスポンスを頂く度に断続的に行なわれました。多忙ななか非常に参考になる指摘、批判、意見等をしてくださった皆さん、本当にありがとうございました。初稿に比べるとかなりマシなものになったと思われます。とりわけ、(この日記を見ていないことは確実ですけど)、メールでのやり取りを何往復もするなかで懇切丁寧にご指導頂いた、同じ学会のTさんにはとても助けられました。

今回、このような作業をしたのは外国にいて日本語の論文をチェックしてもらえる人が周囲にほとんどいなかったという状況から生じたものではありましたが、結果的にとても学ぶところが大きかったです。日本にいれば、例えば読書会や学内の研究会などで試しに発表し、いろんな意見を得てから本番に臨むということができるのでしょうが、今回はそれをこのような形で代替しました。論文を読んでもらってそれに基づいてさまざま意見交換、議論を交わし、相互理解を深めていくことで、共通の議論の土台が形成されるわけです。学問の世界というのは、ある意味で結局このような営みの繰り返しなんだな、と思ったりました。以前ネットで、東大を中心としたとあるドクター院生による読書会の連絡用HPを発見したのですが、コンスタントにあるテキストを少しづつ読み進むという営みが続けられていて、このようなことを通して、その哲学者についての(少なくとも東大における)共通理解というのが形成され、それを基にして学会などでも議論が戦わされるわけです。

ただこれは、その日本の哲学アカデミズムの頂点の一角を占めるコミュニティにいる人間にとっては計り知れない恩恵をもたらしますが、一方でそれ以外の者にとっては排他的に働きます。そのような議論環境にいなかった者が、学会に出て行って東大での共通理解を基にした議論を聞くとき、それがすんなり入ってこないのはある意味で当然といえば当然なわけです。このような事情も、弱小私大の院生が圧倒的に不利な立場に立たされる一因でもあります。このようなディスアドバンテージを克服するには、やはり積極的に学会という場に出て行き、発表をして議論して、ヘゲモニーを握るコミュニティの共通理解にアクセスする努力が必要です。理想的なことを言えば、このような共通理解は広く外部に開かれているべきですが、現実がそうでない以上、やはりそうするしかないのでしょう。そして、そうした読書会などに食い込むことが出来れば、しめたものです。そういう意味で、海外にいる私などは、日本のアカデミズムで生きていく場合、実に不利な立場にいることになります・・・

こんな愚痴をこぼしつつも、渡日まで一週間を切り、発表原稿の推敲と共に、研究本体も出発まで少しでも進めようと必死です。というのも、4月中に指導教授から言われているPhD論文の改訂版プランの提出という課題があり、また4月25日締め切りの英国政治学会の院生発表会(@エディンバラ!)での発表申込みにも色気を出しているためです。(エディンバラという響きに魅了されたものの、実際可能かは際どいですが・・・)この一ヶ月で、単行本の研究書を、例の石紙抜書きノートを取りつつ3冊、あとLibellus de Generationeという出版を意図して書かれたまとまった量のコリングウッドの初期草稿を読み込み、今週は雑多な初期草稿群を一気に6本通読しました。(幸いだったのは、Libellusを除いてはすべて私の指導教授のネットワークのお陰で、テキストデータになった他の研究者による翻刻が手に入ったこと!随分手間が省けました)。かなりのインプットをしましたが、依然として私の頭の中は原始太陽系における惑星生成前の塵が漂う宇宙のような状態です。なんとかこれが、それぞれ集まって惑星を形作り、秩序だった太陽系のような像を結んで欲しいと思います。

いろいろと漠然とした論点は見えつつありますが、ひとつ興味をそそられたのは、'Spiritual Basis of Reconstraction'と題する、講義原稿のような草稿です。これは第一次世界大戦が終わった直後の1919年に書かれていて、現実政治への言及から始まって、大戦の一つの元凶としてドイツ哲学における‘プロシア二ズム’を批判するというものです。まあ、修論で扱ったトインビーにも見られたような帝国主義の部分的な肯定があったり、論理的にはスカスカの文章なのですが、終戦直後のコリングウッドが如何に現実政治へ強い関心を寄せていたかをうかがうことができて、面白い文章でした。

