TA EIS HEAUTON

自省録。
自分自身という
最も手強い敵を相手に。

まじめな話。

2013年01月07日 | フラグメント。
「真面目なひとが馬鹿を見る」なんて言うが、その考え方自体がふまじめだ。まじめに生きているというのは、その人の質であって、他人からすればただの自己満足に過ぎない。馬鹿をみないような生き方をしたければ、まじめをやめればいいし、要領の良い生き方に変更しさえすればよいはずだ。それなのに要領良く生きることは卑怯な生き方だなんて、よろしく考えてる人が自分のことをまじめ人間と思っているのはちょっとやそっと、都合が良すぎるだろう。学生たちが不真面目な学生を見て、私達はちゃんとやっているのに「あの人」たちと同じように思われるのは心外だ、なんて言うのも、やっぱり自分が最高の基準であり、高価な人間であり、それ以外の人間を非常識に陥れる権威主義に違いない。そして、そんなことをいう自称「まじめちゃん」に対して、ぐるりの人間は、いい人とも真面目な人とも言いはしないし、思いもしない。結局、いい人だの真面目な人だなんていう本物は、心の底から利他的で、例え自分が良い扱いを受けなくても、それを受け入れるだけのどんぶりをいただける人ことなんだ。
だから他人がその本物に向かって、真面目な人が馬鹿を見るなんておかしいよね、なんて言うのが正しいわけで、出来ればその発言者が自分の生き方に多少の罪深さを感じるなんてのが、本来元来健全な世の中なんだろう。