横浜の秘密

知らなかった横浜がいっぱい ~鈴木祐蔵ブログ~

ハマスタのある横浜公園は、「日本最古の公園」ではなく「日本人が利用できる日本最古の公園」。

2016-05-23 10:28:01 | 日本の発祥
横浜といえば、全国に名を馳せる公園がいくつもある。山下公園、港の見える丘公園などは、その代表であろう。

プロ野球球団の横浜DeNAベイスターズが本拠地としている横浜スタジアム(通称:ハマスタ)が建つ「横浜公園」も、日本史に残る歴史を背負った横浜の代表的な公園だ。

「横浜謎解き散歩」(KADOKAWA 新人物文庫/監修:小市和雄)の著者ということで、今年4月14日、テレビ朝日の夕方の報道番組「スーパーJチャンネル」内の「春の横浜謎解き散歩」と題した特集コーナーに出演させていただいた際、訪れた場所のひとつが「横浜公園」である。


横浜謎解き散歩(KADOKAWA 新人物文庫)

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JR関内駅南口の改札を出て左手に数メートル進み、駅舎を出る。目の前にそびえる横浜市役所の前から右手に50メートルほど進むと、横断歩道をはさんでハマスタと横浜公園が目に飛び込んでくる。さらに、ハマスタを横目に公園内を日本大通り方面に向かって歩いていくと、3つ並んだベンチのそばに「公園由来碑」が建っている。公園由来碑は、昭和4年(1929年)3月、当時の第10代横浜市長・有吉忠一(ありよしちゅういち)が、関東大震災(大正12年(1923年)9月1日)の復興事業の一環として横浜公園を整備した際に設けたもの。碑の名称は記されていないが、有吉忠一という人物名が碑文の最後で確認できるはずだ。

碑文を読むと1行目に「我国最古の公園」と記されている。この一文を目にした方なら誰もが「横浜公園は、日本最古の公園」と読み取るはずだ。しかし、これは誤りである。

江戸時代末期の安政6年6月2日(新暦:1859年7月1日)、前年に日本とアメリカとの間で結ばれた日米修好通商条約にもとづいて、横浜は開港した。その後、山下居留地と山手居留地という横浜にあった2つの外国人居留地の人々による強い要望により、横浜に「公園」がつくられることになった。

「横浜公園」は、外国人居留民の声に応えて誕生した公園のひとつである。明治9年(1876年)2月、「外国人も日本人も利用できる日本初の公園」として開園。外国人(彼)も日本人(我)も利用できるため、「彼我(ひが)公園」の異名も授けられた。

ところが、外国人居留民の要求により、じつは「横浜公園」がオープンする6年前の明治3年5月6日(新暦:1870年6月4日)、横浜の山手に「山手公園」が開園している。日本のテニス発祥地としても名高いこちらの「山手公園」こそが「日本最古の公園」なのだ。しかし、山手公園を利用できたのは当初、外国人に限定されていた。日本人は山手公園で憩いのひとときを過ごすことも、テニスなどのスポーツを楽しむことも、できなかったのである。

明治時代初期、公園というものは日本人にはまったくなじみのない施設であった。その点「横浜公園」は、外国人だけでなく日本人も利用できるという意味で画期的なものであった。日本人の日常生活に歴史上初めて公園が加わったのである。そういうわけで「横浜公園」は、公園由来碑に記されているように「我国最古の公園」ではなく、「日本人が利用できる日本最古の公園」と表現するのが正しい。

それでは、なぜ、横浜公園の公園由来碑に「我国最古の公園」という誤った情報を記してしまったのだろうか?

考えられるのは、日本最古の公園である「山手公園」は一般の日本人の利用が禁止されていたため、当時、本当に「公園」と定義できるのか疑問が生じ、外国人だけでなく日本人も利用できる「横浜公園」を「日本最古の公園」と結論づけてしまった可能性があるということだ。

また、「山手公園」が「横浜公園」の6年前にオープンしたという時代考証を行わなかった可能性も否定できない。

ただし、いずれにしろ推察の域を出ない。

横浜公園を訪れたら、あるいは横浜DeNAベイスターズや高校野球の試合観戦でハマスタに足を運んだら、「公園由来碑」にも目を向けて歴史の謎に思いを馳せ、思索を巡らせてみてはいかがだろう。

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