そんなこんなで近況を一気にまくし立てるように書きましたが、帰国直前まで、もう少しじたばたとあがきたいと思います。

久々の日本語論文の憂鬱

2008-01-25 05:17:33 | 研究生活
先週来、これまでやっていたSpeculum Mentisの分析をまとめた文章を基にして、3月の学会(@東京)で発表する論文を書いているのですが、これに想像以上に苦しめられている毎日です。

まず、論文執筆には日本語を使える環境のPCが必要ですが、大学のPCは使えず自分のノートしかありません。学部・修士時代以来、(住んでいた家の関係で)あまり昼間自宅で勉強することに慣れてなく集中できない私としては、大学で執筆をしたいのですが、そのためにはノートを持っていかなくてはなりません。いくら(購入当時)最軽量のノートとはいえ、やはり重くなるし嵩張ります。これを、最近の強風と雨のダブルセットという余りにも惨めな天候のなか大学へ持って行くわけで、これだけでも随分とダメージを受けます。

さらに追い討ちをかけるのが、久しぶりの日本語による学術論文のためか、自分の日本語能力のあまりの減退ぶりを自覚させられることによるショック。最後に日本語で論文を書いたのが学内の紀要のために書いた2005年。2006年に事典の記事執筆などもあったものの、昨年はまったく書いていませんでした。加えて日本語で専門書も読んでいないためか、書いていても陳腐な表現しか出てこない…。辞書が手放せなくなりました。

この日本語に関する困難をさらに分析すると、どうやらさらに二つの理由がありそうです。一つはもとになっている文章が英語で、論理構築も英語用に為されているために、日本語で書こうとするときに、別に翻訳しているわけではないのですが、翻訳調のようなぎこちない文章になってしまうのです。

もう一つは、専門用語の問題。今回扱うのは認識論に関わる議論が多いのですが、認識論については正直あまり日本語で厳密に勉強していないために、厳密な用語の使い分けがまだできないわけです。例えば、sensing, perceiving, apprehending, knowing, recognisingの訳語の区別などが挙げられます。日本語の認識論の教科書が手元にないし、困ったものです。

そんな感じでかなり最近は苦しんでいましたが、今日ようやく終わりが見えてきた感触を得ました。35分発表なので原稿用紙30枚くらいに収めないといけないのですが(そんなもんですよね?この辺の感覚も忘れてしまいました)、27枚くらいまで書いたところであとはほぼ結論のみというところまで来ました。もちろんまだまだ論理の詰め残し、曖昧な表現、訳語の要検討箇所などもたくさん残ってますけど…


今週月曜の指導教授とのミーティングでは、次の研究ステップについて話し合い、いよいよコリングウッド初期の実在論→反実在論の転向過程の分析に入ることになり、ずしっとした未公刊草稿の束(ボードリアンとかに行ってさらにこれが2倍くらいに増える気も…)を渡されてきただけに、早く論文の方を決着を着けて、その研究の方に入りたいものです。

一年の計は元旦にあり

2008-01-04 10:33:33 | 研究生活
とよくいわれますが、どうなんでしょう?ただ、少なくとも私の場合、いつの間にやら、元旦の自分がその年の自分を結果的に象徴しているというジンクスみたいなものがあるので、元旦の過ごし方というのは、少し意識します。

そして今年は…、新年の瞬間、ロンドンの中心で花火を見つつ、叫んでいました…。果たしてこれが何を象徴することになるのか全くナゾですが、その後の行動はちょっとだけ合理的というか、要領のいい自分がいました。というのは、4万人という人が花火を見た後、当たり前ですが、みんな家に帰りますよね。そうすると、最寄の地下鉄駅は大混雑するわけです。地下鉄で20分はかかる西ロンドンに宿を取っていた私は、歩くのは不可能で地下鉄にどうでも乗る必要がありました。ところが、最寄の駅は余りに多くの人が殺到したために扉を閉めたままなかなか開いてくれません。そこで私は、その次の駅まで歩くことにしました。10分くらい歩いて次の駅に行ったら、なんのことはない、まったく閑散としていて、通常通りに乗って首尾よく帰ることができました。まあ、東京に暮らしていたら普通は思いつく発想だと思いますが、どうなんでしょうね、他のロンドンの方々には思いつかなかったんでしょうな。

そんなこんなで、どうでもいい話なんですが、なんとなく、今年の自分がこんな風に首尾よく生きられたらな~という願望をこめて書いてみました。

ということで、元旦ではないですけど、一応今日から日常のルーティンに戻って、直近のタスクが再び私を追いまくり始めましたが、今年の予定というか目標を、書いてみようかと思います。

まずは、今書いている博論第2章の一部分となるべき文章を来週中に仕上げて、指導教授に送信することです。次に、3月の日本での学会発表の原稿を1月中に書き上げておきたいです。というのも、2月になったらそれを事前に司会担当をしてくれる先生に見せなければなりません。

2月から日本出発までには第2章の全体を粗方、骨格だけでも仕上げておきたいです。この過程でいよいよ、オックスフォードのボードリアン図書館へ資料の筆写に行く必要が生じるかもしれません。

そして、3月は日本での学会発表。ちゃんとした発表をして有益な示唆を得るのはもちろんのこと、この機会を利用して日本でも人脈を広げておきたいところです。とりわけ、ウワサではその存在を耳にしている日本のBritish Idealism研究会の人を見つけて、私も加入できたらと思っています。まあ、あとは日本を堪能することも楽しみにしつつ。ただ、4月までには、指導教授より論文のアウトラインを提出するように言われているので帰国中もあまり気が抜けませんが…。

ここまではある程度プランが具体化していますが、5月以降はよくまだわかりませんが、指導教授からのノルマである2回の外部での発表をどうするか。一つは昨年末にも参加した英国政治学会のBritish Idealism Specialist Groupで決まりですが、あともう一つは、おそらく、これも英国政治学会の院生発表会になりそうです。いずれにしても、発表するに足るだけの内容の成果を出さなければなりません。それに加えて恒例の学内の院生発表会(7月、12月)でも発表をし…という感じの一年になりそうです。

プライベート的には、今年こそ夏にスペイン・フランスに行きたいと思いつつ、また、スコットランドにも行ってみたいと思いつつ、予定は未定ですが、ともかく、年末に悔いの残らない一年にしたいものです。

21 Gower Street London

2008-01-03 01:13:50 | 研究生活
タイトルの住所は、私が現在まさに精読中のコリングウッドの論文 ‘Sensation and Thought’(1923)が発表された場所です。この論文は、翌年の1924年に出版されたSpeculum Mentisという彼の本の認識論的な基礎部分について詳細に論じたもので、ほぼ、両作品は認識論的には同じ立場に立っているといえます。この論文は、英国哲学界の伝統的な学会のひとつ、Aristotelian Societyの会報(Proceedings of Aristotelian Society)に掲載されていて、そこには発表された日時・場所まで丁寧に書かれているのです。それで、ロンドンに行く機会があれば、ぜひ訪れてみようと決めていたのですが、今回それが実現しました。

この場所は、地図で調べてみると、どうやらロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジの一角にあるようで、隣接の大英博物館に行くついでに立ち寄ることにしました。このカレッジは言わずと知れたロンドン大学の名門カレッジのひとつで、日本人でも夏目漱石などが学んだ場所として知られています。

さて、じっさいに訪れてみると、そこは今はホテルになっているようで、旅行者が頻繁に出入りしていました。しかし、おそらく建物そのものは変わっていないと思われ、ここで若き日のコリングウッドが発表をしたのかと思うと、感慨深く、なかなかすぐには立ち去ることができずに、しばし当時に思いを馳せながら佇んでいたのでした。

British Idealism Specialist Group Conference

2007-12-16 05:13:05 | 研究生活
金曜日から土曜日にかけて、泊りがけで英国政治学会のなかの、British Idealismにかかわる人々で構成されるグループの研究会がありました。

場所はGregynog(グレッグノッグ)というウェールズ中部にある12世紀以来の長い歴史がある由緒正しきお屋敷でした。ここは、最後の個人所有者だった、19世紀ウェールズの石炭王デーヴィッド・デーヴィスの孫娘からウェールズ大学連合に寄贈され、今は各地のウェールズ大学のためのセミナーハウスとして使われています。ちなみに周囲は羊の放牧地で見渡す限り緑の丘に囲まれ、携帯も圏外な超辺鄙な場所にあります。

金曜日は、朝カーディフの院生3人と、カナダのモントリオールから来た日本人研究者、ウェールズ第二の都市Swanseaから来た若手研究者(彼も私の指導教授の門下)と、指導教授とが大学に集合。てっきりマイクロバスか何かで行くのかと思っていたら、レンタカーと思われる大きなワゴン車で、しかも指導教授自らの運転で出発。3時間弱の道のりを一人で運転してくれました。教授が運転なんて日本では考えられないので、驚きました。他にもGregynogには、英国各地から総勢15人くらい集まり、午後2時から6時まで発表を聴き、クリスマスディナー。その後、施設併設のバーで飲みながら会話を楽しみました。私の泊まった部屋は、なんとベッドが3つもある広い部屋で、一晩だけでしたが、ちょっと英国貴族の気分を味わえました。翌日も午前中に9時12時で発表を聴き、ランチのあと解散という流れで、学生ということもあり、完全タダでした。1泊3食、しかもディナーはちょっとしたコースだったにもかかわらず!

発表の内容は、今回はBritish Idealismということで、コリングウッドのみならず、さまざまな発表がありましたが、一際トピックとして多かったのはコリングウッドに並びBosanquetについてでした。創始者とも言うべきグリーンはかなり研究されてきていますが、確かにコリングウッドに並んで当時のBritish Idealismで存在感のあるのは彼なので、順当かなとは思います。まだまだ私のリスニング能力は限られたものですが、コリングウッドの、しかも比較的私の関心に近いトピックの発表はかなり分かるようになり、進歩を感じました。日本人研究者の方とも英語力について話しましたが、英語での議論、発表をこなす彼女のレベルまで到達したのは、つい最近だよ(ちなみにカナダ在住約9年、夫はカナダ人研究者)と言われ、まあ焦らず頑張ってと励まされました。道のりは長い!(せめてペーパーを配布してくれればいいのですが、配布する人は多数派ではなく、基本耳だけでキャッチしなければならないのです…)

この一年、幾つかの学会に参加してきましたが、基本的にこちらの学会はとてもオープンです。学生は参加料はタダだし、学会のメンバーじゃないと発表できないとかそういう規制が一切ありません。また、モントリオールでもそうでしたが、夫人同伴で参加する人とかもいて、雰囲気もまったく堅苦しくありません。有名な教授たちも、フレンドリーに私達院生と話してくれます。British Idealism研究自体が英国でもマージナルな分野だからということもあるかも知れませんが、その辺を割り引いても、英国の大学教授というのは、運転をしてくれたことからも伺えるように、非常にgentle、fair、politeな感じの人が多く、これが紳士の国の証拠なのかなとちょっと思ったりしました。日本の大学教授のイメージとは、随分違います。むしろ、私自身も、3月の日本での学会発表の方がもっと緊張しそうな感じです。

いずれにしても、これで今年の学会、発表、ゼミはすべて終わり、クリスマス休暇に入るので、ホッとしつつ、ロンドン観光を楽しみにしつつ、研究に勤しみたいと思います。


Research in Completion Day in Winter 2007

2007-12-08 03:29:25 | 研究生活
年2回、夏と冬に行われ、PhD学生の義務の一つ、院生発表会での発表が、今日ようやく終わりました!ふ~、ひと安心です。

私も発表しましたが、う~ん、反応は、あまりにも当たり前のことだったかな、という感触を受けましたね。当たり前のことを詳細に論証しただけだったので、いまいち、薄い反応でした…。(まあ、これは参加者がコリングウッドに造詣がある人々ばかりということもありますが…)でも、今回の発表への準備を通して、自分の疑問がすっきりしたし、今後の研究をする上ではやはり欠かせないことだったので、発表の練習にもなったし、よかったと思います。また、(お世辞のうまい)指導教授にも「very good work」と言ってもらえました。それにしても、前回もそうでしたが、20分以内に用意した原稿を読もうとして早口で読むうちに、後半の方は疲れてろれつが回らなくなってきてしまい、まだまだだな~と痛感しました。

これで、来週末ウェールズ山中のセミナーハウスで行われる英国政治学会British Idealism合宿が終われば、クリスマス休暇です!今回の休暇は、(今までのようにカーディフに居ただけの休暇とは)少し違います。というのは、年末から元旦にかけて2泊でロンドンへ観光(笑)へ行くからです。ロンドンでは、ベルファストで知り合った韓国人の友人(今はヨーク大)がちょうど来るので久々に会い、また同じくベルファストからタイ人の友人3名が来て、彼らとウェストミンスターのニューイヤー花火を見る予定です。また、(やってるかわかりませんが)ロンドンの骨董マーケットを見に行こうと思っています。もうこちらへ来て一年近くになるのに、まだロンドンをちゃんと見たことがなかったので、今回は楽しみです。そんなこともあり、ちょっと浮かれ気分ですが、そうも言っていられない現実もあります。指導教授からは、

(1)来年4月ごろまでにPhD論文の骨子を見せるように言われ、
(2)さらに、来年は最低2回は外部の学会・研究会で発表をするように言われ、
(3)来年3月の日本での学会発表の原稿もそろそろ初稿を書いておきたい、、、

などなど、課題が山積です。
ま、そうはいっても、今日くらいは、久しぶりのビールを飲みつつ、ゆっくりしようと思います。

自分の文章が載った本が書店に並んだときの気持ち

2007-11-20 10:52:41 | 研究生活
と言っても、600字×2本の項目が、写真の事典に載っただけなんですけどね。

今回、研究社と私の属している学会が共同で、写真の事典を出版しました。研究社創立100周年事業だそうです。先月末に出たのですが、今日になってようやく手元に届きました。もっと小さいハンディな本を想像していたのですが、実物はけっこう大きく分厚い立派な事典に仕上がっていました。

実物を手にしたときは、もっと嬉しくウキウキするものかと思っていたのですが、そんな気分とは程遠く、自分の記述によってその項目に初めて触れる人もいるかと思うと、とてつもない重い責任を背負ったなあと感じました。そして、自分の記事を読んでみたときの気分は…自分の名前が項目の最後に書いていることにものすごい違和感を感じ、執筆者一覧に自分の名前が載っていることにものすごい場違いなものを感じました(苦笑)

昨年の夏、ベルファストにいるときに初稿を仕上げて提出し、2,3度の校正をこれまでしてきましたが、自分の実力がいかに貧困なものであるか、非常に痛感させられた仕事でした。しかしながら、こうやってともかくも、自分の文章を世に問う機会に恵まれたことは、本当に僥倖と言えるものでした。

修士二年目をしているときに、まったく私の分野には人脈がないなかで、この学会を見つけて、京大の先生のところまで直接会いに行って学会への入会を了承して頂いたことがそもそもの発端でした。その後修士を終わり留学浪人中に、大学院の先輩の勧めもあって、この学会の地方部会で修論の内容を発表しました。結果的には、ここで発表したことが、今回の2項目の片方の執筆依頼につながり、その折に知己を得た先生との会話がもう片方の執筆依頼につながったのでした。私がいたような規模の私大の院生などが発表することなどほとんどない学会でしたが、あのときに勇気をふりしぼって発表をしたことが、ひとつの(小さいですが)結果となったことは、少し感慨深いものがありました。やはり、(特に駆け出しでは)未だにコネとか学閥とかが物を言う封建的な日本の人文科学の世界では、弱小私大の院生が生き残るには、どんどん学会に出て行って発表して、「こんな研究をやってる人間がいますよ~」ということをアピールするしかないような気がしました。少なくともそうすれば、今回のような企画があったときに、声を掛けてもらえる確率がゼロではなくなります。

また、学会入会・学会発表を勧めてくれた大学院の先輩方、執筆依頼が来たときに、自信がなくて受けるべきかどうか逡巡していたときに、「やれと言われたことは何でもやっちゃえばいいんだよ」と笑って背中を押してくれた当時の指導教授、執筆に当たって資料を提供して頂いた大学の職員の方々に感謝です。

とにもかくにも、ほんの小さな一歩を踏み出したばかり。さらに頑張らねばと改めて気を引き締めました。